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オットーは名もなき寒村を去った。彼に信頼を寄せた、そこにずっと住まう老人と、離散したサンドラ族のひとりの女性からの要望があったが、オットーはグラルホールドに帰る意を示し、彼等とは物別れになった。しかし、別れは、決して後味の悪い形ではなかった。
彼にはまだ残された手紙が何枚かあり、グラルホールドに帰りがてら、届けることにした。
手紙の宛先にひっそりと隠棲するサンドラ族の者たちは、異口同音に、戦乱の広がる世の趨勢を憂い、いつ自分たちの身に火の粉が降り注ぐか、深刻に懸念していた。もともと好戦的ではない彼等は、不安に対する慰めや励ましを必要としているようだったが、オットーが出来ることといえば、相手の意見に耳を傾けて共鳴する程度で、実際に彼等の役に立つには、力が欠けていた。
手紙の中に、オットーにとって何度目かの訪問となる宛先のものが混じっていた。周縁の地勢が分かっている行きよい場所だった。
そこはやはり奥深い山中なのだが、前回、当地の部族を統べる長への手紙を届けた時、出会いがあった。
ひとりの男がいた。部族の者たちの着用している衣服が、極彩色で統一感があるのに対して、彼の衣服は一風違っていた。オットーと同じ、文明化された繊維産業における既製品であり、部族のように、手作りで荒っぽいところのない衣服だった。
彼は“エル”と名乗り、はきはき整然とした言語を口にすることが出来、そもそも部族の中にいるにも関わらず、存在が浮いており、仲間でないのが明らかだった。
彼はまだいるのだろうか、と、オットーは不安がり、エルとの再会が彼にはあまり愉快でないようだった。エルに対して、彼は、受け入れがたい要素の潜伏していることが、推知されたのである。
夏を目前にした季節のある日の夜、オットーは、旅路で寄った集落で夜を明かすことにした。彼はへりくだった態度で相談し、何とか一軒の空いている小屋を使わせて貰えることとなった。彼は感謝し、乗ってきた馬を小屋のそばに、紐で木と結び付けて固定し、彼自身は小屋でくつろぐことにした。埃っぽい部屋で、布団が藁だったが、贅沢の言えない身空だった。
誰もが寝静まった深夜、オットーの予想だにしないことが起きた。
夜の静寂に、唐突に馬がけたたましくいなないて、オットーをして肝を潰させたのである。
何事かと思って腹立たしさと共に、表に出てみれば、オットーは、ひとりの男と対峙した。彼はオットーの馬を盗もうとでもしていて、馬はそのために悲鳴に近い声を上げたようだった。
オットーには、睡眠中、無理やり起こされたイライラがあったし、盗人に対する軽蔑や怨悪があったが、何より、驚きがいちばん大きかった。
何となれば男は、既知の者であり、彼は、先般山中で出くわした、騎士のエルだったのである。まったく想定されなかった再会であった。
オットーとエルは対峙したが、状況は穏やかでなく、一触即発であり、オットーは集落の人々を起こすと脅迫し、エルはエルで、構えたナイフの刃を光らせ、瞬殺する格好で威嚇した。
だが、彼等の膠着状態は、公平なる取引によって解決されることになり、オットーが人々を呼び寄せないで小屋の食糧を渡すことと引き換えに、エルは大人しく引き下がることを余儀なくされた。
その夜は結局、またエルが来襲するのではないかという危惧によって朝まで寝付かれず、オットーは、起き出してきた集落の人々に、盗人の来たことを伝えて回り、彼等に今後しばらく厳重に警戒するように注意した。
エルとオットーは、馬を盗む者と盗まれる者の関係より以前に潜在的に対立しており、エルはバルビタールの『光』の騎士として名声を得ており、他方、オットーはと言えば、そのバルビタールより遣わされてくる騎士たちに、故郷であるグルンシュロスを乗っ取られた恨みを持っていたのである。
世界を牛耳ろうとしている勢力に属する名のある騎士との二度に渡る偶然の出会いは、オットーに小さからぬ危機感を植え付け、彼は、一日でも早くグラルホールドに帰り、ベーラムにことの次第と、今後そうなるかも知れない世界の展望とを克明に伝えなければという義務感に駆られるのだった。
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