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ザムエルには、女に執着するという嫌いが、ないではなかった。なぜと言うに、彼が『光』に勧誘するのは、必ずと言っていいほど、女だったからである。
彼の性癖について、陰で幾つかの噂が立ち、彼がそういう趣味を持っているのではないかという憶測が、『光』の者たちの間で、まことしやかに囁かれた。
令嬢リーザは彼に洗脳され、服屋のミアは一度彼に目を付けられた。また、薬屋のマルテも、彼と、決して浅からぬ関係があるのだった。
マルテは、最初フェノバールにおり、インベガの者として日々暮らしていたが、その実は間諜であり、『光』と内密に通じ、今回の戦いの勃発に一役買っているのだった。
限られた者しか知らないはずのインベガの避難所が襲撃された背景にも、マルテがおり、彼女はいわば、この戦争におけるキーパーソンだった。
マルテは、他の大勢と同じく、『光』の世界統一と支配を望んでいた。
彼女は、孤児だった。親がいなかった。だが、最初からいなかったわけではなく、彼女は父親、母親、兄の三人と共に、ある山の麓の村で暮らしており、その生活は安泰だった。
父は木材加工の職人であり、腕の確かな熟練工だった。母は家事に勤しみ、父母は、仕事と家事と、それぞれ分業して担っていた。兄は父の後継ぎとして、父と共に毎日仕事に打ち込み、将来有望だった。
マルテはというと、愛くるしい容貌で生まれてきた末っ子として、たっぷり可愛がられ、甘やかされた。だが、彼女は決してスポイルされることのない確固とした人間性を持っており、彼女も、きっと将来、優れた人物になるだろうという風に思われた。
ところが、ある日、父は山に木々を伐りに行ったきり、帰ってこなかった。暗くなっても帰る気配がせず、不審に思った母親が、たいまつを持って、父探しのため、山に向かった。
家に残された兄と妹は、そこはかとなく穏やかでない感じが、子どもながらにし、胸をドキドキさせていた。
そして、両親は結局帰ってこなかった。
後日、兄のところに、両親の亡骸が発見されたという知らせが届き、その頃14歳だった兄は、愕然とし、また突然生活が奈落の淵に落とされたように感じ、絶望した。
両親は殺害されたようだった。知らせたひとの推測では、父は、よりよい材木を探すために足を伸ばし、“山の部族”の縄張りに侵入するほど深くまで行き、侵入者として、命を奪われたようだった。母も、不審者として狙われて、あえない最期を遂げたとのことだ。
兄はにわかに怫然とし、哀悼や絶望が、ひっくり返って憤激と憎悪に変わり、彼は復讐しようと企てた。
マルテはまだ十にも満たない年齢だったので、家に置いておかれた。兄は殺気を全身に纏い、木材加工用の刃物一本だけで、山に仇討ちに出かけた。だが、結果は目に見えていた。彼は激情で我を失い、単身で敵地に、大した考えなしに踏み込み、返り討ちに遭って死んだ。
マルテの家は、こうして滅んだも同然であり、たったひとり残されたマルテは、ほとんど何も分からずに、村の教会に引き取られ、保護されることとなった。
彼女はよく仕事で怪我する父と兄の手当てを、母に習って真似事のようにしていたので、そういう経緯で、ひとの傷などを治療する仕事に就くように、将来を見据えて学習することになった。
教会の聖職者は、厳しく、マルテの日々の生活は辛苦にまみれていた。朝から晩まで雑用と勉強を強制され、休みはなく、だが、教会の保護を抜けることの出来ない弱者である彼女は、ただ耐え抜き、その内、情操が損なわれ、感情表現がうまく出来なくなっていった。
ある日、村に訪問者がやってきた。聞いたことのない名前の異教の信徒たちだった。ひとりのヒョロヒョロの老人と、その護衛の数人。彼等は元々あった教会に新たに任ぜられたようで、それまでいたあの厳しい聖職者は、お払い箱となった。(だが、その行方はなぜか分からなかった。)
教会にいたマルテは、老人と行き交わすことになった。
マルテは、他の孤児たちと狭い部屋にすし詰めにされていたのだが、扉が開き、誰かがゾロゾロと入ってきた。
老人と、いかめしい人相の男たち。まるで子供が懐く類の人種ではなかった。
「子供たちは全員、保護しなさい」、と老人が指示する。
いかめしい男たちが、長い机に窮屈に並んで座っている子供たちのそばに行き、低くしゃがんで、にっこり笑う。彼等はもう大丈夫だ、勉強なんてしなくていいと言い、彼等が部屋を出るように誘導する。
マルテは最後まで怯え切り、足が竦んで動かなかったが、老人が、彼女に目を付けた。
「おや、かわいらしいお嬢さん」、と老人が微笑みを彼女に向ける。
マルテは震えて、金縛りにされたように、動けずにいた。
「ザムエル」
「はい」
――筋骨隆々の大男たちに紛れて、老人のように痩身の頼りない男がひとりいた。黒いローブを着て、ツルツルの頭で、顔が、赤黒い痣に広く覆われている。
「あの子の不安を解きほぐしてやりなさい」
「かしこまりました」
そう言って、ザムエルは彼女の目の前まで来、目線が会うようにしゃがみ込む。
彼の人相は、マルテの不安を解きほぐすどころか、ますます募らせるようだった。痣だらけの顔に付いているふたつの目はくぼみ、深い悩みの跡を思わせた。
だが、マルテにしてみれば、このザムエルという男は、失われた兄とほとんど同い年のようだった。容貌はまるで違うけど、声の質など、似通っているところがあり、そして、彼が、その人相に似合わない笑顔を作るので、マルテは、兄の面影がダブって見え、次第に警戒心が和らいでいった。
すでに、彼女の慕っていた両親、兄共々いなくなっているが、あの厳しい聖職者までいなくなり、新しい力が、マルテを育てようとしていた。弱いマルテは、自身をその力に預けた。信用や好感があったわけではない。ただ弱いから、強い力を頼らざるを得なかったという、それだけのことだった。
マルテは、『光』の躍進に助力することにした。『光』が勢威を増せば、いずれあの憎き、両親と兄を殺した山の者どもを根絶やしに出来るだろう。そうなれば、憎しみからようやく解放されるだろうし、マルテは、その時を夢見た。
マルテの目に、フェノバールで出会ったブレイズの容貌が、死んだ兄の、生きていて成長していたらあるいはそうだったかも知れないものに見え、彼女は親近感で心惹かれたが、『光』の間諜としてすでに動いていた彼女は、そういう情動を圧殺しなければならなかった。
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