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危機感は常にあった。
いつ、何時、『光』が反撃してくるか、わたしたちは、見えざる脅威に怯えていた。絶大な力を有し、世界の覇権を、現実味をもって掌握しようとしている彼等が、せいぜい中規模の勢力に過ぎないわたしたちの奇襲を受け、そのまま見過ごすというのは、到底ありえない話だった。
『光』にとって、わたしたちを始めとして、そのもとに屈服しない勢力は、彼等の目指す世界の統一を妨げる害悪でしかなく、彼等に対立の立場を取る勢力は、どれだけ弱小であろうと、彼等は積極的に根絶やしにしようとするだろう。
インベガの上官は、頻繁に斥候をフェノバールまで遣って現地の視察を命じ、周辺の警備は、以前よりも手厚いものにされた。町全体にうっすらとピリついた雰囲気が漂い、誰もが外部勢力の襲撃を予見し、その被害と混乱を恐れていた。
この状況は、不安を強いる点で苦しいものだったが、終わりはなかった。わたしたちは永続的に、敵の反撃を危ぶみ、滅ぼされないように防備をかため続けねばならなかった。
さて、わたしはというと、城での訓練に復帰し、体を柔軟にするばかりでなく、個人的に気になることがあり、そのことにかかずらっていた。
例の掃除夫のことだ。彼との対話を、わたしは求めた。彼の知る、昔彼の仲間で、今は『光』の重役であるエルという男について聞き取るためである。
だが、彼との対話がもたらす実りは、多いとは言えなかった。
「あのひとについてあっしに聞いても、とくにお役に立つようなことは言えませんよ」
しかつめらしく問いかけるわたしに対して、彼はそう何度か繰り返して言った。
わたしたちはいつも、城の廊下の隅でこそこそ話したし、彼はいつも箒を持って床を掃いていた。わたしには特別やましいことなどなかったが、従卒が掃除夫と――それも、素性の怪しい掃除夫と懇意にするのは、傍目にはよく映らないだろうという思いはあった。
「小さなことでもいいんです」
「あっしの知っていることは、本当に限られてたものですよ」
彼曰く、賊だったエルは、ある日傭兵になったのだという。バルビタールという大きな国の傭兵だ。エルたちはある日、騎士に目を付けられ、進退窮まるところまで追い詰められたという。命が脅かされたが、賊たちが生存する道筋が示され、それは、騎士たちの属するバルビタールに従軍して戦うことだった。それは騎士たちの寛大さからというよりは、ある種の計算高さからのものだったように、掃除夫は、その時感じたという。
「それから、あっしらの生活は劇変しました。盗みを働くことは終わりになり、度々いけ好かない騎士どもに混じって旅に出、遠くで戦わされました」
「食べ物とか、服とか、そういった身の回りのものはどうしてたのですか?」
「全部、金で買うようになりました。でも、あっしにはそういうのは向きませんね。根が卑しいもんで、誰かの持ち物とか、畑の作物とかを、人目を盗んでこっそり頂戴していくのが、自分には合ってましたね」
その言葉を聞き、わたしはいささか呆然とし、閉口してしまった。彼を見る目が、知らぬ間に、責めるようなものになっていたようで、掃除夫は、何かに気付いたようにハッとし、決まりが悪そうにした。
「今は、違いますよ」、と彼が慌てて否定する。「今は、心を改めて、掃除に精を出してます。騎士さまの持ち物を盗ろうなどとは露も思いません。いかんせん、罰が厳しいもんでね」
わたしは苦笑が思わずこぼれた。そして、彼の言葉を信用すると、甘言したが、内心では、あるいは何かしでかすかも分からないと思っていた。何せ彼は、盗みが性根に合っているというのだ。わたしの理解の及ばない話だった。
だが、彼の性質はわたしにとって主題ではなく、主題は、彼の持っている情報にあった。
エルという男についてのことは、彼が卑下するほど、価値のないものとはわたしは感じなかったし、まだこの男について、聞きだせることが、多くはなさそうだが、残っているようだった。
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