さまよえるフリッツ【完結】   作:Yuki_Mar12

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第34話

***

 

 

 

「コンラートの馬車にはね」、とリーザ嬢。「時々しか乗らないの。それも明るい時間の、ちょっとだけね」

 

「そうなんですね」、とぼく。

 

「ね、コンラート?」

 

 令嬢が目配せする。

 

「左様でございます」

 

 馭者が執事らしく事務的にさらりと答える。

 

 馬車はガタゴト揺れている。ブルーノはといえば、ずっと地図を眺めて、道順を練っているようだった。

 

「いつもね」、とリーザ嬢が話を続ける。「村の外は危ないからって、あんまりお出かけしないの。でも、それって退屈しちゃうのよね。ずっと同じところにしかいられないっていうのは、貧しいことよ」

 

「貧しい?」

 

 その言葉に、ぼくの心がピクッと敏感に反応した。あまり快い反応ではなく、被害を及ぼす種の刺激に対して苦痛を感じるのと同じ反応なのだった。

 

「そう。にんげんは生まれながらにして自由な生き物よ。籠の中の鳥とは違うの」

 

「自由な生き物、か」

 

 そう呟いて、乾いた笑いが思いがけず漏れてしまった。失笑だった。

 

 その失笑が帯びる不敬な感じが、令嬢に要らぬ違和感を持たせてしまったようで、笑顔だった彼女は、眉をピクリと動かして、「あら」、と真顔になって言う。

 

「わたくし、何かおかしなことでも言ったかしら?」

 

 ぼくは慌てて両手を振り、「いえ」、と否定する。

 

「リーザ嬢は何もおかしなことは仰ってません」

 

「ホントかしら?」

 

「ホントです。ただ――」

 

「ただ?」

 

 ぼくは落ち着いて、両手を下ろす。

 

「ぼくは、どちらかというと、不自由だったんですよね。にんげんではあるんですけど、にんげんでありながら、籠の中の鳥のような――いや、もしかすると、それよりもひどい……」

 

 そこまで言いかけて、思い留まる。耳触りのよい話ではないと判断したからだ。母との日々、その暮らし向きを回顧したのだ。

 

 目の前のベンチに座るリーザ嬢は、みぞおちの辺で折り曲げた片腕の手に肘を突いて頬を持ち、窺うようにぼくの目を覗き込んでいる。

 

 それは、ぼくの一言一句が持つ微妙な意味合いを逃すまいという真剣さが読み取られ、ぼくは、何となく堅くなってしまうのだった。

 

「要は」、とぼくは、簡潔に話を結んでしまおうと目論んで言う。「内向的だったんだと思います」

 

「内向的?」

 

「えぇ。ぼくはそれほど外の世界に興味がなく、どちらかというと、小説のお話の中とか、昆虫の体のつくりとかの方が、好きだった。だから、ぼくも小さい村に住んでいましたけど、外に行きたいとか、そういうことは、思わなかった」

 

 ――白々しい作り話だった。ぼくは小説を読んだことなどなかったし、昆虫にも興味などなかった。ただ、その場を納めるために捏造した便宜的なフィクションでしかなかった。

 

 スゥ、と息を吸う音が聞こえ、ぼくはその方を振り向く。ブルーノの方だった。ブルーノがぼくの話を聞いていて、何か言おうとする気配がした。

 

 ぼくはしばらく待ったが、ブルーノはずっと俯いて、地図を見ていた。どうも気のせいだったらしい。

 

 ちょっとの間のことだった。

 

「ふうん」、とリーザ嬢がいささか見下す風に返すと、頬を持つ手を下ろす。「つまりあなたが言うには、不自由イコール内向的ってことよね」

 

「自由だったら、行動的になるんでしょうけど、何らかの不便があれば、それは不自由ということであり、内向きになっていくんじゃないでしょうか」

 

「よく分かんないわ」

 

 リーザ嬢は呆れたように、大振りな動きでベンチに深く座り直す。

 

「いずれにせよ、フリッツ、あなたは籠の中の鳥ってことね」

 

「そうですね」

 

「外に出たいと思うことはないの? 狭い籠の中にいて」

 

「……」

 

 ぼくは沈黙し、俯いた。何と答えればよいか分からなかったのだ。

 

「いいえ」、と令嬢はぼくのセリフを奪って言う。

 

 意表を衝かれたぼくは顔を上げ、きょとんとする。

 

「あなたは籠を脱出したいと思った。だから、こうして旅している。そうではないのかしら?」

 

「あっ……」

 

「何が籠を開いたのかは知らないけど、あなたは開いた籠を飛び出した」

 

 ぼくは答えに窮し、再び俯いた。あるいはその通りかも知れないし、あるいは違うかも知れなかった。自分の胸にじっくり問うてみないと分からなかった。

 

「それは、いわば変革であり、挑戦であり、冒険である」

 

 優雅に腕組みしているリーザ嬢は足を組んでみせ、満足げに「フフ」、と目を瞑って微笑むと、目を開き、こう言った。

 

「結構なことね」

 

 今更言う必要もない、陰々滅々とした冗長な御託をぼくは飲み込む。

 

 リーザ嬢。この人は、とても凛々しい女性だと、ぼくは敬服させられるのだった。

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