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冷たい空気が漂っていた。春だというのに、妙だった。
リーザが目覚めたのは、ある部屋のようだった。彼女は上半身を起こし、辺りを見回してみた。部屋には、物が極端に少なく、彼女が横になっている薄っぺらい布団の他は、何もないようだった。
辺りは静寂に包まれており、目覚めた直後のみずからの呼吸のゆっくりとしたリズムが、はっきり掴み取れるくらいだった。また、そこは陽光が届かないところのようで、壁の燭台や設置型のたいまつなどの灯火で、ほの明るかった。
「……?」
昏倒していた彼女の頭が冴え渡るまで、少々時間が必要のようだった。
リーザはその時の来るのを、目を瞑って、同じ姿勢を保ったまま、じっと待ってみた。
だが、彼女の頭はずっとぼんやりしており、どこか、目に見えるものや、耳に聞こえるものなど、体の感覚を通して彼女に伝わる刺激が、ことごとく弱くて、あらゆるものの存在感が遠く、現実味に乏しかった。
自分は死んでいるのではないか、とリーザは思った。自分は未だ嘗て死を経験したことはないが、今まさに死のうとしていて、霊魂が肉体を離れていこうとしているために、あらゆる感覚が嘘のように感じられるのではないだろうかと、推理した。
仮にもう死ぬのだとすれば――とリーザは考えた。
――仮にそうなるとすれば、別にそれはそれで、わたしは特に不満はない。だって、執事のコンラートはすでに他界していないし、ひょっとすると、いなくなったお父さんとお母さんも、コンラート一緒にいて、無限大に広い麦畑にあるお屋敷で、三人で仲良く暮らしているかも知れない。城下町の家で倒れていた伯父さんと伯母さんも、あるいは……。
ふと、死後を陶然と想像するリーザに対し、呼びかける者があった。
いかめしい鉄格子の向こう側に、男がまっすぐ立っている。黒いゆったりとした装束を纏い、頭はツルツルに剃り上がっている。顔には、広い瘢痕。
「もしもし、もしもし」
彼が自分に呼びかけていることに気付くまで、ぼんやりしたリーザは、ぼんやりしていなかった時の倍以上の時間が必要だった。男の呼びかけと少女の応答の間の時間的隔たりは余りにも長く、異常だった。
だが、男は、特に不審がる様子はなく、根気強く、バカバカしいくらい何回も繰り返し、「もしもし」と、布団の中の少女に、穏やかな声で呼びかけた。
「はい」、と答えたリーザの精神は、彼女自身に在らず、宙に浮かんでいるかのようで、彼女は、そう答えるように、他人のように感じている、精神より分離した肉体に、指示を発信しなければいけなかった。指示を伝えるのは、しかしたやすいことだった。心の中でそうするように念じれば、やがて伝達され、肉体は彼女の思うように動くのだった。
「クスクス」、と禿頭の男は女のようにナヨナヨした仕草で、ボケてしまったリーザを見下ろして笑う。「ずいぶん重篤のようですね。人格がダメになるほど、精神の傷は深かったですか。かわいそうに」
みずからが手を出したために少女がこのようになってしまったという認識は、男には――ザムエルにはあった。
だからこそ、改心のさせがいがあると、彼は意気込みを強くしたのである。
「ご安心なさい。あなたはきっとよくなります。わたしの教えを聞き、素直に従えば、頭はシャキッとして、新しい目標のために、日々を過ごせるようになります」
――すべては必然的に独り言となった。
病んでしまったリーザは、その言葉を全て聞き取り、全て頭脳で理解するまで、恐ろしいほどの時間が要されるのである。
ひんやりとした地下室。完全に蔑視されている罪人や囚人の捕まっているところは、鎖などの拘束具があり、監房の密度が高く、監房の中が狭いのだが、リーザの幽閉されているところは特別で、もちろん監房の内外を自由に行き来することは出来ないが、拘束具がなく、監房と監房の隔たりが大きく、中が広かった。そこはまだ、にんげんの健やかなる精神活動が許された空間であり、比較的清潔で、監房に捕われた者の人権が、ある程度だけは保障されているようだった。
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