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一本の木があった。
それは、村の周縁の木立の内の、村側にある木で、先日、ぼくがブルーノといっしょに散歩に出た時、ブルーノがそこで休憩し、仮眠を取った木だった。
山間の村ということで、空気の冷え方が下界よりも早く、この辺の木立は、もう落葉し始め、晩秋の風情があった。栗の実が落ちていたりするが、虫が食べたものが多く、積極的に拾おうという気になれなかった。
その木のそばに、ぼくはズボンのポケットに手を突っ込んで、じっと立ち、その日――つまり、ブルーノといっしょに散歩に出た日の情景を思い起こし、今は寂しいばかりのそこに、その情景を重ね、しみじみとした感慨に耽った。
風が立ち、ぼくの服を、髪を、木立の葉に吹いてかかり、耳が隠れるほど長くなってきた髪はなびいたし、木立の葉はざわざわと涼しい音を立てた。
木には何も残っていなかった。ただ、ちょっとした物悲しい思い出の痕跡が、うっすらとおぼろげに見えるだけで、実際には、ただの木陰であり、地べたであった。
髭を剃るべきだ、などと話した覚えがある。傷付いた彼は、めっきり体のケアをしなくなり、無精髭が伸びていた。
あの時、ブルーノは、だけど、から返事を返すだけで、どこか上の空だった。
フゥ、と、風が吹いた。
その風の流れは、思い出の木を超えて、木立の奥へと行き、闇へと消えた。
不思議と、いざなわれたようだった。
あるいは、ブルーノは、向こうにいるのかも知れない。
ぼくはそう思うと、胸苦しくも、足を木立の奥へと進めた。
一歩、一歩が億劫で、だけど、いい加減、真相を確かめる覚悟を決めるべき時である気がした。観念して、じぶんが想定し、半ば確信までしている事態が、本当に、そうなっているのかどうか、目で見に行かなければならなかった。
――そういえば、ブルーノは、剣も、盾も、持っていなかった。盾なんかは自作し、発つ時は持っていたのに。いったいどうしたのだろう?
ブルーノを探すのは、多少、骨が折れるけど、急がなければならないとは思わなかった。彼はひとりで、だいじょうぶなのだ。彼はもう、ぼくやミアといっしょにいなければならない存在では、最早ないし、行く先行く先で職探しして金策に苦悩する必要もない。
湿っぽいにおいがする。木々の呼気だろうか。辺りにたゆたう木漏れ日が淡く、魔法のように、どこか神秘的だった。
落ち着いて歩を進めるぼくは、先の地面に落とし物があることに気付いた。
近付いて、拾い上げる。
長い、木の杖だった。
――もう、そう遠くない。近くにいる。
ブルーノ、ブルーノ……?
彼は、見つかった。とうとう、見つかった。
ぼくは、来てしまった。だが、逡巡したところで、遅かれ早かれ、この状況に到達したことは、間違いない。避け得ない、いわば運命だったのだ。
コンラートさんの家にいて、ブルーノがいなくなったことが発覚してから、胸の鼓動の高まりが止まないが、これは、純粋に、緊張の現れだった。
木立の内の、二本の木の枝の間に、ロープが渡されている。
その中間に、人が、膝を突いて、座っているというべきなのか、よく分からない姿勢でいる。
その後ろ姿が見える。
奇異なのは、首が何だか妖怪のように伸びているのだった。
というのは――首が、括られているのだ。ロープによって。
「ハァ」、とぼくは、吐きたくもないため息を強いて吐く。その刺激で、不安を和らげようとしたのだ。
「やっと、見つけたよ。ブルーノ」
そう呟くと、ぼくもその場にパタンと、力尽きたように膝を突いて崩れた。
にわかに、涙がとめどもなく溢れだし、みずからのイメージと、現実の符合に、納得し、激情が込み上げて来、その勢いは、抑えることが極めて困難で、ぼくはその、内側から押し寄せて来る濁流に、飲み込まれ、さらわれ、抗うすべもなく、いいように流された。
ブルーノの在りし日の姿が、次々と蘇り、嗚咽が漏れた。
運命と対峙し、これほど酷烈で、峻厳で、圧倒的な出来事は、母の死以来だった。
涙で、視界が滲み、何も見えない。
鼻水が流れ、かんでも、かんでも、一向に止まらない。
悲しみと哀れに思う気持ちに、嗚咽がやまず、何回も、「チクショウ」、と、「どうして」の二言を、交互に繰り返して呟き、呪うべき相手が分からないまま、呪った。
だけど、こうなってしまったのは、事実であり、なかったことに出来ない、現実だった。
また、ぼくは、家族を、身内を、失ったのだ――。
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