さまよえるフリッツ【完結】   作:Yuki_Mar12

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最終章
第442話


***

 

 

 

 名を呼ばれた気がした。眠りが覚まされ、わたしは目を開く。

 

 すると、ひどく古めかしい天井が見えた。頼りない板張りの天井。端部に腐りがうっすらと生じており、雨脚の強い日は雨漏りする。

 

 だが、ここはわたしの家だった。わたしと、わたしの母とがふたりでつましく暮らす。

 

「フリッツ」と名を呼んだのは、はて、母だったのだろうか。

 

 ベッドに横たわっているわたしは、寝返りを打つ。すると、別のベッドが、すぐそばに見える。

 

 そのベッドは無人なのだが、掛布団がクシャクシャに乱れていて、ひとがいた形跡が残っている。

 

 ――苦しい暮らしと共にあった小さいあばら家。わたしの母は農奴であり、日々酷使されていた。重労働を課せられる割に、大した報いがなく、わたしはなるべく母を手伝って援助していたが、苦しい日々に、終わりは見えなかった。わたしたちにとって、刻苦勉励は美徳ではなく、自分に対する苛虐でしかなかった。

 

 幼いわたしは、どうにかして明るい展望への血路を見出さなければという強迫観念に囚われていた。実際、農奴の生活に甘んじていれば、一生苦しい生活を脱することは叶わないのだった。農奴からの離脱は、強迫観念であると同時に、望みであった。

 

 わたしは後に、母とは死別してしまったけど、自己に対しては明確に、母に対しては暗々裏に、その望みの実現を誓って日々を、今まで生きてきた。

 

 亡くなった母は、果たして今のわたしを見てどう思うだろうか。わたしはあの当時と比べて――農奴の息子だった頃と比べて、自由になれただろうか。衣食住に困らないほどの財力を手に入れることが出来ただろうか。地位は、住まいは……。

 

 天上で見守る母に、自慢できるほどの成果をすでに得ているなどとは、わたしには到底言えなかった。

 

 空のベッドの乱れた掛布団は、母が労働に出かけたか、病死するかして失われたという事実を示唆しているようだった。すると、わたしにおいて、悲しさと悔しさが猛烈に込み上げてくる。

 

 わたしはうつ伏せになり、伸ばした腕に顔を埋め、頭痛に目をキツく瞑る。そうすると、徐々に不快感や劣情が和らぎ、誰かに肩に手を置かれることで、わたしはようやく、きちんと目覚めることが出来たのだった。

 

「フリッツ」

 

「ミア……」

 

 ベッドで悪い寝相で寝ているわたしは、顔を上げ、そばに立って心配そうに見下ろしている彼女の顔を見る。

 

「具合悪そうだけど、だいじょうぶ?」

 

「あぁ、だいじょうぶ」、とわたしは返し、半身を起こす。

 

 そうだ。わたしとミアは、宿に部屋を借りて一晩過ごしたのだ。

 

 結局、わたしたちはインベガにて、戦死したブレイズとエルを埋葬した。夜が明けてすぐの早朝、よく晴れて陽光が眩しいくらいの頃に、わたし、ミア、クロロ、そして少数の仲間達で、葬儀を執り行った。

 

 その後、ようやく権力争いを終えて戦争の後始末に着手しだした『光』と力を合わせ、町中に転がる屍を集めて運び、広いところに並べ、ひとりひとり、身元を明らかにするべく努めた。全ての死者の内、半分以上はインベガの者だった。わたしたちが進んで申し出なければ、インベガの者たちは、敵対者だということで、『光』によってほとんど生ごみ同然の扱いで処分されるところだったが、何とか阻止出来てよかったと思う。

 

 ブレイズたちの葬儀の後に、他の戦士者たちの葬儀が続いた。彼等の埋葬は、数が多過ぎて難しく、身に付けていたものを形見として穴に埋め、亡骸は焼却することにした。

 

『光』によって統治されることとなったインベガで、わたしたちは、決してひどい処遇を受けさせられるというわけではなく、服属を誓約し、『光』の管理下に入りさえすれば、権利を保障して貰えるということだったが、旅立つ気でいっぱいのミアが強い意志で辞退し、わたしは、彼女をひとりにするわけには行かず、彼女に協調して、いっしょに町を離れることにした。

 

『光』の者に、局外者になって、心細い生活を送ることになるぞと真剣に脅されたが、わたしたちは、いささか逡巡はあったが、最終的に、『光』の勧告を断るという決断を変えなかった。クロロは、『光』の管理下に入るつもりでいて、半ば心配するように、半ば冷淡に、わたしたちと別れ、一路平安を祈念してくれた。元々、彼はエルの小姓として『光』に属していたようなので、ある程度、すでに馴致していたのだろう。

 

 インベガを出たわたしたちは、あてどなく放浪するというのではなく、目的地があった。

 

 わたしたちが――わたしと、ミアと、そしてブルーノが――ゲールフェルト村の壊滅と、リーザ嬢の失踪した家族の行方を確かめる旅の途上で寄った、名もなき山中の村だった。コンラートさんや、メルさんがいる村だ。

 

 道中、宿を借りられたのは勿怪の幸いだった。今となっては、誰もが、最早フラッと立ち寄った宿に宿泊することさえ、所定の手続きが必要であり、つまりその手続きというのは、『光』の信徒であることを始めとした、身分証明なのであった。わたしたちは信徒でなく、証明など持ち合わせていないので、本来であれば、通常の倍以上の宿泊費用を求められるのだが、宿の主人の温情でまけて貰うことで、多くない手持ちの金銭を浪費せずに済んだのだった。

 

 宿に泊まるのは勿論、市場で買い物をするのだって、ギルドハウスで求職するのだって、『光』の信者であることの証明が要った。わたしたちは、居場所がないように感じられ、ひどく心細かった。インベガを去ると断言した時に『光』の者が警告した通りの状況に、わたしたちは陥ったというわけである。自業自得だし、わたしたちはわたしたちの意思でこうしているのであり、納得せざるを得なかった。世界中に『光』の力が浸透していっているとはいえ、どこかにまだ、“異教徒”たちの居場所があるはずだった。わたしたちはその場所の存在を信じたし、きっと、コンラートさんの村は、辺境にあるのだし、『光』の影響はまだ及んでいないだろう、と、わたしたちは踏み、目指していた。

 

 道のりは何となく覚えていた。結構時日が経ってしまっているけど、頭の片隅に、まだ過去の旅の模様が残っている。

 

 秋が深まり、温かさはずいぶん縁遠くなった。夜寒がひどく、わたしとミアは、ただ冷えを防ぐためだけに、寄り添い合った。

 

 夜が長くなったのが、精神的に辛かった。日の光を見、照らされれば、ある程度気分はよくなるものだが、暗く寒くなると、たちまち落ち込んでしまうのだった。

 

 

 

***

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