第255話
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どれだけの悲劇、惨劇を経ようと、ひとは延々と、争うことをやめようとしなかった。
血も涙も怒号も、やまなかった。
戦禍に巻き込まれることで、家族や、友人や、恋人などが失われ、あるいは体の健やかさを損なわれたりして、失望、悲嘆が生じても、そういった感情は、やがて不自由に、また不憫にされた生活を温床にして、怨恨や憎悪へと変転し、ひとを新たなる戦禍へと駆り立てた。
「兵士諸君!」、と彼は声高に叫んだ。その声はよく通り、澄んだ蒼穹へと響いた。
彼は房の付いた兜を被り、マントの付いた鎧を纏って、腰に長剣を帯び、武装して整列している夥しい兵士らしき者たちを前に、演説をぶっていた。
壁に囲まれた芝の広場だった。城の中庭だ。
彼――黒ひげを蓄え、凛々しい顔立ちの男は、赤い髪が特徴的だった。ブレイズといい、フェノバール城下町の兵団で、指揮官を担っている。
兵士諸君、と叫んだ後、ブレイズはわたしの方をチラッと見た気がしたが、すぐに目が逸れていった。
わたしは、兵士たちの列の前の方におり、やはり武装して、色を正し、彼の演説に傾聴していた。
「――世は混迷を極めている。もともと騒乱の絶えなかった世は、激動の波に揺れており、明日、明後日の展望さえ見えないくらいだ」
ブレイズの両脇には、彼と同等の階級に位置する上官たちが横一列に並んで、据わった目付きで、威風堂々と立っている。
「――『真光教団』改め、『救世の光』は、数年来より、新興宗教としてにわかに勢力を付け、その宗教騎士団は強大で残忍だった」
ミアの両親を誘拐し、執事を殺めた組織は、始め『真光教団』と名乗っていたが、ある時より名称を変えた。噂で聞き知る程度だが、名称の変更を経ても、その内実は以前とほとんど変わっておらず、ただ、『救世の光』を統括するあるじが交代したらしかった。老人の神職者が退任し、後任が引き継いだという。だが、老人は完全に引退したのではなく、あるじの補佐役として、実質的権力をまだ掌握しているらしい。
「――『救世の光』はたびたび我らの国土に来襲し、我々の生活を脅かした」
広場には、わたしたち、兵士の他に、町民が集まっており、いっしょにブレイズの演説を聞いていた。
「――だが、我々は幾度に渡る死闘を潜り抜け、この町を守り通し、脅威を撃退してきた」
オー、という歓声が、あちこちで上がった。誰も彼も、この城下町の経てきた苦難を知る者にとっては、今ある城下町の平和は、健気に守り抜かれてきた、非常に尊ぶべきものなのだった。
「今、世界は大きく分断されている。まず、多くの被害を受けた城下町や村々を征服して肥大化した、『救いの光』。次は、『救いの光』ほどではないが、別の宗教組織の一部として構成された宗教騎士団。そして、数多の領主と同盟関係を結ぶことで自由なる生活を堅守してきた、我々フェノバール。勿論、同盟を結んでいない領土はまだ多々あるが、この勢力の相関関係にあって、風前の灯である」
そうだ。ぼく――否、わたしがまだブルーノという青年と共に旅をしていた時や、彼が亡くなって、小姓としてブレイズに付くようになった時、世界はまだ、細かい社会集団が乱立し、どこへ行くにも越境の必要があった。
現在は状況が変わり、同盟関係にある城下町や村々が連続するようになり、手続きの省略化より、行き来が自由に、また便利に出来るようになった。
だが、同盟を結んだ領土すべてが連続しているわけではなく、自由に往来出来る境域に、あるいは敵対して、あるいは鎖国して、立ち入ることの出来ないところがポツンとあったりする。
侵略するか、されるか。この時代において、あらゆる社会集団は常にその二択に晒され、緊張を繰り返し、強いられている。だが、昔と比べ、小さい領土は大きい領土に吸収され、社会集団の分布は、細かかったのが、粗大になった。数の暴力が強く、小さい領土は、ほとんど絶対に、自主独立を維持することが不可能だった。
見上げる空は、どこまでも青い。その色は、母といた時とも、ブルーノといた時とも、コンラートさんのところにいた時とも、リフレに付いていた時とも、変わってはいなかった。
わたしは成長し、背が伸び、声変わりをしたが、見上げる空の高さは変わらなかった。
この世を生き抜くのは易しいことではなかった。
だが、わたしの心は、度重なる辛酸と苦汁にも関わらず、まだ、苦難へ挑もうとする気力を、しぼり出すのだった。
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