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「家を出ていくって?」
母はそう、息子に聞き返した。オットーの母だった。
「家もそうだし、この町もそう」
息子が毅然とした態度で言い切る。
季節は冬で、彼は、厳しい雪原を超えて荷物の配達を完了し、グルンシュロスへ帰還した後日のことだった。
突然の報告に、母は面食らってしまった。
「仕事はどうするの?」
「やめる」
「やめるって……」
まだまだ雪のよく降る時期であり、家において、仕事のない休日、息子は母に打ち明け話があると持ち掛け、色を正して意志を吐露したのだった。
「もう、うんざりしたんだ」、とオットー。「この町の在り方に対してさ」
「お前の言いたいことは分かるわ。騎士や兵士が幅を利かせて、わたしたちの肩身が狭いのは、確かに悪政が原因に違いない」
「その悪政のせいで、飛脚の仕事だって害を被っているんだ。いつも所長は不機嫌だし、仕事量だって不安定だし、その割に、報酬は少ないしで、不満だらけさ」
母と息子の対話において、父は不在だった。オットーの父は、外出しているのだった。オットーはあえて訊かなかったし、母もあえて言わなかったが、二人共、漠然と彼の最近の悪習を知っていて、彼がきっと、ブラブラ飲み歩いているに違いないと臆断していた。
また、オットーにしてみれば、父に対してこの打ち明け話をするより、母に対してする方がずっと気楽だった。父ならきっと、頑なに反対して耳を貸さないに違いないと、オットーは踏んでいた。
「だけど、我慢していれば、報われる時がいつかやってくると思うわ。仕事というのは、我慢することそのものと言って差し支えないもの」
――細々と内職で生計を立てている母が言うと、説得力が足りないようだった。オットーの父も、おおむね似通った境遇だった。
「いつかって、いつさ?」
「いつかは、いつかよ。将来のいつか」
「本当に報われるかどうかも分からない未来のために、今を我慢できるかって? ぼくには無理だね」
オットーは苦笑した。
「こんな窮屈で居心地の悪い城下町より、もっと住みよい町や村があるに違いない。仕事だってそうさ。飛脚なんていう割に合わない仕事の他に、もっと何かいいものがあるに違いない」
ふと、母は微かに眉をひそめて伏し目がちになると、面を上げた。その面持ちは、息子の報告に対して、諦観し、落胆と共に納得したように、オットーの目には映った。
「そう」、と母。「もうお前の心は決まっちゃってるのね」
息子は何も言わなかった。
「今更、わたしは無理に引き留めようとは思わないわ。お前だってもういい年だもの。お前の好きにしたらいい」
「母さん……ごめん」
「いいのよ。新しい可能性を求めにいきなさい」
こうして、オットーと母の対話は、大団円ではないけれど、とりあえず終着した。
オットーは、まだ飛脚の事務所へ退職の報告をしていなかった。日を跨ぐ真冬の旅より帰った後、その事後報告だけしかしておらず、しかし、彼の自主独立への意志は、城下町の政変の際に芽吹き、その後じわじわと伸長して、やがて決定的になったのだった。
所長は退職の相談を聞かされてびっくりし、未来のある若い従業員を引き留めようと苦心したが、オットーの意志は鋼のごとく堅く、改心させるのは至難のわざだった。
結局、所長も諦め、オットーは、晴れて、飛脚を引退し、自由の身になったのだった。
彼は大きい解放感の中をふわふわと快く、夢のように漂ったが、今後のことは、まったく明確に決まっておらず、彼は、決まった職と住処を持たない流浪者として、ぼんやりとした闇へと突入しようとしていた。
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