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「失礼します。導師様」
エルは扉のそばで深く一礼すると、ステンドグラスの美しい、やや病弱になった老人の部屋を出た。
ノブを引き、彼は扉をそっと閉じると、ノブを握ったまま、俯き気味に、鼻でスゥと呼気を吐いた。
「エル様」、という呼び声。かたわらに、エルの側仕えが跪いていた。彼は、部屋の外で待っていたようである。
「クロロ」、とエルは呟き、彼の方を見下ろす。サラサラのロングヘアーに、大きい瞳。一緒に賊だった数年前と比べ、まだ声変わりしていないが、背丈はすでに、大人とそう差がないほどだった。
「導師様のご容態は、いかがでしたか?」
「……」
エルは、再び俯き気味になる。
前は賊同士だった彼らは、今では『救いの光』直属の宗教騎士団の騎士と小姓なのだった。
「導師様は」、とエルは言いかける。「元気だったよ。ただ、ちょっとばかり、目がお悪いだけで」
「そうですか」、とクロロ。「大事でなく、何よりです」
「クロロ」
「はい」
俯き気味のエルが、またクロロの方を向く。
「ちょっと中庭へ行こう。今日は天気がいい」
「喜んで、お供致します」
二人は微笑み合った。
――しかし、いつからだろう?
大聖堂の廊下を歩きだして、エルはぼんやりと思った。
――いつから、クロロはおれに対して、敬語など使うようになったのだろう? 賊だった当時は、血は繋がっていないけど、兄と弟のように、気の置けない、くだけた関係だった。だが、バルビタールに騎兵に、半ば強制的に傭兵にされ、やがて正規の兵に組み込まれることで、兄弟のように気楽だった二人の関係は、主と従者という封建的で厳格なるものへと変化した。
大聖堂の廊下に空いたアーチには、広々とした中庭と、空が見えた。スカッと晴れた空の春陽が、光を中庭の植物に思う様注いでいる。
中庭は、よく手を加えられた庭園であり、芝生の間に、石の小路が通っていた。中央の広場には噴水があって、陽光にしぶきをきらめかせており、周りを、円形の広場に沿う形で、刈り込まれた灌木が囲っている。小型の花々が不規則に芝生の面に咲き乱れ、目を楽しませた。
腰の後ろに手を組んで芝生の上をゆっくり歩き回るエルは、ふと、立ち止まり、青みがかった紫のスミレの群生を見下ろすと、「なぁ、クロロ」、と呼びかけた。「ちょっと、聞いてみたいことがあるんだが」
「わたしに、聞きたいこと……何でしょう?」
「おれたちは、かつて賊だった。盗みをし、人殺しをし、人目を忍んで生活していた」
「覚えています」
「今、おれたちは、騎士とその小姓だが、賊だった頃と比べて、どう思う?」
「昔と比べて、そうですね――」
クロロは、目を伏せて考えた。そして、微かに――本当に微かに、その面に影が差すのを、エルは見逃さなかった。
「何とも言えません」、とクロロ。「賊だった頃は賊だった頃で、その日暮らしで、不自由でしたし、時には食べ物に事欠くことがありました。それに、わたしは元々、気が小さく、盗みなどの悪事が得意ではありませんでした」
エルはクロロのしんみりとした、そのミドルヘアーで半ば覆われた横顔をじっと見つめた。
「でも」、とクロロは続ける。「孤児だったわたしを、エル様が拾ってくださったことで、わたしは救われました」
エルは微笑み、「懐かしいな」、と述懐した。
「本当に」
風が吹き寄せ、茎の細いスミレが可憐に揺れる。
――互いに話していて、エルは、やはり打ち解けた感じを覚えなかった。クロロの口調は、もっと、カジュアルであのが相応しいと思った。
だが、騎士団という風紀の厳しい組織では、絶対的主従関係にある二人は、言葉遣いにおいて、差別される必要があるのだった。
エルは、寂しい思いに胸がキュッと締め付けられた。
昔と比べ、今は、すっかり様相が変わっており、エルにとっては、隔世の感があった。
今と昔というふたつの時の間にある差異に、彼はしばしば、郷愁の情に襲われるのだった。
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