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それは不思議な光景だった。
だが、光景というにはずいぶんと不明瞭であり、背景もなければ前景もなく、茫漠としたただの色彩の広がりであった。ぼんやりとして淡く、はっきりとした輪郭はないけれど、徐々に目の前へと広がって包み込もうとする、神々しいとまで思わせる、光明だった。
夢だったのだろうか。
ブルーノは目覚めたが、だいぶん長く眠っていた感じがした。
まず頭痛がし、体が思うように動かなかった。
彼の頭はまだ寝ぼけていてよく回らず、快適にしつらえられた暖かいベッドに寝ていることをおかしいと思うまで、ちょっと時間が必要だった。
「……?」
ブルーノは上半身を起こして辺りを見回し、彼の目に、まず窓が目に入った。日中だろう。日が差し込んでいるが、弱弱しく、よく見ると、外に雪が舞っているのが見えた。
窓はアーチ型だったが、カラフルで鮮やかで、ステンドグラスというものだろう。着色したガラスを集めてアートにしたものだ。聖母らしきシルエットがあしらわれている。
燭台があり、ろうそくがそのてっぺんに立っている。椅子があり、その他の家具調度があり、花瓶に花が活けられている。
その部屋は、どこかは分からなかったが、少なくとも、ブルーノを不安にさせるよりは、むしろ安心させ、くつろがせるものだった。
コンコン、と音がした。ノックのようだった。
ブルーノの返事を待たず、扉が開いた。
「お目覚めですか」
少しだけ開けた扉の隙間より窺うように老人が顔を覗かせる。着ているのは真っ黒な服だった。
ブルーノが茫然としていると、老人はニコッと警戒を解くように笑いかけ、「失礼します」と入室した。
彼は椅子をベッドのそばに持ってくると、そこに座り、ブルーノのベッドの上の手に、じぶんの手を添えた。
「ヨハネスといいます。この教会で神父を務めているものです」
「ヨハネスさん……」
ブルーノは、彼のしわの刻まれた髪の白い顔を見るともなしに見つめた。優しい人柄を偲ばせる面立ちで、ブルーノは自然と彼の人物に興味を持った。
「きっと戸惑っていることでしょう」
「ぼくは……何があったんでしょう?」
「あなたは倒れていました。森の中で」
「……」
ブルーノは、その時のことを回顧した。そして、彼がもう死のうとしていたこと、死ぬより他はありえない窮境にあったことを思い出し、今こうして暖かい部屋にゆっくりしていることが、にわかには信じられなかった。
「ですが」、とヨハネスが言う。「幸運でした。それも、奇蹟と呼ぶにふさわしい幸運でした。わたしは助祭を連れてある村の魂を癒しに行っていました。女性でした。寿命だったのです。しかし彼女は独り身で、誰も顧みませんでした。葬ってくれる親族がいなかったのです。村長がその死に気付いてわたしに知らせました。そして、わたしは彼女の亡骸を訪ね、鎮魂し、葬送しました」
窓の外で、雪は小止みなく降っている。
「その帰り道でした。我々は発つのが遅くなり、出来れば村に留まって一夜過ごすのが安全でした。しかし、わたしの教会を空けておくわけには行かず、元々日帰りの旅の予定で、更に日暮れ前にはギリギリ帰れそうだという予測が付いたので、帰ろうとしました。ところが、不測の事態として、雪が激しく降り出しました。辺りは暗くなり、方角が分かりにくくなり、また、雪は降り積もり、足取りが鈍くなりました。やがて夜になり、しかし、道順は分かっている。先に進むだけだと、帰路を辿る途上、あなたを見つけました。初めは倒木でも転がっているのかと思いました。雪を被っていたのでね。しかし何か妙だと思い、確かめてみれば、ひとだったというわけです。びっくり仰天でした」
ブルーノは絶句した。彼はその時、もう死んだも同然の状態だったのだ。
「てっきりもうお亡くなりになっていると悲しく思いました。わたしは神父です。ひとの魂を癒し、導くのが仕事です。野垂れ死にしたひとの魂も例外ではありません。新たな仕事だとわたしは意気込み、神へ慈悲を乞おうとしました。しかし、驚くべきことに、あなたは生きていたのです。脈があり、体温があり、心臓が鼓動していました」
ヨハネス氏はニッコリと笑った。まるで死の運命をからがら回避した幸運者を祝福するようだった。
確かに、生き延びようとした、とブルーノは思い返した。
その意志が、大きな口を開けた恐るべき死の淵を超え、今に繋がったのだ。
だが、なぜ? じぶんは、死ぬべき運命にあったのではないのか?
……その意味を覚知するには、彼はまだ、時間やら何やら必要なようだった。