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ブルーノの暮らす村というのは、そこそこ規模の大きい社会集団の一部であった。
その領土は広く、ブルーノの村のような小さい行政単位が周辺に散らばり、中央には権力の中枢があった。それぞれ互いに道を整えられて繋がった村々や町々を周りに配して、城塞があり、都市があった。隆盛し、領主がおり、政治を行い、勢力争いをし、覇権を求め権謀術数をめぐらしているのだった。
父がその配下にある軍の本部も中央にあり、今回のような遠征があれば付いていく。兵士のすべてが従軍するわけではもちろんなく、領土に駐屯し守備を固める兵士もいる。人選があるわけで、兵士を志望したものに選択肢を与えるのだ。しかしバランスというものがあり、どちらか一方が多すぎても少なすぎてもいけないので、その辺りの調整は新人の配属の決定権を持つ幹部にとって、頭を悩ませる種だった。
ブルーノの父は遠征を選んだ。とはいえ、彼はもともと駐屯兵で、村の警護と城塞での訓練が主な仕事だったが、妻と出会い、交流して結婚し、将来を考えるようになり、より多くの収入を欲するようになったという事情から、遠征軍への異動を申し出たのだった。
「しかし、いいのか」、とブルーノの父、マルティンは心配するように女に言った。「おれは確かにお前が好きだ。一緒にいて楽しいし、可愛らしいと思える。だが、おれは兵士だぜ。命を粗末に扱うようなやつが、誰かをちゃんと愛せると思うか?」
「妙な言い分ね」、と女……ティーネは怪訝そうに答える。「アンタがまず告白きたんでしょうが。それで舌の根も乾かぬ内に、何ですって? 結局アンタは、わたしに一緒にいて欲しいの? 欲しくないの?」
チッ、とマルティンは決まりが悪そうに舌打ちする。
それは、マルティンがまだ一兵卒で、まだ武器の手入れや騎士の使いっ走りをしている頃のことだった。
彼は生まれた村で育ち、さて自分でご飯を食べていかなければならないといった時期にやがて差し掛かり、しかし彼にはこれといった特技がなければ、教養もなく、適性のはっきりした仕事がなかった。そこでギルドに相談に行って勧められたのが、兵士だったのだ。――いつの世も侵略が行われるもので、侵略には人的資源がすべからく必要で、そしてそれはいくら多くても多すぎるということはなかった。
マルティンは兵士になり、村の警護を務めるため、まずは中央に赴いて通過儀礼としての訓練を経ねばならなかった。ティーネと出会ったのはその期間のことで、ティーネはマルティンとは別の村で生まれ育ち、都市には給仕として働くために移り住み、ある夜マルティンが連れ合いと共に自分の勤め先を訪れたことにより、ティーネは彼と縁あって知り合ったのだった。
マルティンはその時まだ一人として傷つけも殺めもしなかった。せいぜい握り慣れない剣の柄を握ることで出来たマメから血が滲むくらいだった。
舌打ちしたマルティンは目を伏せてもじもじし、ティーネはそんな彼を向かい側から机上に組んだ手の上に顎を載せ、探るようにじっと見つめているのだった。
彼らは都市の居酒屋におり、席について夜ごはんを一緒に食べ、そろそろ満腹になって、それまでの和気あいあいとした雰囲気がしっとりと落ち着いてくる頃だった。
スゥ、とマルティンのいやに緊張気味に息を吸う音は、周りに喧噪にまぎれて全く聞こえなかった。
「一緒にいて欲しいよ」
小声で言うのが彼には精いっぱいだった。
それがはっきり伝わったかどうか、定かではない。
しかし、ティーネは一呼吸置いた後、フッ、とやわらかく微笑んだのだった。