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場合によっては、山の部族――サンドラ族に捕われたエルとクロロのふたりは、彼等の警戒心とそれによる憎悪などで、彼等の価値観に則って、命を奪われてその人生が終わっていたかも知れない。
だが、彼等の話し合いは、当初は、そのように、エルたちを処分してしまう方向に運んでいたが、最終的には、温情の方へと傾いていき、拘束具が解かれ、生かされることとなった。
その誘因としては、クロロの存在が大きく、彼の小心さが、サンドラ族の一部の者たちの同情を買い、殺してしまおうという意見への対極となり、憎悪と争った。
エルがもし、容態がさほど悪くなく、自由に口が利けたとすれば、あるいはこうはならなかったかも知れない。同情を買ったクロロに対して、エルは逆に、敵愾心を植え付けていた。
貰い受けた薬草の根の効能で、日に日に快方へと向かっていったエルは、サンドラ族の話し合いより数日後、発熱が治まり、体の毒気もほぼ抜け出て、健康な体を取り戻していた。
後からエルはクロロより事情を聞き、彼が不意打ちの毒矢で倒れてからこうして復活するまでの間の出来事を知って、驚きや落胆や安らぎなど、様々な感情に襲われ、混乱と困惑をきたした。レメロン大聖堂の教皇の命に反し、山地への進攻は未達に終わり、しかもその続行も再開も、エルの命の危機が救われる代償として、可能性を完全に失ったのだった。
しばらく後のことを考えるために、エルたちは、山で世話になることにし、サンドラ族に衣食住を保障して貰ったが、そこでは、騎士のエルに対して従卒のクロロが偉く、エルの言うことは一切聞き入れられない一方で、クロロの言うことは寛容に取り扱われた。だが、その差別は理に適ったものとして誰もが納得していた。
一体、レメロン大聖堂は、バルビタールはどうなっているのか、気になって仕方がない、エルは、それでも洞穴での質素な生活に甘んじた。彼はいずれ帰る気満々だったが、クロロはすっかり当地の生活と人々の輪に馴染み、いつまでも世話になっているつもりでいるように見えた。
ある日、皆で暮らす洞穴へと訪問者が現れた。男だった。
彼は外界からの使者のようだったが、肌は、比較的白味が残っていたが、そこそこ日焼けしていて、薄褐色だった。
オットー、と彼は名乗り、短髪で、極彩色ではないチュニックなどの当世風の出で立ちで、目尻の下がったしょんぼりした顔立ちが特徴的だった。
彼は、部族の長に届け物があると言って、長にある書状を差し出した。彼は、エルたちと同じ言語を使って長と意思疎通を図り、用件が済むと去っていった。
エルは気になることがあり、ひとり洞穴を小走りで脱け出し、オットーの後を追った。
「ちょっと待ってくれ」、とエルが息を荒げて呼び止める。
「はい?」、とオットーはきょとんとして振り返る。その様子は、何の用かと問うようであり、また、長の他に言葉が通じる者がいたのかという驚いているようでもあった。
洞穴を出てちょっと行ったところの、木立の道。まだ日は高くあり、木漏れ日が地にたゆたっている。
「おれは騎士でエルといい、かりそめにここにいるだけなんだが、アンタは何者だ?」
エルに対して、首だけで振り返っているだけだったオットーが全身で振り返る。
「わたしは、ベーラム様に仕える、ただの小間使いです」
「ベーラム?」
「ここに住まうサンドラ族の一員です――ここに住んでいるわけではありませんがね。ベーラム様は、各地に離散してしまった仲間に対して、折に触れて頼りを出されるので、わたしが配達しているのです」
「離散。よく分からないな。だが、部族のことなど、どうでもいい。おれが訊きたいのはひとつ、世界の情勢だ。バルビタールが……『光』がどれくらい領土を拡張しているのか、気になってるんだ」
「バルビタール」
と、オットーは呟くと、不快そうに眉を顰めた。
「失礼ですが、エル様とおっしゃいましたか、あなたは、バルビタールと何か関係性がおありなのですか? その口ぶりでは、おありであるように察せられるのですが」
この瞬間、勘の鋭いエルは、オットーの反感をその表情に読み取れる気がした。バルビタールに対して、このオットーという男は、味方ではなく、どちらかというと、敵側に近い位置に、きっといるのだろうと、そういうことが推察された。
「おれは……」
エルはそこまで言って、悩んだ。みずからがバルビタールと大いに関係性があり、『光』の宗教騎士団の上級騎士であり、世界の覇権を得んがため、日々、侵略に従事していたこと――そういう情報を開示するのは、この男に対して、というよりは、この男との対話において、決して有益ではない。
へたに敵対関係が浮かび上がるようなことに言及すると、聞き出したいことが聞けなくなるおそれがある。
妙に胸苦しい空気が、ふたりの間に漂って、彼等を分断していた。
クロロが様子を見に呼びに来ることで、対話は中断となった。
オットーは、エルがまだ話を続けるつもりでいるのにも関わらず、話の途中のすっきりしないところで冷淡に踵を返して去っていき、エルは、もやもやしたものが胸中に残って不満だったが、彼に執着することは、とりあえずやめにした。
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