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依然として、町民の避難が後を絶たなかったが、彼らの全てをずっと待っているわけにはいかなかった。
「お集まりの皆さん!」
とわたしは大声を上げ、注意を喚起した。近くにいる人たちが一斉にわたしの方を向く。
「これより脱出を試みます」
――脱出? この町から?
と、ひとりの男が正気を疑うかのように問う。
「脱出です。この町は長くはもたない見通しです。『光』の勢力が、今回は我々を上回りました」
――家は、仕事はどうなるの? まだ残っている人たちは?
わたしは渋面を呈し、「残らず助けたいというのが本意ですが」、と言った。「今後の明るい展望を得るためには、今は逃げるのが得策です」
わたしがそう断言すると、人々はにわかにざわつき出した。感情においては、わたしも、何人かの町民と同様、町と仲間を守ることに徹したかったが、こういう役回りを受け持った以上、全うせざるを得なかった。たとえ心理的抵抗があっても、上官が下した命に服従するのが、下等の兵の絶対なのである。
人々は、ふたつに分断された。生き延びるために脱出することに賛同する者たちと、城下町と心中してでも最後まで敵に抗戦するという者たちである。
「与えられた時間は決して多くないのです」、とフォンスが声を上げた。「今からわたしが指揮を執り、活路を開きます。王自身が陣頭にお立ちになって囮になってくださっています。我々はその意気を無駄にするわけにはまいりません」
――グズグズ言ってる連中は放っておきましょう。逃げなけりゃ、無残に殺されるだけです。
――わたしは嫌。この町と家を離れて一体どこで生きていくというの? 流れ者になるだけじゃないの?
口々に自論が出、場は無秩序だった。
王妃は、困ったように俯き、逃げることへの賛否を決めかねている様子だ。
――生きていさえすれば、どこでだって村なり町なり作ることは出来る。大変なのは最初だけさ。
――その意見は、空中楼閣に過ぎない。このフェノバールという城下町が大昔打ち立てられて、一体どれだけの歴史があると思っているのか。安易に人里を創成出来るなどと言うべきではない。
――では貴様は、この町と町の歴史と共に死ねばいいじゃないか。
――そうかも知れない。お前のごとき恩知らずで恥知らずといっしょに逃げるなど、まっぴらごめんだ。
一触即発だった。
――ねぇ、ケンカはやめて。仲間内でケンカなんかしてる場合じゃない。
誰かが言った。女性だった。そして彼女に続き、彼女に賛意を示す声が続々と上がり、いがみあって声のうるさかった二人は、激昂を和らげ、一悶着起こりそうだった空気は沈静化した。
「フォンス殿!」、と、ひとりの兵が塔の階段を走っておりてくる。
彼は肩で息をして、「敵影が疎らになりました」、と報告した。「何人か残った者がおりましたが、遅れて移動するなり、城壁からの石弓による狙撃に被弾するなりし、我々が逃げる上での障害物は現在極少です」
フォンスはこくりと頷くと、「作戦開始です!」、と叫び、わたしの方へ近付いて来、何か言おうとする。
「フリッツ」、とフォンス。「おれが先頭を行く。お前はしんがりを頼む」
「了解しました」
フォンスは行きかけたが、首だけで振り返り、「仮に」、と言いかける。「この戦いで、死に場所に巡り合うことがあっても、生き延びることをまずは考えろ。お前はまだ若いし、フェノバールの存続には一人でも多くの仲間が必要だ」
「……分かりました」
フォンスは正面に向き直って駆け出した。
「皆さん」、とフォンスが非戦闘員の町民に呼びかける。「馬車は外に用意しております。ただ、台数に数限りがあるので、一台に出来るだけたくさん乗れるようにしてください。老人と女性と子供が優先的に乗れるようにしてください。体力がある者は、おのれの足で走ってもらいたい。そしてその気があれば――武器も、用意してございます」
ゴクリ。
わたしは固唾を呑んだ。腕の傷が、また疼く気がした。
きっと、わたしだけでなく、ここにいる誰もが、固唾を呑んで、これから展開されていく物事が、大なり小なり血なまぐさくて、苦しくて、また悲しいことを、ほのかに予感したに違いない。
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