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ブレイズが死に、いよいよ形勢が傾いてきたようだ。相手側の将官であるエルも死んだが、戦局は、有利と不利とにはっきり分かれた。
インベガ王ギュンターは城に籠っていた。本陣である城を死守すべく、彼は、常に万端の用意を整えていることだろう。
荷台にブレイズとエルの遺体をのせて運ぶ馬の後方にて、ひとりの将官が、そろそろインベガは『光』に降参すべきじゃないかという声が出た。いたずらに犠牲者を出すより、強い相手に屈服し、その中で自由と安全を手に入れるのが、苦しみは、少ないのではなかろうか。
誰も、肯定も否定もしなかった。
雨はまだしたたかに降りしきっている。フリッツの仲間の内、ひとりが、不戦と降伏のしるしである白旗を手にしている。白旗をよく見えるように掲げれば、この激戦にまみれたインベガの町中でも、襲われずに済むというわけだ。
「どうせ負けるのなら……」、と誰かが呟いた。インベガが降伏すべきだと、そのセリフは暗に示していた。
雷がピカッと光り、轟音が響く。
だが、沈んだフリッツたちは、特にこれといった反応も見せず、ただトボトボと歩いていくだけだった。
雨で薄暗い中、ひと気のない路地を、彼等は通り、なるべく目立たないように、城へと進んだ。
フリッツは、集団の外側の方に位置していたが、空でも見ようかと沈んだ顔を上げると物陰に、何かが見えた気がした。人影のようだった。
城外のインベガの騎士・兵士たちはやってきた『光』の軍を迎え撃つべく、そちらに総結集している。従って、路地などに彼等がいるというのは、あまり考えられなかった。勿論、この敗色の見え出した戦いを憂え、逃げ出した者がいるかも知れない。探索で移動している敵兵かも知れないし、逃げ損ねた民かも知れない。いずれにせよ、誰なのか、フリッツは気になった。他の者は、上の空だったり、俯いていたりし、気付いていないようだった。
フリッツはサッと駆け出す。他の者が、怪訝そうに彼の後ろ姿を目で追う。
フリッツは走り、何軒か先の住居と、その次の住居の間を通る道で、壁に手を突いて、体を転じた。
「――ッ!!」
人影は、逃げるのをやめ、フリッツの少し先に佇んでいた。雨を防ぐためか、ポンチョが着用されている。
人影は小柄で、ポンチョの帽子に見え隠れする長い髪から、女であるらしいと推測された。
「――フリッツ」、と彼女は言い、帽子を手でまくりあげる。
長い焦げ茶色のその髪が雨粒に晒され、どんどん濡れて束になっていく。薄い灰色の瞳は、まるでこの雨空を埋め尽くす叢雲のように、陰気臭く陰っている。
「あなたは、マルテ!」
そう呼びかけ、フリッツは悪い想像に、眉をひそめる。隠されていたはずの避難所の場所が露呈したことと、彼女が、彼の頭の中では、結び付いているのだった。
「覚えててくださったのね」、とマルテは白々しい笑顔を湛える。
「なぜマルテがここに……いや、大体の見当は付きます」
「濡れ衣でないことを祈りたいものですが」
「あなたは、インベガの敵だったのですね」
続々と、後よりフリッツのことが気になって、仲間が駆け付ける。だが、彼等はマルテを知らず、きょとんとしてふたりのやり取りを窺っている。
クスッとマルテは怪しく笑む。「今更否定などしません。わたしは最初、フェノバール、後にインベガのにんげんとして、町に行き、その集団に属していました。ですが……」
彼女は両腕を拡げ、彼女の来ている衣服がよく見えるようにする。真っ黒のチュニックに、真っ黒のポンチョを羽織り、その色は、『光』のものだった。
ガラガラと、荷台の車輪が転がる音が近付いてくる。そして、馭者は遅れてフリッツたちに参加し、彼等のところで、馬を一時停止させる。
フリッツはチラッと目だけで後ろを振り返り、今は布をかけられた友人の遺体を想うと、「ブレイズが亡くなりました」、とマルテに告げる。
マルテは、笑みをシュンとしたものに転じると、広げた両腕をダラリと落とし、「そうですか」、と返した。その口気は、敵であるにも関わらず、落ち込んでいる感じが、ほのかにあるようだった。
「ブレイズに、あなたは好意を持っていたんですね」
マルテは目を瞑り、「さぁ、どうでしょう」、とはぐらかすように返すと、物思うように、目を細く開く。「ただ、わたしは以前から、ブレイズさんを見ると、決まって、昔亡くなった、好きだった兄のことを思い出すのです。そういう意味では、ブレイズさんは、好きだったと、言えなくもない気がします」
「あなたの裏切りがなければ、ブレイズは死ななかったかも知れません」
マルテはいささか俯き、「生死というのは」、と言う。「誰においても、初めから運命付けられているものです。人智を越えた存在によってね。だから、わたしのせいで死んだというのは、わたしには暴論に聞こえます」
静かな憎悪が、そこにいる、フリッツを除く、インベガの者たちにおいて徐々に積もってきているようだった。マルテのような小娘のせいで、卓越した戦士だったブレイズが死に、インベガが敗勢に立たされのだと思うと、忸怩たる気持ちにさせられるのだった。
「わたしは」、とフリッツが、仲間たちの憎悪が爆発しないように、制するように言う。「最早あなたを恨むつもりなどありません。わたしたちは、今先を急いでいるんです。報復のために時間を割こうとは思いません」
「フリッツのご賢慮を尊重いたします」
「マルテだった大層悲しいでしょうに……どうして戦争というのは、こうも虚しいんでしょうか」
「ひとが生きている限り、戦争は厳然と存在します。戦争が悲しいということを知りながら、ひとは戦わずにはいられないのです。ですが、その不毛さを取り除くために、宗教がある。わたしたちの『光』がそうです」
フリッツとマルテは、半ば見つめ合い、半ば睨み合った。マルテの口調は、段々と悲しげに変わり、最終的には、声が微かにふるえ、彼女は泣いているのだろうか、とフリッツは思ったが、この大雨では、判然としなかった。
雷がまた閃き、マルテが陰に覆われた。その瞬間、フリッツの目には、彼女の両目よりスゥと伸びる二本の筋が見えた。その時に、フリッツは、彼女が泣いているのだと、はっきり悟ることが出来たのだった。
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