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ぼくの故郷は、メンドンという名だった。
ぼくが生まれ、育った村で、決して大きいところではなく、むしろ小さいところで、文明的にはあまり栄えているとは言えず、田畑ばかりで、地主と農奴の対立が絶えなかった。
だが、主従関係は明白で、生活を保障してもらっている分際で、農奴が地主に対して物言うことなど出来るべくもなく、どれだけ地主の側が横柄でも、それ以外の生きるすべを持たない農奴は、負の感情を噛み殺して、従うしかなかったのである。
円満ではない関係において、働かされるぼくの母を始め、その仲間たちは、すっかりやつれるなり、やさぐれるなりしていた。ぼくは正直、彼らといっしょだということが受け入れがたかった。
明るい未来を望む子供――今でもまだ子供だけど――にとって、絶望した大人たちは、嫌悪の対象でしかなく、だが、ぼくは自分の母を通じて、否応なく、彼らと固く連関していたのだった。
なぜ今、昔を思い出しているのかと思うと、我ながら不思議ではあったが、人生の壁にぶつかった時、その反動で、今より安易だったと思われる過去へと立ち返ろうとするというのは、別に怪しむべきことではないように思われる。
騎士、叙任、明日……。
ぼくは、五里霧中という状況で、何か次に繋がる方策を案じていた。
すると、居酒屋の給仕のひとりが、ぼくらのテーブルへとやって来て、空になった食器を持って行こうとした。
彼は男だったが、その
電撃的に、その既視感が、その日の午前、城へ向かう道で見かけた、壁にもたれた男への回想と繋がり、思わずぼくの口から「あっ」という驚きの声が漏れた。
「待ってください!」
ぼくは、同席のリフレとミアに一言告げることも忘れて、席を立って給仕の背に声をかけた。
振り向いた給仕は、やはり、今朝見た男と同じ面立ちであり、きっと間違いではないだろう。っ忙しい状況で、彼は、やや鬱陶しそうに眉をひそめて半ば睨んでいる。
「何だ? 見ての通り、店内満席で、誰も彼も、天手古舞なんだが」
「すいません」
なぜ、ぼくは彼に話しかけたのだろう、と今更、疑問が湧く。彼の相貌に見覚えがあるのは確かだが、だからといって、彼に近付く切っ掛けとするには、あまりにも根拠が薄弱だろう。
だが、あるいはその時のぼくには、藁にも縋る思いでもあったと言うべきか、何か、頼みの綱を欲していたに違いない。どういう結果になるか、どういう成果を生み出すか、まったく分からなくても、何もせずにじっとしているよりは、マシだという考えで、衝動的に、ぼくは動いた。
「さっき」、とぼくは言う。「近くの席から、叙任式という言葉を聞いたんです」
「あぁ、明日、城で行われる予定だ」
「知ってるんですか?」
「まぁな」
皮の鞘に入った剣が、彼の背にあった。正式の兵ではないように見えた。オレンジに近い色のショートヘアーは、油か何かで後ろに撫で付けられており、左右非対称になるように分かれている。
「なぜなら」、と給仕は続ける。「俺も参加するからだ」
「えっ」
ぼくは絶句する。叙任式に、彼が、参加する。ということは、つまり……。
「あなたは、騎士になるんですか?」
そう切実に問うたが、答えを得る前に、小走りで駆けてきた別の給仕に、この忙しいのに何、油を売っているのかと厳しく責め立てられ、やれやれという風に、共々、厨房の方へ戻っていった。
給仕は、呼ばれる時、ブレイズと呼ばれていた。そのように聞こえたが、思うに、彼の名だろう。
彼の名前と、その予定の推測が立っていて、彼に用があるのなら、彼に会うのは、そう難いことではない。
彼は、明日、叙任式に出る。彼は、とどのつまり、騎士になるのだ。
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