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ひとの上に立って権力を行使する者は、ただ力だけを持っていればいいのではなかった。それだけでは、秩序の中心として、人心を納得させるには足りなかった。
領主や、王や、長など、そういった高位に立脚する者には、人々を感服させ、敬意を持たれる、規範となるべき精神が須らく身に付いていなければいけない。
力だけで秩序を成り立たせよういう試みは、たとえ成功しても、暴君を生むだけであり、長い歴史を紡ぐには、息が短い。
わたしたちの時代、騎士道は男子の皆が憧れ、騎士というものは、将来の職業としてよく夢見られた。騎士は強く勇猛で、礼儀正しく、女性に対して細密に心配りが出来る敬われる存在だった。騎士の本分は戦いにあり、彼等はストイックに鍛錬した技術と入念に磨き上げた武具で、対等の条件で相手と命を賭けて渡り合い、雌雄を決するのだった。
だが、時代が進むに従って、戦いというものが帯びる性質が変わっていった。
かつて、古き良き時代にあったと言われる決闘は行われなくなり、もっぱら侵攻と防衛が名分の戦争が主流となった。多く殺し、多く略奪した者が、偉かった。
物質的に豊かであることに、人々の幸せが根拠を持つようになり、人々がより幸せになるために、よそへの侵攻が行われ、勝利すれば豊かになり、敗北すれば貧しくなるのだった。
戦いそのものより、勝敗だけが重視されるようになり、ひとと命を争う手段は、騎士道的精神の退廃とそれに代わる物質主義的精神の伸長により、冷酷になっていった。より易しく殺せる凶器が研究して製造され、人命の価値は低落していった。
そのシンボルのひとつと言えるのが、『光』の新兵器だった。爆発する鉄球を打ち出すあの兵器には、雄々しい騎士道精神など、かけらも残っていないようだった。
人殺しは、だが、騎士の側仕えであるわたしにおいては、すでに遠い世界の話ではまるでなく、身近なものだったし、過去に――ブルーノがまだ生きていた頃に、わたしは、ひとりの男を殺めたことがある。リーザ嬢の故郷ゲールフェルト村に事件があって、村に侵入しようとして、障害だった見張りの賊を短剣で貫いたことである。
あの時の生々しい記憶は、未だかつて忘れられたことはなく、今でも暗い衝撃を伴ってわたしの中に残っている。
食べるために動植物の命を摘み取らないといけないように、わたしたち、この時代を生きる者は、生き抜くために、ひとの命を摘み取らないといけない。繰り返される殺し合いの中で、わたしたちには善良も邪悪もない。ただ、わたしたちめいめいがどの陣営に属しており、その陣営が他に対して強いか弱いかの違いがあるだけである。
その果てに待っている終着点がどういうものなのか。わたしたちの運命は、わたしたちを一体どうしようというのか。
その答えは、天空で地上を見下ろす神だけが、知っているのだろうか。
空に思いを馳せると、わたしの目にはふと、亡くなったブルーノの面差しが、フラッシュバックして見える気がした。
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