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村を訪れたオットーは、託された手紙を届けるという用事のために訪れたのであり、それ以上のことに時間や労力を費やす気はなかった。
オットーにとって、メルという女性は、ひどくぶっきらぼうに映り、あまり印象はよくなかった。オットーのみならず、同じ村の仲間にも、彼女は、基本的には、パン屋を営む活発で明るい主人なのだが、時々、ツンと頑なになってしまうことがあるようだった。
少々手間取った後、ようやくオットーが手紙を渡し、メルが渋々受け取ることで、やり取りは一段落着いた。
直後、メルは辞去して去ったが、しばらくして戻り、オットーと、コンラートと、コンラートの世話人の三人のためにパンを一切れずつ持ってきた。焼きたてのパンで、温かく、手紙の話などなかったかのように、その時のメルは、愛嬌を振りまいた。
「――もう行くのか」
用事を済ませるとほとんど休みも取らないで村を発とうとするオットーに、コンラートは、そこはかとなく寂しそうに言った。
彼が前日突っ立っていた橋の架かる小川のそばに、ふたりはいた。
「ううん」、とオットーは困ったように唸った。「他にもまだ手紙を届けないといけないところがあって、出来るだけ急ぎたいんです。ぼくが気随気ままな旅人なら、お言葉に甘えられるんですけど」
「そうか」、とコンラートは納得して見せる。「無理に引き留める意味はなかろう。道中の平穏無事を祈る。神よ、彼の旅路に安全を恵みたまえ」
胸に片手を添えて目を瞑り、彼はほとんどうっとりしてそう祈った。
オットーのそばにいる馬は、朝、快便を出し、作物の人参をバリバリ齧り、体調はすこぶるよいようだった。
「確かオットー君、と言ったな?」、とコンラート。
「はい」
「ちょっと立ち寄ってもらいたいところっがあるんだが、構わないかね?」
「立ち寄ってもらいたいところ……?」
オットーはきょとんとし、疑問に思ったが、とりあえず聞き入れることにし、案内を頼んだ。
「村の外れに、この村の一部が隔離されているんだ」
そう言って、コンラートは付いてくるように示し、オットーは彼に従った。村の一部が隔離されている。すなわち、彼がいた谷間の斜面の集落は、全体の内の大半ではあるが、全てではないということのようだった。
よく晴れた夏の明澄さは、村の隅々にまで行き渡り、ひとも草木も、鳥獣も、生命を謳歌しているようだった。
ふたりは、小川を渡り、村の端に当たる一隅より、村を出て、山に進入する。コンラートは老人らしくゆっくりと歩き、オットーは馬を村に残し、どこへ行くのだろうという興味と共に、遅鈍と思いつつも、彼の後に付いて鬱蒼とした木々の間を進んだ。道は荒れていたが、ひとの往来を偲ばせる踪跡があり、下草のない砂地の細い平らな筋が、一本通っていた。
やがて、開けた場所に彼等は出、「ここだ」、とコンラートが、到着を告げた。
夏の強い日差しが、厚い木漏れ日となって、ポツンと佇む一軒の建物に注いでいた。こんもりと丸い灌木や、種々の花々に囲まれて、その建物は、さも庭園のあずまやのようだったが、違った。
清廉さを思わせる白い石を積み上げた壁に、同色の瓦を並べた破風屋根。上には、尖塔が屹立している。
「――教会ですか?」、とオットーは、この風情に幾らか魅了されてぼんやりと訊く。
「うむ」、とコンラートは頷く。「この教会も、村の一部なのだ。高潔さの象徴として、こうして離れたところに存在しているが」
「それで、ここを案内なさった理由は……」
「理由は、これさ。こっちにちょっと来たまえ」
そう言って、コンラートは、教会の脇の広場へとオットーを誘導する。
そこも、観賞用灌木と花々で豊かに彩られた庭園然とした広場だったが、設置物がズラリと整然と並んでいた。全て四角い石の分厚い板で、石碑のようだった。
「お墓さ」、とコンラート。「村の者の墓が大半なのだが、中には、君のようにはっきりした意識によってではなく、よそからただ偶然流れてきた者の墓もあり、彼等は、大抵の場合、回復しようのないほど衰弱していて、不幸な死を迎えた」
「……」
オットーは絶句した。予想だにしなかった重々しい話を突然口にされて面食らったからでもあり、また、コンラートのした話から、不幸に亡くなった迷い人たちの最期が彼なりに想像されたからでもあった。
「どうしてか、この村はひとの不幸を吸い取る能力でもあるようなんだ」、とコンラートが苦笑いと共に、冗談めかして言う。「様々なひとの最期をわしは看取ってきた。そうしていく内に、この村にひとの霊魂が積み重なっていくという風に感じるようになったんだ」
ふと、教会の扉が軋りを立てて開き、中より白い祭服の高齢の女性が現れ、ふたりを認めると、にっこりと優しく笑い、深々と頭を下げた。
オットーは同じように丁重にお辞儀し、コンラートは、どこかカジュアルに手を挙げて挨拶した。
「彼等に、君から一声かけてやってあげていってほしいんだ」
「ぼくの……つまり、手を合わせて拝んでいけばいいと、そういうことですか」と、オットーは、森厳に尋ねてみた。
「あぁ」、とコンラートは肯定する。「形は何でも構わない。ただ君の気持ちと行動だけで、全然充分だよ」
女性は、静かな足取りで、立ち並ぶオットーとコンラートの後ろへとやってきた。コンラートは彼女に微笑みかけ、オットーは、墓石のひとつひとつを巡り、正面にしゃがみこんで、合掌して黙祷した。
目を瞑っていると、小鳥のさえずりが、風に枝葉の鳴る音が聞こえ、花々の甘い香りが漂い、また夏の暑気を和らげる涼感を運んできた。
美しく優しい空間の中で、宗教的な行いに集中していると、オットーは、この村の死者に縁などないのに、自然としみじみした感傷を覚えてくるようだった。
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