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「――ねぇ、フリッツたち、大丈夫かしら」
燭台の灯火が、短くなった蝋燭の先端で、頼りなげに揺れている。
朝まだき。簡易に立てられた木製の小屋の片隅で、膝を抱いて座る彼女はそう、隣人に尋ねた。服屋のミアだった。ふたりとも、着古した上下一体型のチュニックを腰紐で縛る形で着用し、エプロンを着けている。
「……。」
隣人も同じ格好でじっと座っているが、意味深に沈黙で応じた。薬屋の娘マルテだった。
彼女等のそばには、夥しいインベガのひとびとが、ひとつ屋根の下に固まっており、彼女等は、ただ戦災を免れるため避難しているのだった。夜がほとんど明けようとしていたが、小屋にいるひと全員が、横になるスペースを確保できないために、徹夜していた。簡易な造りのため、粗悪で、窓さえなく、中の環境はかなりひどいものと言わざるを得なかった。
ミアは、マルテのみならず、服屋の主人やら仲間やらといっしょだったし、マルテはマルテで、薬屋で働く者たちといっしょだった。勿論、彼女等が顔の見たことのない人々も大勢混じっており、小屋の中はほとんど人いきれでむさくるしかったし、誰もが不安と不眠に苛まれ、ピリ付いた空気が流れていた。
「マルテ?」、とミアは、俯いていたところ、顔を上げて隣人を怪訝そうに見る。
「きっと、だいじょうぶです」、とマルテが、目を伏せたまま返す。「もうすぐ、いい方向に向かうのだと思います」
その表情には、口にされた言葉とは裏腹に、希望があまり読み取れないようであったので、ミアは更にいぶかしく思い、眉をひそめた。
マルテ膝を抱く手をほどくと、おもむろに立ち上がり、ミアに見上げられながら、「わたし、ちょっと出てきます」、と言った。
「出てくって、どこに?」
「職人さんが、そろそろ小屋を建てる作業のために起き出されるのではないでしょうか。お手伝いしないと」
職人の手伝い……力仕事しか、ミアには思い浮かばず、消耗している彼女は、マルテのその言葉が、立派だとは思っても、自分は出来ればやりたくないという風に思い、彼女をただ見送るだけにした。
マルテがいなくなったスペースに、ひとりの老婦人が体をよこたえる。
自分勝手だと思い、ミアは睨むように見下ろしたが、婦人もミアを睨み返すように、鋭い眼光で見上げるのだった。
……。
マルテは、小屋を出ると、解放感を胸いっぱいに吸い込み、木立の暗闇を貫通して差す淡い曙光に目を細めた。
すでに起き出してきていて、木材を加工したり組み立てたりしている職人が、不審に思う目付きでマルテを見るが、マルテはニコッとして動じずに返すのだった。
人いきれで鬱陶しい小屋とは打って変わって、外は初秋の朝風がほとんど冷たいほどだったが、その冷たさが、人いきれで害された体を浄化してくれるようだった。
風の、地上を吹き抜ける音、群葉をカサカサ言わせる音、狭い隙間を潜る時の高い音、などに耳を澄ませ、マルテは、来るべき“希望”の時を想った。待ち焦がれている安寧が、愉楽が、彼女の展望には瞭然と現れていて、彼女はただ、悠然と微笑みを湛えて、それ等の到来を待っていさえすればよかった。
彼女は出来れば、インベガの騎士、ブレイズとの接点を持ちたかったが、結局、機縁を得ずに来てしまった。彼の小姓であるフリッツとは、骨折の世話を通じて接点を得たが、彼はブレイズへの媒介とはならず、だが、マルテは、あまり拘泥しようとは思わなかった。ブレイズの存在が、彼女の見る展望に陰を差す存在なら、多少なりとも強引な手段を取ってでも接点を持とうとしただろうが、その必要はないだろうと、彼女は判断した。
……。
パン、という発砲音がする寸前に、ブレイズは、反射的に持っている大剣を盾代わりにすることで、その致命的威力を削ぐのに間に合った。
大剣の刃は、被弾したところがこぼれたが、もし大剣が今放たれた物体を防がなければ、きっとブレイズの体には、風穴が空いていたことだろう。
「……ッ!」
彼は目を疑った。
「チッ」とエルが舌打ちする。「外したか。くそっ」
――エルは、両手に何か持っており、今放たれた小さい弾は、その長い棒状のものの先端の口より発射され、それは両手でしか扱うことが出来ないようで、攻撃が失敗と分かると、エルは指笛を吹いて近くを走っている馬を呼び寄せて飛び乗った。
「今のは……」、とブレイズが呟くが、集中して思考する間もなく、体勢を整えたエルが再度襲い掛かって来、彼は、刃の一部こぼれた剣で応戦した。
「さっさとくたばれ。てこずらせやがって」
エルが憎悪に燃える目付きで悪罵する。
「むしろ褒め称えるものじゃないのか。こういう場合は。おれとお前は好敵手同士のようだ」
「ふざけるな。おれには戦いを楽しんでいる余裕なんてないんだよ。導師様のために、一日でも早い世界統一を果たさないといけないのさ」
バチン、と鋭い音が鳴り、鍔迫り合いしていたふたりが互いを弾き合うと、彼等は遠くでUターンし、また激突する。彼等は、それぞれの仲間が入り乱れる場所よりやや離れ、一騎打ちしていた。
「おれたちが、お前たちの野望のために、生まれつき恵まれてある自由をくれてやるいわれはない」、とブレイズ。
「だったら、力づくで奪い取るまで!」、とエル。
鍔迫り合いの膠着状態が解かれ、エルが馬を疾駆させると、勢いよく下り、背中にかけているさっきの武器を構え、ブレイズはその様を見て、何が行われるか瞬時に悟り、前のように大剣を防御のために正面に構えた。
パン、という音が鳴る。
大剣は、ブレイズの正面に構えられている。
飛来する弾丸と思しき物体が、最初、ブレイズの目に、ゆっくりと見えるような気がした。
それは、ブレイズ目掛けて飛んで来ているが、彼の構える大剣の際の方へ、直線を描いてくるようだった。
だが……弾丸は、ちょうど大剣の刃こぼれしたところに差し掛かり、激しい威力を持つ弾丸は、こぼれた刃を粉々にして、そのまま騎士の鎧へと直行し、金属のそれを破って、肉体をかすめた。
ブレイズが脇腹に激痛を覚えると同時に、それまでのゆっくり動いていた何もかもが、元通りの速度に戻り、ブレイズは傾きそうになる体の重みを抑えきれず、まっすぐ走れなくなった馬は、曲がらざるを得なかった。
苦痛の中で、ブレイズは逃げたいという誘惑に負けないようにした。
逃げれば、後方の陣営が危うくなる。
何とか、あのエルたちを撃退しなければ……。
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