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自分の母親が働いている姿というのは、見るとどことなく物悲しい感じがする。気のせいだろうか。
家事をしているのはいいのだが、金銭のために、使役される格好で労働しているのがいけない。物悲しい感じがするというその原因はよく分からないのだけど。
だが、生活を維持するためには、働かざるを得ないので、四の五の言ってはいられない。美学でご飯は食べられないのだ。思うに、あらゆる人の生活というのは、生々しい事情の上に成り立っているのだろう。
牛小屋を離れ、母と合流しようと畑の方へ足を伸ばす。
いい天気だった。澄み渡る青空。眺めると気分がウキウキするが、自由のない農奴は定められた労働に従事しなければいけない。
小高く盛られた土が長く続く。畝だった。
ジャガイモの畑だ。植え付けの時期で、石灰をまいて鍬でよく混ぜる。
畑では何人かが従事しており、日射を防ぐ目的で帽子を被っているからパッと見では分からないが、よく観察し、母親を識別する。
目が合い、互いに頷き合う。
ぼくは母の近くへと寄り、道具の場所を教わり、同じように日除けの帽子を被って、遅れて作業に参加する。
中には顔見知りのひとがいて、ねんごろに挨拶する。それぞれ同じ農奴なので、愛想笑いが何ともしなびていて、辛気臭く、出来れば挨拶などしたくないと思うのだった。
鍬を振りかぶり、土に振り下ろす。刃が土壌に食い込んだ後、手前に引いて、土を掘り返す。何回か繰り返し、石灰が土とよく混ざるようにする。
単純作業ではあるが、肉体労働で、一度二度で済めばいいが、畑は広く、しかし人数は限られていて、要するに易しくはないのだった。
段々と息が上がってくる。流れてくる汗を手で拭い、労働と暑さに疲弊し、素晴らしく燦燦と照る太陽がいくぶん恨めしく感じられてくる。
ぼくらが耕作する畑は借り物であり、ぼくらの住居共々、管理されている。もちろん、労働も管理されているわけで、しばしばこの畑を包含する土地の所有者、とどのつまり領主様が現れ、ぼくらの働きぶりをチェックする。
やはり気分のいいものではなく、どちらかと言えばむしろ気遣わしいものであり、出来れば放っておいてもらいたいものだが、その意に反して、礼を尽くして挨拶をしなければいけない。何となれば領主とは主従関係を結んでいるわけで、その関係をないがしろにするわけにはいかず、その辺りで、ぼくは忌まわしい呪縛を感じるのだった。
自由の身になりたい。
そう願望するぼくは、だが、ただの展望のない無知で無力なすかんぴんの子供に過ぎないのだった。