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「とうとう、この時が来ましたか」、と、禿頭の男が、この状況を予見していたかのように、独り言めかして呟く。
エルは怪訝そうに眉をひそめるが、「そういえば」、と何か思い付いたように言う。
「わたしは、宗教騎士団のエルという者だが、お前の名は何という?」
「わたしは、しがない侍従のザムエルと申します」
「ザムエル……お前が」
夥しい石でかためられた地下室は、夏なのにひんやりとしていた。
「リーザは」、とザムエルが言う。「わたしが教育を担当しております。彼女は、わたしが目をかけて連れてきた少女です」
彼は、「どうぞ」、と誘い、手で遠くを示し、エルをリーザのいる監房の方へと案内するようだった。
「娘は、孤児なのか?」、とエルが訊く。
ふたりは前後して歩きながら、リーザに関して話した。
「そうですね。どう表現すればよろしいのでしょう」、とザムエルが悩むように返す。「リーザは、グルンシュロスという城下町――我々と同盟を結んでいるところですが――に、親戚の夫婦のところに仮寓を得て、滞在していました」
「グルンシュロス……聞いたことがある気がする。しかし、滞在というと、娘の故郷はそこではないということか」
「えぇ。彼女は遠くの鄙びた村の出身のようでした。とはいえ、家はかなり富裕だったようですが」
エルは感心するように頷く。
「リーザが孤児かどうかというお話についてですが、城下町の彼女の保護者である親戚の者たちは、わたしが仲間と共に排除しました」
「つまり」、とエルは何か察したように言う。「お前は、娘を強奪したというわけだ」
クスリと、ザムエルは無言で笑む。
「それくらい、彼女は素敵なのですよ。きっと、エル様のお気に召すかと思います。ですが、くれぐれも、彼女に対して、家族を連想させる言葉は言わないように注意してくださいね。でないと、彼女の脆い人格が崩れてしまいますから」
――やがて、監房のひとつへと、ふたりが到着する。
黒い鉄格子に囲われた中に、少女がひとり、布団の中で、寝息を立てて横たわっている。濃い褐色のその髪は、今は枯れ枝のように生気に乏しいが、かつては光沢があって美しかったのだろうと偲ばせる趣きがある。
「おやおや」、とザムエルが、格子の棒を両手で握り、張り付くようにして、監房の中を覗き込んで言う。
「ずいぶん疲れているようですね。深く眠っている」
その様をエルは、腕組みし、どこか不快そうに、睨むように、横目で見ている。
ザムエルは格子より身を離すと、「まだ彼女は発展途上で、繊細なんですよ」、と、っ彼女の教育者然として言った。エルの目に、その横顔は、やや俯いて、悲しそうに見えた。
「ですが、リーザはいずれ、この組織の上に立てる卓抜した素質を持っているに違いない。そうわたしは踏んでいるのです」
「そうか」、とエルは、半ば投げ槍に納得して返す。
「ですから、エル様」、とザムエルは首だけでエルの方を向いて呼びかける。「リーザをもし召し使われるのであれば、どうか、大切にしてやってください」
「フム」、とエルは、どこか腑に落ちないといった風に、小首を傾げる。「娘の保護者がわりの親戚を抹殺してトラウマを植え付けた人間の言うセリフだとは、とても思えんが」
「……」
ザムエルはキッと口を一文字に結び、どこか険相っぽくなり、エルと睨み合う恰好になる。
「おれには」、とエルが、沈黙を破って口を開く。「ずっと連れ添ってきた小姓がいるんだが、今やつは、敵地に捕われてるんだ。仮に娘を召し使うことになるとしても、勿論、女だから、騎士にしようなぞとは思わない。せいぜい小間使い程度の用事しか頼まないはずさ」
「……そう願います」
ザムエルは全身でエルの方を向き、深々と頭を下げた。
「では」、とエル。「近くこの娘――いや、リーザを連れていくことにするが、問題はないな?」
ザムエルはコクリと頷いて返す。
「ただ、彼女の一日の内から、わたしの教育の時間を一部だけ、ちょうだい出来ればと思います」
「分かった。空き時間は作っておこう」
ふたりによるリーザを巡るやり取りは終わり、エルは監房を去ることにした。リーザはずっと深い睡眠を続け、時々熱を帯びたり不穏になったりする彼等の対話中も、一度も目覚める気配を見せなかった。
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