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伯父の家まで後ちょっとというところで、ひとり歩いているリーザは、身近に妙な気配のあることを感じた。
春の長い夕暮れ。まるい夕日はいつまでも大地に赤々とした光を照射していた。緩やかな斜面は明るい陽光に青々としていて、放牧された牛やヤギが眠たそうにムシャムシャと下草を食んでおり、他方、木々の鬱蒼と茂ったオレンジの果樹園では、帽子を被った農夫が険しい顔で背に負ったカゴに、もぎとったオレンジを放り込んでいた。
生活におけるわずらわしいこと……自由の気風を失った城下町グルンシュロスの息苦しい雰囲気によることが大半だったが、リーザは、この傾斜地の春の夕景を眺めていると、堆積した砂が風に散るように、みずからの憂愁や悲嘆や不安が、薄らいでいくかのように思われた。
「……?」
リーザは気になって後ろを振り返って見た。
さっきローブを纏った男と出合い頭にぶつかった石垣が彼方に、そして、ある人影がそばに、あった。
「……ッ!!」
リーザは不意のことにギョッとし、思わず後退りしたが、そばにいるのは、さっきぶつかったのと、きっと同じであろう人物のようだった。
「あなたは、さっきの」
「こんばんは。先ほどはわたしの不注意でぶつかってしまい、申し訳ありませんでした」
そう言って、彼はローブといっしょになっている頭の帽子を下ろした。
すると、彼の目立った特徴であるツルツルのスキンヘッドが露出し、そして、ローブの中に模様として微かに見えていたものの正体も、日に晒された。
それは、やはり刺青ではなかった。刺青というには、意匠がなく、形が定まっておらず、色もおかしかった。
赤黒い色の完全に沈着して消えない、何とも表現しようのないめちゃくちゃな形の、傷痕か何かのようだった。顔面全体が空だとすれば、その痕は流れてきた雲の如く、わけの分からない形だった。
男の顔の、リーザから見て左側(彼にしてみれば右側)のほぼ半分が、その痕に覆われて、彼の相貌を奇妙で見慣れないものにしていた。
「わたしも、前をよく見ていなかったので、悪かったです。ごめんなさい」
そう言ってリーザが頭を下げる。
「さぞ、珍しいでしょう。わたしの顔」
男がみずからを指差して、にこやかに言う。その笑顔は、痛々しいものとして彼の顔の痕を見ているリーザの心境に似つかわしくなく、滑稽に、また不気味に彼女の目に映った。
謝って終結したはずのことが蒸し返され、そうなると露も思わなかった相手と再会し、リーザは、戸惑いを隠せなかった。
心細さに苦しくなってくるタイミングで、なぜか急激に日暮れが早まり、辺りの陰翳が濃くなってくる気が、彼女にはし、またポツポツと見えていたはずの家畜の姿も、果樹園の農夫の姿も、いつの間にか消えており、吹いてくる風の肌ざわりが、イヤに冷たいようだった。
ふたりきり。女学生のリーザと、正体不明の男が、夕闇の中、対面している。夕陽は、ちょうど彼等に対して等しく差しており、それぞれの影法師が、傍らに伸びていた。
リーザは見ているとどことなく不安にさせる相手の瘢痕に覆われた顔を、怯えと共に見、男は、どこか人間離れした空恐ろしい笑顔で彼女と相対している。
ふと、強めの風が吹き、リーザの髪がなびき、仔馬の尾のように括っている後ろの一本の太い髪の束は勿論、外の部分の髪も煽られてなびき、視界が妨げられたが、その刹那、リーザは新たなことを知り、ハッとした。
男のローブもまた、風の煽りを受けてなびいているのだが、その時に覗いた彼の瘢痕のある側の体の腕や、首にも、同じ痕が、やはり雲のように定まらないぼんやりした形で、見えたのであった。
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