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もともと降っていた雨が強まり、更に、稲光まで閃きはじめた。辺りは日中にも関わらず、無際限に垂れこめる厚い雨雲のために、暗くなり、おどろおどろしい雰囲気が漂っている。
「ブレイズ……!」
エルの一撃を急所に貰ったブレイズの、地面に横たえられた体は、雨水による冷えを凌ぐ体温さえ残していないようで、まるで生気が感じられず、死は目前にあった。
「フリッツ」、とブレイズは、雨音にすらかき消されてしまいそうな弱弱しい声で言う。
フリッツは耳を彼の口元に寄せ、口にされる言葉を必死に聞き取ろうとしたが、パクパクと動く口より放たれる呼気が感じられるばかりで、ブレイズはすでに、しゃべる余力もなかった。
言葉での意思疎通が図れないと察すると、フリッツはすぐに顔を離し、目と目を合わせた。
物言いたげな両目が、フリッツを見ている。フリッツは集中力を最大限にまで高め、彼の――恐らく最後の、伝えたがっている言葉を読み取ろうとした。
パクパク、と口が動く。
「メン、ドン……そうか」
メンドン。それはフリッツの郷里であり、またブレイズの郷里でもあり、更に言えば『光』のザムエルの郷里なのでもあった。
フリッツは、ブレイズの言わんとすることが何となく分かる気がして、彼のだらりと置かれた手を両手で取り、ギュッと握り締めた。
「分かったよ。ブレイズ」
そうフリッツが言うと、ブレイズは、心なしか微笑みを頬に浮かべる気が、彼にはした。
「ふるさとに帰れってことだね。ふるさとは安全で、何もかもが調和の中にあるのだから、って……」
自然と、嗚咽が漏れていた。唐突な別れ。だが、戦争がやっているのだ。誰が死しても、不思議はない。
フリッツの、兄のように慕い、頼りにしていた人物が、ブルーノに続き、またしても、時代の荒波に吞み込まれ、沈んでいったのだ。
いっしょに来た仲間が、ブレイズの最期を、大雨の中、看取った。幸に溢れた最期ではなかったが、ブレイズは、特に迫りくる死に抗おうとはせず、ただ自然の摂理に、身を委ねているようだった。
「……。」
他方、少し離れたところでは、もう一人の体が、雨粒の踊る地面に横たえられていた。
エルのものだった。
クロロが、今にも大泣きしそうに顔をくしゃくしゃにして、地面に正座し、エルを見下ろしている。彼は肩口にひどい切創を負い、出血過多のために、亡くなるようだった。
クロロは何も言わず、腿の上に置いた両の拳を握り締め、ただ、潤んだ瞳で、涙を堪えて、エルを見つめている。
エルは、すでに死者のそれと同じ、焦点の会わない瞳を、スゥ、とクロロの方にやって、彼を見上げるようにすると、元に戻し、そして、この大雨の降り注いでいるにも関わらず、一切瞬きしなくなった。
クロロはとうとう堪え切れず、目をギュッと閉じたが早いか、大粒の涙を両目より溢れさせた。
エルとの思い出が、走馬灯のようにクロロの脳裡に蘇り、エルの死去は、クロロの人生に凄まじい揺らぎを与えた。
「……死にやがったか」
と、誰かが言う。
クロロはハッとして目を開くと、そばに、ひとつの人影があった。あの掃除夫だった。
「昔と変わらねぇツラだなぁ」
と彼は、懐かしむように、エルの亡骸のすぐそばにしゃがみ彼を見下ろして述懐する。
微笑んでいるが、深い悲しみを湛えているのが、クロロには分かるようだった。
「まぁ、これが
掃除夫は、手向けの言葉を口にすると、エルの目元を、片手で覆うように触れ、彼の目蓋を閉じてやった。
打って変わって、眠るように目を瞑る安らかな死相に変わったエルを見、クロロは、更に落涙が増すようだった。子供のように、彼は泣きじゃくった。
「泣くんじゃねぇ」、と掃除夫が笑ってクロロに言う。「ようやくこれで、お前は自由になったんだ。お前を縛り付ける兄貴分はもういない。好きに生きられるんだぜ」
クロロは首を左右に振って否定する。
「ぼくには、エルが必要なんだ。彼がいないと、ぼくは自分がどこに行ったらいいか、分からないんだ」
「そうか」
と、掃除夫はあっさり納得するように言うと、立ち上がる。
「おっといけね。おれとお前は赤の他人同士だったんだ。やっぱり死ぬのが怖くなって、こっそり城を抜け出してきたんだが、おれはもうこの町を出るよ。じゃあな」
手をヒラヒラと振り、掃除夫はひと気のない方へと去っていった。雨で白く煙る中に、彼の痩身は消えていった。
後に、クロロは、フリッツに話しかけられた。エルのために泣いている彼は、『光』の者かという問いを投げかけられたが、違うと答えた。彼とはただの友達の間柄だったのだと。
クロロは提案され、エルの遺体と、ブレイズの遺体を、荷台に合わせて載せ、城まで運びこむことにした。城で装いを整え、しかるべき時機に、葬るためである。
エルという将官が不在でも、似通った役割を担う他の、代替となる将官がおり、『光』の猛進は続き、フリッツとクロロのいるのとは違うところでは、激戦が繰り広げられ、だが、優勢であるのは、『光』なのだった。
荷台が容易され、馬に繋がれ、荷台の上に、ふたりの遺体がやさしく載せられる。彼等が眠ったように近々と並んでいる様を見ると、フリッツもクロロも、彼等が敵同士などではなく、まるで仲のいい兄弟か何かのように見え、何だか微笑ましかったし、また涙を誘うようでもあった。
城まで、荷馬車を護送する任務に、フリッツとクロロと、フリッツの仲間たちは付いた。距離はさほどなかったが、あるいは激戦の間を潜り抜けないといけないかも知れない。
そもそも、この護送の任務は、今回の戦争には無関係のものであり、インベガにとっても、『光』にとっても、無駄であった。屍など、捨て置けばよし。唯一こだわるべきは、勝ち負けだけだった。
だが、ブレイズとエル、ふたりの亡骸を運ぶ者たちにとって、何より大切だったのは、彼等にとって尊ぶべき、かけがえのない仲間の命が宿っていた体を、傷付けずに安置出来るところまで運び込み、清浄にし、霊魂の安らかなる、天上への飛翔の準備を整えてやることなのだった。
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