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クロロには、ふたつの選択肢があった。
ひとつは、エルの苦痛を取り去るために解毒剤の根を部族の男から譲ってもらい、その代わりにこの山地への進攻が中止になるように根回しすること。
もうひとつは、エルのことを無視して当初の目的である山地の統治のために支配権を、あるいは交渉によって、あるいは争いによって勝ち取ること。
クロロにとって、そのふたつの選択肢は、天秤においては、はっきりと重みの違うものだった。
彼はエルの快復が第一の希望であり、山地のことも部族のことも、彼にはどうでもよかったし、出来れば傷つけ合うことを避けたいと思うほど、彼の部族への印象はよいものだった。大体、エルといっしょに来た騎士たちは、ことごとく逃げ去ってしまい、最早どこで何をしているのか消息が不明である。彼等を呼び戻して進攻を再開するというのは、現実味が薄いのだった。
「分かった」、とクロロは言った。「ぼくたちは、あなたたちを傷付けないことを約束する。だから、その根をゆずって欲しい」
部族の男は、クロロが敵の一味であることで、未だ警戒を完全に解けないでいるようだったが、クロロの――臆病な彼にはあまり似つかわしくないほどの――凛とした瞳のきらめきを見て、心動かされるようだった。
「ほんとうか」、と男。
コクリとクロロは神妙に頷く。
男はしばらく目を伏せて考え込むと、「わかった」、と言い、手のひらの根を差し出した。
クロロは深い感謝を示し、根を受け取ると、早速エルのもとへと行こうと立ち上がったが、部族の男も立ち上がり、根を持っていた手を差し出した。
クロロがその手を握り返すと、ふたりはかたい握手を交わした。
「おれたち、サンドラぞく」
「サンドラ族……? うん。よろしく」
それは、きっと彼等の集団の呼び名なのだろうと、クロロは推測した。だが、目下その意味は彼にとって大したものではなく、一刻も早く旧友を助けなければという使命感に駆られていた。
クロロが男との握手をほどき、洞穴に戻ると、まだ話し合いを続けていた部族たちが一挙に黙って振り向き、沈黙の中で彼をまじまじと見た。彼等はいささか訝るような目を向けたが、特に問題がなさそうだと分かると、また合議に戻っていった。
――エルが、さっきと変わらない位置でぐったりとしている。心なしか、帯びている熱が挙がったように、顔の赤味がましているように見えるが、仮にその原因が、洞穴の焚火の勢いが強まっているせいだとしても、その時のクロロの目には、エルの容態が悪化しているのだと見えて仕方がなかった。
あの時、クロロが農地で収穫し、エルの口に無理矢理含ませた作物は、成るほど、活力剤として一定の効果をもたらしたようだったが、束の間だけで、根治には程遠いようだった。
「エル、きちんとした薬を持ってきたよ」
「クロロか……」
眉間にしわをよせて目を開けもせず、エルは苦しそうに答えた。
「これ、薬草の根っこだけど」
と言って、クロロは手のひらの土汚れの付いたくねくねした根を見せる。
「乾燥させてあるみたいなんだ。ここのひとから譲ってもらったんだけどさ」
クロロは、山中を駆け回って組んだ水の残りで、根をサッと洗って土汚れを落とし、端っこより親指くらいのサイズに千切って、エルの口に詰め込んだ。
エルは弱弱しい仕方で咀嚼すると、「にがい」、と呻くように言って眉間のしわを一層深くした。
「我慢して。これさえ食べてくれれば、きっとよくなるから」
クロロの励ましに、エルは何も返さなかったが、苦いとこぼして止めていた咀嚼を再開し、悶絶しながらも、どうにかこうにか噛み潰して飲み込んだ。
服用後エルは深いため息を吐くと、また、ただぐったりしているだけになった。
後は、きっとよくなることを祈って、そばで見守るだけだった。
クロロは、半ば憐れむように、半ば懐かしがるように目を細め、横になるエルの体をやさしくさすってやった。
部族の――サンドラ族の話し合いは、有意義に、あるいは無意義に、まだ続いている。
俎上に上がっているのは、勿論、エルとクロロの処遇に違いないのだが、こうして見張りの男より、薬剤となる薬草の根を、彼の提示する条件を飲むことで取得した今、進攻の取りやめが決定したわけで、何も問題とすべきことはなくなったのではないかとクロロはぼんやりと思うのだった。
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