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わたしたちの行く森林の向こう側が開けてきて、わたしたちはとうとうメンドンに着くのだと嬉しさに胸を膨らませたが、わたしたちを迎えたのは、ひどく異様なところだった。
「何、これ?」、とミアが呆然として呟く。わたしも索然として、道を間違ったのかと思ったが、まだよく分からなかった。
広場付近の木々が、総じて黒焦げになっている。落雷の跡というには、広場を縁取るように焦げていて、無理があり、これは火事があったのだと断定せざるを得なかった。
そこがメンドンであるとわたしの記憶は示したが、広場を占めるのは、損壊した建物ばかりの、無人の廃墟だった。どの建物も、屋根や壁が崩れていて、まともに存立しているものは絶えてない。雨雲の垂れこめる暗い空の下で、あらゆる廃墟は焼け焦げた裸の木々と同様、真っ黒であり、火事の痕跡が際立っていた。
わたしの悟性は、これが自身のふるさとであると認めることを頑なに拒み、だが、わたしの記憶は、わたしの中ですでに、その事実を肯定していた。わたしは分裂し、肯定と否定とが激しく格闘していた。
地面のあちこちに、ひとが生活しないために、鬱陶しい雑草が思う様伸長し、はびこっていた。メンドンと思しき村は、緩やかに周りの森林と同化していっており、原初の姿に戻る道筋を辿っているようだった。
わたしは我を失って、馬の手綱を離し、朦朧とした意識で、トボトボと廃墟の中央に向かって歩いていった。
ようやく、長い空白を経て帰還したふるさとの姿は、凄惨だった。ただいまもおかえりもない帰還であり、わたしは全身の力が一気に抜け、その場に跪いた。
「フリッツ」、という声が聞こえ、馬を跳び下りたミアが駆け寄ってくるようだ。彼女はわたしの肩に手を回すと、肌が触れ合うほど近く顔を寄せ、わたしと目を合わそうとした。
長旅の間失くさずに持ってきたブレイズの形見に宿る彼の魂は、行き場を失い、宙を漂っているのだろうか。母親などいるはずもなく、彼女が住んでいたブレイズの帰りたがっていた家も、この廃墟の中にまぎれて識別不能である。
過去の温かい回想を胸に、その再現を期待してやってきたふるさとは、死んでいるも同然であり、辿り着けばそこからまた何かが始められるだろうと待望していた目的の場所は、行き止まりといってよいところだった。
「嘘だ」、という独り言が口を突いて出た。そして、言葉にならない咆哮が、静寂を切り裂いた。ミアは驚倒して怯み、わたしと距離を置いた。もしも思い切り叫ぶことで全て遠ざけられるのなら、わたしは喉が涸れるほど叫びまくったことだろう。だが、感情を存分に流露させても、廃墟は廃墟のままであり、すでに怯んでいるミアが、ますますおびえていくばかりだった。
「フリッツ……」
彼女が、水浸しの地面に四つん這いになるわたしを憐れむように見下ろしているようだ。
――こんな辺境のちっぽけな廃村には、さすがに『光』も興味を示すまいだろうし、そもそもこの場所が認知されているかどうかさえ怪しい。
このまま溶けて消え去りたい気分だった。だが、わたしの心臓は、悲しみや絶望のために盛んにドキドキしていたし、死は縁遠いようだった。
ふと、ピチャピチャとぬかるみを踏む足音がし、わたしは顔を上げると、ミアが歩いて行く姿が見えた。彼女は去るわけではなく、ブラブラしているだけのようだったが、わたしには遠ざかっていく彼女が失われる兆しと共に見え、思うようにならない体に鞭打って立ち上がり、彼女の後をやや離れて付いていくことにした。
雑草が好き放題繁茂する中を、わたしは、ミアの背後を、彼女と一定の距離を保って歩いていく。
そうすることは、おのずとこの廃墟のツアーとなり、雨雲で暗くはあったが、歩いてみることで、思い出されることが多々あった。
