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他の者には戦いの用意を命じ、エルはだがその場にひとり残り、考え事に没頭した。
石をぶつけた男はまだ伸びていて、目覚めるまでしばらくかかりそうだった。
彼の人相をじっくりと観察し、エルは、彼の仲間がどういった出方をしてくるのか、ある程度想定しておく必要があった。あるいは彼等は人数を集めて襲い掛かってくるかも知れないし、あるいは行方をくらまして雲隠れするかも知れない。
エルはふと、男を地面に横たえ、肩を揺さぶってみて、「おい」、と呼びかけてみた。
一度、二度程度の揺さぶりでは無反応だったが、回数を重ねていく内に、微かな反応が見られるようになり、男は、うめき声を上げ、眉をひそめると、ゆっくりと目を開いた。
そして目が完全に開かれて、昏倒の闇から光明のもとへと復帰した彼は、やや遅れてエルの姿を認め、ギョッとして頭を上げた。
「……ッ!」
男は反射的に手元の砂利を掌中に握ったが、エルは即座に彼の片脚を取ってわきに挟み込むと、足で相手の腰を押さえつつ、自分の方へと引っ張った。
男はまたしてもギョッとし、抜けようと手足を始めとして体全体でジタバタしてみるが、エルの拘束技を脱することは困難なのだった。
「暴れるな」、とエルが呶鳴る。「お前の生殺与奪の権はおれが持っている。少しでもオツムがあるのなら、ひとまず大人しくしろ」
その警告が通じたかどうか定かではないが、男はハアハアと肩で息をしながら、ピタリと動くのをやめ、再び頭を完全に地に付け、仰向けに横たわった。
「やはり、口が利けない蛮族か……」
エルがどこか虚無感を込めてそう呟き、男を睨むが、男も大人しくじっとしている一方で、鋭い眼光を彼に向けているのだった。
――やがて、ガサガサと草が擦れる音と、足音がたくさんしたかと思うと、複数のひとの群れが現れた。
エルの連れ合いが――クロロを含めて――装備を整えて戻ってきたのだった。
彼等は、エルと男が組み合っているのを見ると、その中の数人の騎士たちが慌てて駆けよって来、「エル殿!」、と大声で呼びかけ、剣を鞘より抜こうとしたが、エルが「待て」、と制止した。
「コイツの身動きは封じている」
「そうは言いましても、コイツは、エル殿に害を与えようと試みた輩です。いかしておく意味など……」
クロロは後ろの方で覗き込むようにその場面を傍観し、シンパシーから、あまり敵対したくないと思う山の部族の男が拘束されているのを見、かなりハラハラした。
「コイツをだしにして、相手の出方を見てみたいんだ」
「人質に取るということですか?」
「早い話、そういうことだ」
騎士たちは、落ち着いて動じないエルの口調と、諦観したようにしょんぼりその場でじっとしている男の面持ちを見比べ、情況を認識し、ひとまず手荒い真似は中断することにした。
――また、草の音と、複数人が歩いてくる足音がした。
一旦和らいだ緊張感が再度漲り、誰もが固唾を呑み、最悪の事態を想像して、自身が装備する武器に手をかけた。
「中々ぶしつけな人たちだ」
そうどこか余裕のある口調で言ったのは、エルでも、彼の連れ合いでもなかった。――だが、どこかその発音は訛っていて、聞き慣れないのだった。
「番人たる我々への挨拶もなしに、神々の御山の奥深くまで立ち入るとは」
新たに人々が、炭と灰と若草が占める農地にやってきたが、彼等は揃って同じ衣服を身に付けており、その衣服は、エルが剣で断ち切ったあの極彩色のそれであり、すなわち彼等は、男の仲間なのであった。
「お前は……」、とエルが唖然として言う。「言葉が分かるのか」
彼が視線を投げるのは、やってきた人々の集まりの先頭に立つひとりの男だった。
彼もよく日焼けして真っ黒であり、顔中に皺が刻まれていて、老人というほどヨボヨボではなかったが、海千山千の強者という印象があった。後ろに撫で付けられた白髪が、油を塗ったようにテカテカとして、首の辺で背中に向かってカールしている。
彼が口を利いたのであり、その衣服や身体的特徴から、山の民であることは一目瞭然なのだが、彼が――恐らく彼だけが、エルたちの言葉を解し、受け答えすることが出来るようだった。
部族を後ろに並べたこの白髪の男は、異彩を放っていて、彼の印象に、エルのみならず、他の騎士たちも、従卒も、クロロも、圧倒されて、しばらく茫然としたのだった。
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