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オットーは、さっさとグラルホールドへの帰途に付きたかった。ベーラムに託された手紙を届けるだけだったはずなのに、当地で変に信頼感を得たことで、新しく注文が加わったのである。
オットーは面倒くさがって、まともに取り合わないつもりでいた。彼にはそもそも、拒否する権利があったし、コンラートの出し抜けの要請に対して毫末の意志もなかった。
「あっ!」
村に戻ると、ひとりの女性が架橋された小川の近くをうろついていて、戻ってきたオットーたちを見ると、ハッとして目を見開いた。メルは、彼等を探していたようだった。
オットーは決まりの悪さと共にサッと会釈する。
「アンタを探してたのさ」
駆けよってきて息を弾ませながら、メルはオットーにそう言った。
「オットー君を?」、とコンラートは目をキラキラさせて訊くと、オットーに目配せした。オットーとメルが接するということが、彼には嬉しいようだった。
「手紙についてですか?」、とオットー。
「ううん」、とメルはかぶりを振る。「くにに帰る前に、アンタにちょっと訊きたいことがあるんだよ。アンタ、手紙や荷物を届けるために、しょっちゅう方々を旅するんだろ?」
「そうですね。主人に委任されて、旅することがよくあります。主人が出す手紙の届け先が、基本的に遠いもので」
「あたし、行方が気になってる子がいるんだよ。子供なんだけどさ――いや、今はもう大きくなってるかなぁ――フリッツっていって、大人しい子さ。耳が隠れるくらいにちょっと長い薄褐色の髪で、ぼんやりした顔の男の子なんだ」
「フリッツ……」、と彼は思い出そうとするように呟いた。
彼は悩むように唸るが、「知ってるような、知らないような」、と、何ともすっきりしない返事で返すのだった。グルンシュロスでいっしょだったリーザが、いつかフリッツという名そのものか、それに似た名を口にしたかも知れない。今となっては、昔のことで、確かめようがないのだが。
「もうひとりいるんだよ」、とメルはオットーが記憶を整理しているのを遮って言う。「ミアっていって、うちで働いてたんだ。フリッツと同じ色の髪だけど、癖があってウェーブがかっていて、背中に届くほど伸ばしてる」
「ミア……という名の少女は、ぼくは知らないです」
ミアについてオットーは、きっぱりと答えた。
「そのフリッツとミアのふたりが、どうしたのですか」
「いや、アハハ。どうした、っていうこともないんだよね。聞いといてなんだけど」
メルが苦笑いするが、沈黙していたコンラートが口を挟む。
「前に、この村に訪問者が来て、ちょっと滞在してたのさ。フリッツとミア。詳しい話は割愛するが、彼等は不運に見舞われた子らで、親と家庭を奪われたんだ」
「そう」、とメルが肯定する。「それで、この村に暮せばいいって提案したんだけど、あの子らの意志で、旅立っちゃったのさ。一応、ひとり、大人が付き添いで付いてたけどね」
「そうですか」、とオットーは言い。これで話はおしまいだと思った。メルの示した名前の子供たちとオットーは縁がないし、それ以上話の広がる余地がなさそうだった。
「メル」、とコンラートが呼びかける。「お前さん、男日照りだろう」
メルは眉を片方ピクッと動かし、顔をしかめる。
「日照りも何も、あたしゃ、ひとりで構わないって思って生きてるんだけど」
「お前はまだ若い。そしてこの村には後継ぎが絶えてない。お前にその気があれば、誰かといっしょになるといいと思うんだが」
メルは険相をコンラートよりオットーに移すと、「ふうん、そういうこと」、と、ひとり合点が行ったように呟いた。
オットーは、そのキツい視線に、内心怯えた。
「コンラートさんには」、とメルが彼に対して言う。「恩義があるよ。この村に来てから、色々と世話になった。右も左も分からないあたしを寛大に受け入れて、助けてくれた。アンタには感謝してる」
腕組みする彼女は、再びオットーの方を向き、「あたしは、構わないよ」、とサラッと言ってのけた。
その大胆さに、オットーは驚愕し、また動揺した。
「あたしは、この村でパンを焼き続けていけるのなら、何でもいい。この村を支える力が弱っていってるのは確かさ。あたしは別にいっしょになる男をえり好みするつもりはないし、そもそもえり好みなんて、この村では出来ないんだしね」
どうするかと、オットーは面と向かって回答を請われ、ひどい困惑にそわそわし、眩暈さえしてくるようだった。
彼等は自分のことをいったいどういう風に見ているだろう、とオットーは疑問に思った。彼はただの手紙の配達人であり、用が済めば旅立ってしまう滞在者に過ぎなかった。そういう立場を踏まえないコンラートたちを彼は手前勝手だと思って腹が立ったし、だけど一方で、若者や子供がいなくて衰微するこの村の苦境が分かって、悲しさを覚えるのだった。
だけど、オットーには、ベーラムがいた。ベーラムこそが、彼にとって、仕えるべき主人であり、彼の言うことを聞くのが仕事で、彼のそばに常にいないといけないのだった。
――君は、恋人などいないのか?
――信頼される有能なにんげんは、出来る限り早い段階で誰かと結ばれて、子どもを設けるのがいいものだ
旅立つ前に言ったベーラムの、互いに関連する幾つかの言葉が、蘇ってくる。
オットーはしばらく迷った末、深々と頭を下げた。それは、謝意を込めた、拒否の意思の表出だった。
コンラートは残念がるように眉を下げ、メルは納得しつつ、どこか寂しそうに、優しい瞳でオットーを見つめた
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