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晴れ間が広がったとはいえ、昨日の雨の跡はまだ残っており、あるいは木の葉の露となって滴り、あるいは地面に浸み込んで土壌を柔らかくしていた。
ズブ濡れだったエルたち一行は、太陽の出現に嬉々として日向に出ていき、まだ水分を含む自身の衣服を、なるたけ早く乾くように、光に晒した。
峠より、エルは山地の様相を一望した。眼下に低い山と丘が見下ろされ、青々としたその周囲には、雨水が転じてそうなった生白い靄が漂っていた。
「今朝、不審者を見た。男だった」
と、エルが不意に呟く。縦に、横に、斜めに、バラバラに並んだ彼の連れ合いたちが、耳を傾ける。彼等はそれぞれ伸びをしたり、ストレッチしたり、ボーッと豁然たる眺望に浸ったりし、自由に動いている。
「あえて生かしておく意味もないから、その場でシメてやろうかと思ったが、逃げられちまった」
「では」、とひとりの騎士が応じる。「我々の位置は、その者に知られ、近い内に襲撃を受けるおそれがある、ということでしょうか?」
「さぁな」、とエルは腕組みして谷間を見下ろしたまま、そっけなく返す。「少なくともおれの目にアイツは、おれたちに危害を加え得るようなタマには見えなかった。おれとしては、まるで犬猫でも見つけたくらいの気分だったよ。敵と見なすには、アイツは殺意があまりにも足りなかった」
他と同じく耳を傾けているクロロは、今朝の目覚めの瞬間を回顧していたが、脳がまだきちんと機能していない状態での記憶は、曖昧模糊として、確かなつかみどころがなかった。
「クロロ」、と不意にエルから名を呼ばれ、回顧の途中だった彼はびっくりする。
「はいっ」
「あの服を取ってきてくれ」
「あの服……分かりました」
クロロは聞き入れた後、近くの木のそばまで行くと、手を伸ばし、枝の先に引っかけられているものを取った。
それは例の衣服で、複数の色の糸でなる極彩色の珍奇なアイテムだった。
クロロは衣服を手渡すと、エルはしげしげとそれを観察した。他の騎士もぞろぞろと彼のもとに集まって、同じものに目を注いだ。
「寝起きで反射的に対応したせいか、記憶が定かではないんだが、あの男も、これとよく似たものを着ていたという気がする」
「防具の類ではなく、ただの普段着のようですね」
「あぁ。たぶん、アイツが噂に聞く、山の民というヤツなんだろう」
「ということは、山の民というのは噂や創作などではなく、実在しているというわけですね」
コクリとエルは頷く。
「言葉が通じればいいが、通じなければ、どうするか……悩ましいな」
「エル殿、相手と交渉でもするおつもりですか?」
「まずはそのつもりだ。いきなり襲おうとは思わない。『光』の信仰をすなおに受け入れるなら、無用な争いはしない。だが、拒んだ時は……」
エルは持っている衣服を上に投げると、腰の剣をサッと抜き、一刀両断した。
衣服はふたつに裂け、地面に落ちた。
「……根絶やしにし、この山をおれたちの住みよいように開発するだけだ」
クロロは微かな戦慄と共に思った。
――エルは、山の民らしき男を目撃し、彼に対し、殺意のない獣めいた印象を持った。きっと、彼等は無害なのだろう。自分たちのキャンプに来たのも、誰がいるのか、好奇心があったに違いない。ひょっとすると、縄張りを犯した者を監視しに来たのかも知れないが、殺意が感じられなかったのなら、あまり好戦的ではないのかも知れない。
クロロにとって、血の気の多いにんげんは苦手だった。従卒としてしばしば戦地に赴くが、一向に彼は、血なまぐさいまねが慣れないのだった。
だから今回、そういった心根の穏やかなにんげんを相手取るなら、殺したりしないで済むような穏便なやり方で、互いの利害の調整が出来ればいいと、彼は心より願うのだった。
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