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エルがレメロン大聖堂へと帰還する上で、移動手段は重要だった。
徒歩で行くには、距離があまりにも長く、二、三日では到底至らず、その三倍以上はかかる見込みである。まして、徒歩で行くとすると、時間のみならず、体力まで費える。栄養があってかつ満腹感をもたらす食事が必ず確保されるわけではなく、あるいはエルは、食うや食わずでこの遠路を踏破しないといけないかも知れないのだった。
ちょうど賊だった頃を懐旧しているエルは、どこか村に忍び込んで一頭馬でもこっそり連れ去ってしまおうかと考えた。その考えは、かなりの現実味を持っていた。
大聖堂までの道のりにおける人里の分布をエルは把握していなかったが、道々その手がかりはあるだろうと予想された。例えば、川が流れているとすると、その上流の方では、ほとんど確実に、人々が暮らす集落なり、村なりがあるのである。
また、人里には、漏れなく食糧の貯えが一定あり、エルが馬を盗む機会を得られるとすれば、同時に、彼は食料を盗む機会も得られるのである。
旅での疲労による飢えと、飢えによるイライラは、彼に盗みをさせるように促した。エルは進んで人里の気配を求めながら、前進した。
エルが出征のために赴いたのは山地であり、付近には、山の水源林を源とする川が幾筋か流れていた。だが、山林が及ぶ範囲はサンドラ族のなわばりとなっており、文明的な暮らしを営む人々はその外側にいるのだった。
行くべき道のりを大きく逸しない形で、エルは川に沿っていき、途中、いくつか人里の気配を感知し、接近してみたものの、篝火の燃えるたいまつがあったり、警備の衛兵が境界で目を光らせていたりして、気重で忍び込めなかった。
だが、中には比較的警備の薄いところがあり、やがて彼は、そういう人里のひとつを見つけた。緩やかな傾斜のある土地の中を、川が下っており、木々があちこちに群生していて、家屋が川を挟んで互いに近く寄っていた。村ほどの規模はなく、集落という感じだった。
篝火が焚かれておらず、真っ暗だったし、人の活動がなさそうだった。皆寝ているのだろうとエルは推測し、チャンスだと思い、忍び込んでみた。
潜り抜けねばならない警備の目がなく、彼はあっという間に家屋の間まで行き、ちょっと探索して、一隅に小屋を見つけた。獣のにおいがプンプンし、馬か豚か牛か知れないが、家畜が飼われているようだった。
エルは中に入ってみたが、失望した。そこにいるのは、全部牛だったのである。全部、よく肥えていて、期待した馬の姿とは程遠かった。乳か肉のために、牛たちは飼育されているようだった。
がっかりしたが、エルは気持ちを切り替えて、食糧を探すことにした。野生のもの以外、最近口にしていなかった。
食糧が貯蔵されている小屋を探して集落を巡っていると、ふと、エルは、通り過ぎようとした一軒に目が留まった。
それは、しかし食糧の収められた小屋が見つかったからなどではなく、一頭の馬が、近くに立つ木に、紐で繋がれていたからである。馬は起きていて、関心を寄せるエルの眼差しに大人しく立ち尽くしていた。
エルは意外に思ったし、同時に、幸運の訪れに驚いた。
その馬は、だが、彼が普段乗るものよりも一回りか二回り小さく、まるでロバのようだった。だが、耳がしっかりと大きく、尾の被毛の付き方も、馬のそれだった。
馬はただ紐で固定されているだけだった。
しめたと思ったエルは、ナイフを取り出し、紐を断ち切ろうと隠密にやり始めたが、それまで大人しかったはずの馬が急に表情を変え、耳を伏せて歯をむき出しにした。
そして普通聞かれるいななきより更に一段高音の鳴き声が、きっと警戒心を露わにしたであろう馬の口から響いた時、エルは嫌な感じがしたが、その感じは的中した。
まだ集落は深い眠りに包まれていたが、誰かひとり、馬の甲高い鳴き声によって起き出してくるようだった。
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