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オットーが対峙するザムエルは、彼の目には、やせこけてヒョロヒョロで、顔色が悪く、あまり強くなさそうに見えた。
ひょっとすると、力ずくで攻めれば、案外あっさり倒せるかも知れない。そう考えたオットーは、にわかに焦燥感を覚え、早く倒してしまおうと思い、勇を鼓して踏み込んでいった。
だが、それはザムエルの思う壺だった。彼は柔軟に、オットーの拙い攻撃をかわし、彼の腕にキツい蹴りを入れた。オットーの持つ短剣は腕が蹴られることで吹っ飛んでいき、地面に転がった。
飛んでいく短剣の行方を見る余裕などないのに、オットーはこの緊迫した最中、痛みと痺れのある腕を別の腕で持ち、愚かによそ見して、ふと気付くと、ザムエルに間合いを詰められ、凶器を眼前まで突き付けられていた。
「……ッ!」
万事休す、と思われた。オットーはナイフに刺されるのだと観念し、ギュッと目を瞑ったが、刹那、それまですぐ正面まで迫っていたはずの殺気が、急に遠のいて感じられた。
オットーは目を開いた。ザムエルは遠くにおり、忌々しがる風の目付きで何かを睨み、逃げているようだ。
樹上に潜んでいるサンドラ族の戦士が、弓矢でザムエルを狙い撃ちしているのだった。地面には、彼に命中しなかった毒矢が突き刺さっている。
分が悪いと悟ると、ザムエルは逃げ去り、戦死は樹上より跳び下りてくると、落ちている短剣を拾い上げ、オットーに渡し、早く避難民を追うように、身振りで示した。
オットーは短剣を腰の鞘に納めると、頷いて返し、駆け足でその場を離れた。
……。
避難所が急襲され、潰滅したという知らせを受けたインベガの陣営は、フリッツもブレイズも含め、誰もがショックで生きた心地がしないという感じだったが、何人か、様子を見るために派遣され、新たな知らせが待たれることとなった。
「いずれにせよ」、とブレイズが苦虫を嚙み潰したような顔で言う。「この戦いは、絶対に負けられないんだ。負けたら、虚しい最期が待ってる」
彼はまだ生傷を負って、痛みがあるのに無理に立ち上がり、「戦線を更に前進させよう」、と、さほど自信があるわけでもない、どこか頼りない声色で言った。
「分かりました」、とフリッツはかしこまった態度で答える。
ブレイズはすでに負傷していて、戦況を俯瞰し、指示を出す役目と責任のある彼は、最後まで生き延びねばならなかった。彼を始めとした将官よって、インベガの兵士・騎士たちは整然とした形で、効果的に、合理的に戦うことが出来るのであり、指揮する者がいなくなれば、たちまち足並みが乱れ、敵に崩されるだろう。
フリッツ及び、陣中にいる者らで、部隊が組まれ、先に伝令が、更新された作戦を伝えるために、前線へと遣わされた。
フリッツは、仲間と共に戦場へ出ていき、指示の通りに戦ったが、思うように功を上げることが出来なかった。どうやっても、不利に追い込まれ、インベガは、後手後手に回らされているようだった。
敵の中に、切れ者がいるのではないかという噂が立った。
だが、臆してなどいられず、フリッツたちは、また、よそで戦うインベガの者たちは、奮起し、相手の戦略を寄せ付けないほど豪勢に攻め込み、半ば強引に、不利である戦況を覆そうと精力を尽くした。
だが、気力だけでは限界があり、精力だけで相手を打ち崩そうとすればするほど、疲れが募っていった。
工兵が後方より大砲で砲撃し、やはり兵器の威力は絶大で、巧妙に動き回る相手を牽制した。フリッツたちは、戦いの意気を出来るだけ落とさないよう、声を上げて猛進し、どうしようもなく疲れた時は、塹壕に潜って束の間休憩し、ある程度楽になれば、また攻撃に出た。
『光』の側も、大砲があり、同じように凄まじい威力でインベガの脅威だったが、フリッツたちは、塹壕を新たに掘ることで、その中に身を投じて爆風を避け、前進し続けた。
そうしている内に、フリッツのいる部隊と、他の部隊の集まりは、相手の拠点と思しき陣営まで到った。
フリッツたちと、陣営の前に隊列を組む『光』の軍とが、向かい合った。
かかれ、という号令が、ほとんど同時に双方において出され、フリッツも、『光』の者たちも、正面衝突の形で戦い始めた。
その陣営には、『光』の内、たったひとりの女性がいた。
“彼女”は、エルに命ぜられ、前線まで出て来、その陣営に移動して、作戦を考え、指示を出していたのである。フリッツたちが苦戦を余儀なくされたのは、もっぱら彼女の優れた策謀によるものだったのである。
敵兵がすぐ近くまで来たということで、彼女は怯え、そもそもザムエルに危地に赴いてはいけないという言い付けがあり、騎士に勧められて、後退することにし、騎士と共に馬に乗った。
混戦の中、フリッツは遠くに戦場に似つかわしくない髪の長い人影が移動することに気付き、チラと瞥見すると、誰かに似ているという気がした。
ミア? マルテ? リーザ?
思い付く限りの者が列挙されたが、その誰であっても、意外であることに変わりはなかった。
気になって仕方ないフリッツは、目の前の相手を蹴飛ばすだけ蹴飛ばすと、小競り合いをやめ、自分に気付いていない騎兵に、その辺に落ちている折れた槍で強く突いて落馬させると、馬を奪い、猛然と、あの女性の人影を追った。
パン、パン、と音が鳴り、ここにも、あの弾丸を発射する遠距離武器が持ち出されているようで、フリッツは背後より狙われた。
彼女が行ったと思しき方角に馬を驀進させると、やがて追い付き、その後ろ姿を認めた。
後ろでしっぽのように結わえられた長い、褐色の髪。
ゴクリと、フリッツは粘り気のある苦い唾を飲み下した。
彼女を、恐らくわたしは知っている……と、フリッツは予感がした。
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