かつてはきちんとたっており、ひとが住んでいた住居のその在りし日の姿が、一軒の廃屋におぼろげにオーバーラップして見えたり、そこでわたしが母と共に労働していた姿が、草ボーボーの広い荒れた畑に見えたりした。
火事が人為的なものか、自然発生的なものだったのか分からないが、この焼き尽くされた焼け跡にも、まだ汲み取れるものはあるようだった。その辺に思い出の跡があり、足を運べば運ぶほど、ここが間違いなく自分のふるさとのあった場所なのだという確信が強められていった。
歩いていく内、わたしたちは雨と寒さに凍えてきた。流石に外気と雨に体を晒し過ぎたようだった。わたしとミアは互いに目線を交わし、どこかで雨宿りしたいという気持ちを暗黙の内に伝え合った。
一軒の廃屋があり、正直なところ、どの廃屋も大なり小なり風穴があいていて、雨風を凌ぐには足りなかったが、そこだけはマシだった。
わたしたちは中に入り、火口になるものも着火する道具も持たず、暗がりで、びしょ濡れのポンチョを脱いで脇に無造作に置き、屋根の穴より降ってきたり流れてきたりする雨を眺めながら、地べたに座っていた。
「分からない」、とわたしは呟いた。「『光』の気配はしないけど、あるいはここも、『光』にやられて、こうなったんだろうか」
「この草のはびこり様からすると、この村がこうなったのは、ずいぶん昔のことなんじゃないかしら」
と、ミア。
雨の降ってくる屋根の隙間より、頼りない生白い光が差し込み、濡れた床を淡く照らしている。
「火事があったみたい。確かに、コンラートさんの村は破壊されただけで、火を着けられた形跡はなかった」
「やめよう、フリッツ」
そう言って、ミアが頭を肩にのせてくる。わたしは目だけで彼女を見遣るが、暗くてよく見えない。
「もういいじゃない。ここがわたしたちの辿り着いた場所。荒れ放題だけど、『光』はいないし、他のひともいない。わたしたちが目指してた、まだ残ってる、わたしたちが生きてた世界の跡地」
「そうだね」、とわたしは返し、彼女が寄せる頭に、自分の頭をくっつける。「不毛な考えは、もうよすよ」
――そう言ったものの、わたしは頭の中で、メンドンが火事に襲われた過日を想像してみた。母は病死していないが、ブレイズの母は生きており、きっと、焼死するなりして、いなくなったのだろう。
仮にこの村全体を烏有に帰した大火事を生き延びた者がいるとしても、何かしら、身体的・精神的に、ダメージを負っているに違いない。
例えば、体中に大やけどがあるとか……。
わたしの脳裡に、ひとりの人相がよぎった。彼はザムエルという名の、禿頭の男だった。リーザ嬢がそう呼んだだけで、わたしが名乗って貰って知っている人物ではなかった。
彼の顔には、瘢痕があった。顔の半分ほどを覆うひどい瘢痕で、大やけどでもしない限り、ああいう風にはならないだろう。髪だって、すっかりなくなっているけど、元はフサフサに生えていて、火事で焼けることで、禿頭になったという可能性がある。
このザムエルという男と、廃墟のメンドンとは、互いに結び付けられるようで、だが、うまく結び付けられなかった。それは当然のことだった。こじつけない限り、わたしにおいては、ザムエルとメンドンの間に、繋がりなどないのだ。彼がどこの出身かなんてわたしは知らないし、印象の良くない彼の敵対者というイメージと、やけどを思わせるその顔の痕とが、わたしの中で都合よく組み合わされ、浮上してきただけなのだ。
リーザ嬢はどうしているだろう。マルテは、オットーさんは、クロロは……。
もう考えることも想像することも本当にやめにしよう。わたしは疲れてしまった。今日はここで休むことにしよう。ミアはわたしの肩で小さく寝息を立てている。明日になれば、雨は止むなり、雨脚を弱めるなりしているだろう。そうしたら、明日は母の墓に参りに行こう。母にだけは、ただいまという声をかけよう。後、ブレイズがいた形跡が少しでも見つかればいいのだが……。
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