さまよえるフリッツ【完結】   作:Yuki_Mar12

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第54話

***

 

 

 

 木陰で縮こまって、疲れや、寒さや、心細さから、ブルーノは意識が朦朧としていた。

 

 新雪に覆われた見渡す限りの銀世界。

 

 目蓋が開けていられないほど重い。うっかり閉じて体が傾きかけると、ハッと飛び起きで、腕の肉をつねり、その痛みで、途切れようとする覚醒状態をかろうじて保つ。いっそ眠ってしまえばいいという誘惑の波が、彼の意識、生命、自我をじょじょに侵食していく。

 

 そういう中にあって、彼のぼんやりとした目には、見えるものがあった。青い空だった。

 

 

 

 父が死んで、自立への必要から、仕事を始めようと意を決した。選んだのは兵士だった。ギルドの紹介だった。母は断固反対したが、難関とされる試験をパスすれば軍学校に無償で通えるというので、とりあえず挑んでみたら、案外成功した。

 

 家を離れ、規律で縛られた寄宿生活に入ると、何をやってもガミガミうるさい厳しい教官の監視のもと、兵士となるための指導に励んだ。仲間がたくさんおり、打ち解けられる相手がいれば、馬の合わない相手もおり、しかし集団生活を余儀なくされるので、教官の指導以外でも、ちょっとした処世術や、忍耐を覚えることになった。

 

 あの日の青空。トビが高く飛び回っている秋晴れの天涯を見上げ、軍学校に入ったばかりのブルーノは、何となく、激励でもされる気分だった。

 

 これから始まるのだ。いよいよ、これから……。

 

 学校では知性を高めるよりかは果然、肉体を鍛錬するほうに力が注がれ、そしてその鍛錬は仮借なく厳しかった。教官は口やかましい上に乱暴で、何か失態を犯せば、傷痕が残るほどにぶたれたり蹴られたりし、また罵倒され、嘲弄され、嗤われた。そういう処遇に耐えられず体も自尊心もズタズタになって途中でリタイアするものはたくさんいたが、ブルーノは他に何もなかったので、どれだけ苦しい思いを嘗めようと、ひたすら忍び、受難の時を切り抜けた。目的があったのだ。母、ティーネを支えてあげようという目的が。

 

 石を担いで走り回るという訓練があった。肩に載せて走るのだが、これが重たくて堅いので、極めて難しく、苦しく、加えて、危険だった。

 

 屈強なものはそれでも石を落としたり倒れこんだりせず走ったが、ブルーノはしばらく走った後、我慢出来ずに石を肩から落っことしてしまった。

 

 青空だった。

 

 教官の怒号が響いて来、駆け寄ってくる足音がだんだん大きくなってきたかと思うと、訓練のあまりのつらさに意識がぼんやりしているブルーノは、足蹴を受けた。

 

 彼は仰向けにされ、喉の下の辺りを靴で踏み付けられ、息が苦しかった。よだれが口の端より垂れ、気が遠くなった。

 

 教官が何か呶鳴っているが、意識がはっきりせずよく聞き取れない。喉を圧迫されているせいだった。

 

 彼の目は、その時、教官ではなく、その奥の、空色を見つめていた。冴えたブルーだった。仰向けになって眺めるその青空に、亡くなった父と、まだ生きている母の姿を見た。父は決まりが悪そうに苦笑いを口元に浮かべており、母はやつれて、面立ちが翳りを帯びていた。

 

 これから始まるのだと、ブルーノは思った。本当の生活が、これから始まるのだと。そしてその生活は、じぶんで作り上げ、律し、維持するのだと。もう父はいない。じぶんでじぶんを養い、また、母をも養ってあげるのだ。

 

 教官の靴がようやく喉を離れ、ブルーノは深呼吸し、生き返るようだった。だが、そんな安堵も束の間、今度は頬に足蹴を食らい、彼は、口から出血した。

 

 気の毒そうに彼を見るものがいれば、面白がって嘲笑するものもいた。

 

 思い出の空は、どこまでも青かった。

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