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「わたし、家に帰らなくちゃ」、とリーザ。「あんまり遅くなると、家族が心配する」
という風に、彼女は急いでいるという意を示し、瘢痕の顔の謎の男を振り切りたいようだった。
「家族」、と男は、不気味に笑っていた顔に哀愁を滲ませて呟く。「家族がいるというのは、すばらしいことです」
それは、意味深な言葉だった。
リーザは怪訝に思い、眉をひそめた。
「あなたにも、家族がおありでしょうに」
「フッ」
と、男は嘲りを込めて鼻で笑うのだが、顔を伏せ、苦しそうに手で痣のある方を覆う。
「わたしに家族はおりません。失ったのですよ。不運に見舞われてね」
「えっ……」
リーザは閉口した。男の不幸を瞬時に推察し、いたたまれない気持ちに苛まれた。
風が吹き、その肌触りは冷たく、だが、夕焼けの真紅の色は反対に、温かだった。
「よしましょう。このような暗い話は」
そうあっけらかんと言って、手を下ろし、顔を上げる。逆行によって彼の顔の痣の赤黒い色は、奈落の底のように暗い。
「不意にぶつかった縁でしたが、大層お美しいお嬢様とお見受けしましてね、ナンパと申しましょうか、今一度お目にかかりたくて、こうして参ったに過ぎません」
「それは……光栄ですと、一応お答えしておきます」
男の吐露に、リーザはぎこちない笑顔で応じたが、彼女においては、男に対する気味悪さに拍車がかかり、彼が自分を気に入って追いかけてきたのだと想像すると、身の毛がよだつようだった。
「では、ご機嫌よう」
と、男は腕を回し、踊るような動きで頭を下げると、ねんごろに暇乞いを告げる。
「またお会いする機会があれば」
――彼はローブの帽子を元のように被り直し、元々進んでいた方へと、リーザの脇を通り過ぎていき、彼が近付いて離れていく瞬間、リーザはヘビに睨まれたカエルのように身動きが取れず、彼女はその状態を、きっと緊張に違いないと思った。
男がすっかり行ってしまったという確信が持てるタイミングで、リーザは後ろを振り向き、見渡せる限りの景色を些少の怯えを伴って見渡したが、あのローブの男は、影も形もなくなっていた。だが、その存在感と印象は、彼の姿が消えてなお少女の中に残っており、彼女の心象を害してやまなかった。
――リーザ。
ふと、名前が呼ばれ、彼女は肝を潰した。
彼女は生きた心地がしないといった感じの放心状態だったが、伯父がそばにいることが分かり、徐々にこわばっていた心身がほぐれていくようだった。その時間になってもまだ帰宅しないことを案じて、伯父はわざわざ探しに出てきたのだろう。
「伯父さん」
「どうした、リーザ。何をそんな怯えているんだい」
伯父は心配そうに、勉学のためにグルンシュロスに逗留している姪の顔色を窺った。
リーザは少し考えるような間を置いた後、「ううん、何でもない」、と言ってかぶりを振った。
「夕焼けが綺麗で見惚れてただけ。心配かけてごめんね」
そう言って、彼女は夕焼けを見つめた。夕陽は残照を放射して城壁に隠れ、そろそろ地平線の彼方へ沈もうとしているようだった。
「そうか」、と伯父が納得するように返す。「春日遅遅というように、春は確かに麗しい季節だ。だが、門限はきちんと守りなさい。ただでさえ物騒な世相なんだからね。暗くなると危ない」
「分かったわ。伯父さん」
そうして、リーザは自身の親代わりである伯父を伴って家路に付いた。すでに家のある傾斜地に来ており、帰宅まで、時間はさほどかからなかった。
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