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山々への神聖視の証として、グラルホールドの外れの、木立の中の一際樹齢の高そうな一本の木が、御神木として、柵で囲われている。樹幹には、赤や緑などの色の糸が使われた織物が巻かれ、その木が特異であることを明示している。また、木陰には、新鮮な果物や、花束などの種々の供え物が置かれている。
朝食を済ませたその後、オットーとベーラムの二人は、御神木のそばに散歩がてら来ていた。
空はよく晴れ渡っていて、日差しはやや暑かったが、高所を通う風が涼感を帯びていて、過ごしよい天気だった。
オットーとベーラムは、木漏れ日が落ちる木陰に、並んで立っていた。
ベーラムが、片手を反対側の肩に添え、御神木に対して、深々と一礼し、祈りの文句を唱える。
「山の神々よ、今日も心身の清浄を与えたまえ、命を守りたまえ。山の子たる我々は、常にあなた方と共にある」
オットーも、彼に倣い、不器用ではあれ、同じ作法で祈祷する。
よく日焼けする熱い日差しが照り付ける一方で、山林の入り口に近い御神木のそばは、冷たいほどの風が通り抜ける。オットーは時々身震いがしたが、その身震いの原因が、寒さなのか、山奥への畏怖なのか、よく分からなかった。
祈祷を終え、彼は御神木の全容を、何度かすでに見ているが、改めて観察した。
その一本は確かにその界隈に並ぶ木々の中で目立って古い巨木であり、太く、高く、偉大であり、御神木としてふさわしいようだった。
「祈祷には慣れたかい」、と、祈祷の後、ベーラムが、一転し、振る舞いをカジュアルに崩して言う。
「えぇ」、とオットーはどこかすっきりしない感じで返す。「まだまだ、不慣れではありますが」
「構わないさ。神々は、無作法に対して決して厳しくはない。厳しいのは、人間の悪意に対してだけだ」
「決して、この山という環境に対して、敬意を失わないようにしたいものです」
「そうしてくれたまえ。せめて我々だけでも、この信仰を守り抜いていきたいと思っている。時代の荒波は、粗野にも、徐々にこの神聖なる山々にも迫りつつある。だが、わたしは、この信仰をむざむざ時代の脅威に差し出しくはない。わたしの生命は、この信仰に育まれた。死ぬまでその道を貫きたいという意志がある」
「時代の荒波というのは、戦争のことですか」
オットーがおずおず尋ねる。
「そうだ」、とベーラムが頷く。「よそを侵略しようとする領土拡張欲が、そこら中で野獣の如く、厚かましく振舞っている。野獣は打ち倒されない限り、どこまでも進もうとする。我々の境域にまで達するのは、時間の問題だ」
彼は暗い顔で、話を結ぶ。
オットーも釣られて、面持ちが陰る。
彼は、元はよそで暮らしていたが、今はグラルホールドの一員であり、ベーラムの、血の繋がった家族ではないが、ほとんど家族同然の親密な関係を、彼との間に持っている。慕っているし、恩がある。
だから、もしも、この町が脅威に晒される事態になるとしたら、出来る限り、この町と、ベーラムというひとを、守り抜きたいという気持ちが、彼にはあり、やはり気質において臆病であり、勇敢とは程遠い性分だったが、その気持ちに、偽りはなかった。
そうでなければ、彼はベーラムに続いて、祈祷などしなかったに違いない。
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ハーメルン外の作品に取り掛かりたく、来週よりしばらく更新が停止するかと思います。よろしくお願いいたします。