第57話
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「ブルーノ?」
何度目かの呼びかけで、ようやく馭者席の彼は気付き、首だけで振り返った。ところが、なお彼は、何がどうなっているのか分からず、寝ぼけた犬のように、ポカンとしているのだった。
「どうしたの? 何か、考え事?」
「……あぁ。まぁな」、と彼は、どこか白々しい口ぶりで答える。
「無視して悪かった、フリッツ」
「いいよ。別に」
ブルーノは正面に向き直り、フゥと、肩を落としてため息した。彼の意識は、今は戻ったようだが、いったいどこに向いていたのだろう。
ぼくは彼のどことなく悲しみを帯びた後ろ姿を、幌の中から眺めた。やがて気付いたのだが、ぼくの向かいに座るリーザ嬢も、窺うようにブルーノを睨んでおり、彼の隣で馬を操る執事のコンラートも、瞳だけ動かして、その動向を探っているようだった。
騎士たちとの邂逅の後、馬車はどんどん進み、平原を超え、丘陵を上り、眼下に集落を遠望し、やがて陸橋の手前まで来た。
「ごきげんよう」
関所の前まで来、ぶっきらぼうな警備の番人との挨拶を適度に済ますと、通行税と旅の目的を求められ、ブルーノは令嬢の護送だと答えて料金を払い、馬車はいよいよ、陸橋と同じ石で出来た門を潜り抜けた。
橋の上は、すごかった。とにかくすごいのだった。
まず陸橋は巨大だった。それは遠くから見ながら来たから分かっていることだった。しかし、実際に渡ろうとしてみると、緩やかにカーブを描いて彼方の丘陵まで伸びるその長大な距離に驚かされた。
何より目を見張るべきは建築だった。加飾されていて豪華だったりするということではなく、これだけの規模の橋を基礎から造り上げたということが信じられなかった。
ぼくらは陸橋の片方の終端へと至り、関所を通ってきたわけだが、それはとどのつまり、境界を越えたということであり、この陸橋を建築し、管理しているこのぼくらのいる領域には、きっと絶大な力と富を持った支配者がいるに違いない。みずからの領土に、たくさんの村と町を抱え、たくさんの税収を吸い上げているに違いない。ぼくらが昨夜泊まった村には風車があって、けっこう感心したものだが、その感心はこの陸橋へ上ったことにより、あっさりと上書きされてしまった。
陸橋付近から何か様子が違っていたが、それは、やはりこの橋が街道でよく整備されているということからか、人通りが盛んになったということだった。
武装した兵士に、荷物を縛り付けて運ぶ牛、ぼくらと同じ荷馬車など、すれ違う顔ぶれは様々だった。
高所なので、風が強い。幌に当たる風が音を立てる。目線の先は、見下ろされる草木の青々とした土地と、青空が占めている。何か清々しい気分にさせる風景だった。
――だが、ぼくはあるものを見つけた。いや、それはずっと遠くの原っぱのものであり、あるいは空目かも知れなかった。
人が群れている。うじゃうじゃと揉み合ってそれぞれ蠢き、土埃を上げているように思える。遠くへ逃げるように走る馬の姿があり、何か細かいものが飛び交っている。
戦争をやっているとブルーノが教えた。そしてぼくらは実際、戦闘員たる騎士たちと出会った。
あれは戦争なのだろうか。あそこでは殺し合いが行われているのだろうか。
そう想像すると、それまでよい気分で見上げていた空が、にわかにその明るさをうさんくさいものにし、ぼくは血のにおいを鼻に嗅ぐ気がしたのだった。