さまよえるフリッツ【完結】   作:Yuki_Mar12

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第277話

***

 

 

 

「失礼します。導師様」

 

 エルは扉のそばで深く一礼すると、ステンドグラスの美しい、やや病弱になった老人の部屋を出た。

 

 ノブを引き、彼は扉をそっと閉じると、ノブを握ったまま、俯き気味に、鼻でスゥと呼気を吐いた。

 

「エル様」、という呼び声。かたわらに、エルの側仕えが跪いていた。彼は、部屋の外で待っていたようである。

 

「クロロ」、とエルは呟き、彼の方を見下ろす。サラサラのロングヘアーに、大きい瞳。一緒に賊だった数年前と比べ、まだ声変わりしていないが、背丈はすでに、大人とそう差がないほどだった。

 

「導師様のご容態は、いかがでしたか?」

 

「……」

 

 エルは、再び俯き気味になる。

 

 前は賊同士だった彼らは、今では『救いの光』直属の宗教騎士団の騎士と小姓なのだった。

 

「導師様は」、とエルは言いかける。「元気だったよ。ただ、ちょっとばかり、目がお悪いだけで」

 

「そうですか」、とクロロ。「大事でなく、何よりです」

 

「クロロ」

 

「はい」

 

 俯き気味のエルが、またクロロの方を向く。

 

「ちょっと中庭へ行こう。今日は天気がいい」

 

「喜んで、お供致します」

 

 二人は微笑み合った。

 

 ――しかし、いつからだろう?

 

 大聖堂の廊下を歩きだして、エルはぼんやりと思った。

 

 ――いつから、クロロはおれに対して、敬語など使うようになったのだろう? 賊だった当時は、血は繋がっていないけど、兄と弟のように、気の置けない、くだけた関係だった。だが、バルビタールに騎兵に、半ば強制的に傭兵にされ、やがて正規の兵に組み込まれることで、兄弟のように気楽だった二人の関係は、主と従者という封建的で厳格なるものへと変化した。

 

 大聖堂の廊下に空いたアーチには、広々とした中庭と、空が見えた。スカッと晴れた空の春陽が、光を中庭の植物に思う様注いでいる。

 

 中庭は、よく手を加えられた庭園であり、芝生の間に、石の小路が通っていた。中央の広場には噴水があって、陽光にしぶきをきらめかせており、周りを、円形の広場に沿う形で、刈り込まれた灌木が囲っている。小型の花々が不規則に芝生の面に咲き乱れ、目を楽しませた。

 

 腰の後ろに手を組んで芝生の上をゆっくり歩き回るエルは、ふと、立ち止まり、青みがかった紫のスミレの群生を見下ろすと、「なぁ、クロロ」、と呼びかけた。「ちょっと、聞いてみたいことがあるんだが」

 

「わたしに、聞きたいこと……何でしょう?」

 

「おれたちは、かつて賊だった。盗みをし、人殺しをし、人目を忍んで生活していた」

 

「覚えています」

 

「今、おれたちは、騎士とその小姓だが、賊だった頃と比べて、どう思う?」

 

「昔と比べて、そうですね――」

 

 クロロは、目を伏せて考えた。そして、微かに――本当に微かに、その面に影が差すのを、エルは見逃さなかった。

 

「何とも言えません」、とクロロ。「賊だった頃は賊だった頃で、その日暮らしで、不自由でしたし、時には食べ物に事欠くことがありました。それに、わたしは元々、気が小さく、盗みなどの悪事が得意ではありませんでした」

 

 エルはクロロのしんみりとした、そのミドルヘアーで半ば覆われた横顔をじっと見つめた。

 

「でも」、とクロロは続ける。「孤児だったわたしを、エル様が拾ってくださったことで、わたしは救われました」

 

 エルは微笑み、「懐かしいな」、と述懐した。

 

「本当に」

 

 風が吹き寄せ、茎の細いスミレが可憐に揺れる。

 

 ――互いに話していて、エルは、やはり打ち解けた感じを覚えなかった。クロロの口調は、もっと、カジュアルであのが相応しいと思った。

 

 だが、騎士団という風紀の厳しい組織では、絶対的主従関係にある二人は、言葉遣いにおいて、差別される必要があるのだった。

 

 エルは、寂しい思いに胸がキュッと締め付けられた。

 

 昔と比べ、今は、すっかり様相が変わっており、エルにとっては、隔世の感があった。

 

 今と昔というふたつの時の間にある差異に、彼はしばしば、郷愁の情に襲われるのだった。

 

 

 

***

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