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ティーネは絶句していた。
ブルーノは母のその青ざめた顔色を、かたわらで、ただポカンと無感動そうに見ているだけだった。まるで父を見送る時のようだった。
父がまた村へと帰ってきた。
だが、今度は事情が変わっていた。
父はもう物言わなかった。妻に求愛の口付けをすることも、息子に戦争の嫌さを愚痴ることもなかった。
ただ、家の前にやってきた荷馬車の荷台に、静かに――最早息さえ聞こえないほど静かに、力なく横たわっているのだった。
「お気の毒です……」
荷馬車を中心に数人が隊を組んでいるような恰好だ。その内の一人が、気づかわしげにそう言った。彼らは総じて防具を着、武器を携え、要するに兵士だった。
「あなた……」
ティーネは、肢体が布にすっかり、まるで隠すように覆われたマルティンの、そこだけが剥き出しになっている首を見た。血の気のない顔では、二つの目が安らかに閉じられており、その相貌を見下ろすと、身も世もないといった具合に茫然としているティーネだが、急激に込み上げてくるものがあり、とうとう口を押えて嗚咽を漏らすようになった。彼女はその場にくずおれた。
父が死んだ。
誰もマルティンの死を言明しなかったが、ブルーノは、子供の低い視点から荷馬車の遺骸を間近に見て、そう納得した――というよりは、父の死が、月が夕空に霞みだすように、彼の心に深淵から浮かび上がってき、その事実の絶対性や、その悲惨さという光を、淡く照射したのだ。
兵士は戦う者であり、戦う者は生と死を争っている。殺すか、殺されるか。そういうシビアな二極の間で、兵士はその魂を燃やしている。
だから、そういうことから言えば、父は――マルティンは、その使命を全うしたのだ。仮に殺すことが勝ちで、殺されることが負けだとすれば、父は負けたのであり、失敗者であった。しかし、彼は最後まで兵士を貫き通した。確かに愚痴をこぼしてはいたけど、おのれを偽らずに、兵士というものに付随する責任を引き受け、果たそうとし、そして力尽きた。
「うぅ……う……」
地に手を突いて俯く母の陰に覆われた地面には、絶え間なく涙が落ちてしみこんでいく。
「だから、戦争は野蛮だって……」
「お母さん」
ブルーノは母のそばに寄り、肩を抱いた。
「旦那様は果敢でしたが、殉職することになってしまわれました。しかし、わが軍は最終的には勝利しました。旦那様の犠牲は決して無駄ではありません。お力落としのことと存じますが、あまり気を悪くなさらないでください」
兵士のその慰安が、悲しむ母に対してどれだけ有意であったかは分からない。ティーネは亡くなったマルティンを想い、いつまでも泣いていた。
だが、覚悟していたことではなかったか? 彼と出会った時点で、彼の仕事が命に関わるものだと知った。しかし彼と相思相愛になり、連れ添い、ひとりの子を設けた。それは、彼がこういうことになるかも知れないという認識のもとですべて成されたのではなかったか? 彼が都市の居酒屋で照れながらも言い切ってくれたプロポーズの言葉に、微笑んで返すだけだったが、内心でははちきれんばかりの大きな喜びがあり、彼を信じようと、そのリスクも込みで、受け入れることに決めたのではなかったか?
マルティンは程なく埋葬され、墓に入った。喬木に覆われた墓地で、一隅にはクスノキが生え、幾つかの墓石をみずからの陰にやさしく包み込んでいた。