さまよえるフリッツ【完結】   作:Yuki_Mar12

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第35話

***

 

 

 

 日が暮れてきた。夏日が傾く。

 

 ブルーノが手をひさしにして目を細め、彼方を望む。

 

「見ろ、フリッツ」

 

 そう言われて、ぼくは幌をめくり上げ、彼と同じように手をひさしに彼方に目をやる。

 

 すると、まばゆい陽射しにまぎれて、大きな影が目に入る。

 

「あれは……」

 

「橋ね」

 

 向かい側に座っていたリーザ嬢も見たくなったのだろう、ぼくの隣に移動して同じものを遠望している。

 

 規模の小さい木立が点在する丘陵地帯と、その果ての重畳たる山脈の間にある、連続するアーチの橋脚が支える石製の陸橋。その下には人家の集まりが見えた。思うに集落だろう。

 

「あれがグラス街道に続く橋だ」

 

 ぼくとリーザ嬢は夕焼けの景色と陸橋の偉観に目を奪われ、うっとりしていた。ずっと幌の中で馬車に揺られるばかりだったので、その愉悦はひとしおだった。

 

「あの陸橋の両側に関所があって、そこで通行税を払って通るんだ」

 

「この距離感だと」、と馭者のコンラートが言う。「明日の同じ時間までには到着しそうですね」

 

 ブルーノはひさしにしている手を下ろし、「そうですね」、と返した。

 

「今日はいかがいたしましょう。まだ進みますか?」

 

「そろそろいい時間なので、最寄りの人里を訪ねてそこで一泊しましょう。暗くなると物騒ですからね」

 

「その通りです」

 

「人里って、ちゃんとあるの?」

 

 めくり上げている幌を下ろし、リーザ嬢がいぶかるように訊く。

 

「あなた、キャンプの可能性もあるって、旅の始めに言ってたけど」

 

「ハハ」、とブルーノは笑う。「確かにその可能性はあります。想定外のことがあって進路が変わったり、人里まで到らなかったり、ということがあり得ますからね」

 

「想定外のこと? わたくし、野宿なんてまっぴらごめんよ」

 

「道が土砂崩れ等で塞がっているなどすれば、う回路を進まないといけないので、余計に時間を要します。そういう想定外です。しかし、お嬢様の希望もありますので、出来る限り、安全で、確実で、キャンプの必要のない道順を考慮して進んでいます。まぁ、目下これといったトラブルもないので、安心してください。少なくとも今晩はだいじょうぶです」

 

「そう」、と令嬢は安堵したように言う。「助かるわ」

 

「キャンプはおいやですか?」

 

 単純に気になって、ぼくは尋ねてみた。

 

 すると、令嬢はカッとなって「当たり前でしょう」、と食ってかかるように叫んだので、ぼくはびっくりして狼狽し、思わず「すいません」、と謝ってしまった。

 

「あのねぇ」、と令嬢はいくぶん落ち着いたが、説教口調で言う。「テントだけ用意して、そりゃ、寝るには困らないでしょうけど、ご飯の用意はどうするの? 後片付けは? トイレは? 灯火は?」

 

 すっかりしょげてしまったぼくは、軽率な質問をするべきでなかったと悔いると同時に、回想した。

 

 ブルーノとの旅の日々。男二人なので、リーザ嬢が忌避したがるようなことを、気に留めたことなどなかった。食べ物は持ち合わせのパンがあればそれでいいし、パンがなければ、調理しないといけない場合があるけど、木の実でも、川魚でもいい。食べられる。もし、シカなどの草食動物が見つかれば最高だ。かわいそうだけどサッと急所を狙って殺し、解体して食肉にする。余った部分はカラスや山犬が寄ってたかって漁り、貪る。

 

 生き方に関しては、そう、凛々しいものをリーザ嬢は持っているし、誇ってもいる。だが、日々の生活は、彼女にしてみれば、衛生的で、予定調和的で、円満で、何より上流で洒脱で贅沢なものなのだ。だから、場当たり的で、間に合わせのもので済ますキャンプのようなものは、性に合わないのだ。彼女は自由なにんげんであり、また、高貴なにんげんでもあり、きっと、生活を支配する流儀のようなものがあるに違いない。

 

「お嬢様」、とコンラートが言う。「ブルーノ殿によれば、近くの村までそうかからないそうです。もうしばらくお待ちください」

 

「えぇ」、と令嬢は足を組み、凛然と答える。「別にせかしたりはしないわ。ブルーノが言うように、安全に、確実に、村まで着くようにしてちょうだい」

 

「かしこまりました」

 

 ブルーノは、地図を見るのをやめて腕組みして、頭を傾け、眠る姿勢だ。あるいはただ目を閉じているだけかも知れない。

 

 馬車を曳く馬も、一日歩きどおしで疲れていることだろう。

 

 これから行く村はどんな村だろう。おいしい食べ物、かわいい女の子、きれいなベッド、そういうものがあればいいなぁ。そういうものが当たり前だと思っては、いけないのだけど。

 

 そう、自分に戒めて、ぼくは馬車の揺れに、無為に身を任せるのだった。

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