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夕食のデザートのリンゴは甘酸っぱく、清々しい味がした。ぼくも母も異口同音に美味しいと賞美し、日頃質の悪い食べ物に慣れた舌と胃袋を感嘆させた。
生活のためにと、食事の時ギリギリまで織機を動かしていた母は、静かに、集中して、我慢強く、糸を布へと丹念に織り上げていった。
その様は、堂に入り、見事であり、しかし同時に、何か憐憫を感じさせる雰囲気を醸し出しているのだった。
比較的満たされた気持ちでその夜ぼくは床に入った。母もリラックスした様子でほとんど同じタイミングでベッドに横たわった。
おやすみ、の挨拶と共に、ランプの火が消え、部屋はあまねく暗闇が下り、静まり返った。
ぼくと母のベッドは、狭い部屋に隣り合わせになっている。
母はぼくより早く寝付き、ぼくは母の後ろ姿をぼんやり眺めていた。
だんだんと暗闇に慣れていくぼくの目、眠たさはちゃんとあり、じきに意識が途切れることを予感したが、ぼんやりしたその目で、ぼくは母の向こうを向いて寝るその後ろ姿を見た。
よく見ると、母の長い髪に、白い斑点のようなものがあると分かる。だが、母はまだ白髪頭ではなかった。
ぼくはあぁ、と合点が行き、ムズムズした心地になる。
その白い斑点は、シラミなのだった。
痒くないのだろうか、と思うと同時に、そろそろお風呂に入りに行くべきだという風にも思う。
この辺の地域はよそと比べて水量が豊かで、衛生設備が整っている。
さすがに一軒一軒にお風呂が備わっているというわけにはいかないが、お金さえ払えば、お風呂屋さんでお風呂に入ることが出来る。
冬場は汗をかきにくいのでよかったが、春を迎え、日中は汗ばむくらいの気温になることが多く、そういう中でぼくらは体を使って働いているので、汗をかき、汚れることが多い。
明日はちょうど休みだし、母をお風呂屋さんへ誘おう。
ちょっと楽しみに思う気分で、目を閉じたが、目蓋に映る母の寝姿の残影が、妙な不吉さを伴ってぼくを不安にさせた。
何度か見たことがある。いたずらに殺された野犬の亡骸。お金も体力も身寄りもなく、道端でぐったりと倒れている老人。病人。
もうピクリとも動かない。あるいは血を流し、あるいは得体の知れない体液を流し、顔を覗き込めばその圧倒的虚無で震撼させる死相が満面を覆っている。
何をバカな……。
母は寝ているだけだ。後ろ姿だけで顔は見えないけど、寝息は聞こえるし、詳しい説明は出来ないけど、生命の気配を感知するし、部屋の空気を伝わってくるごく微かな拍動がある。
死んでいるものは何も出さない。気配もないし、温度もない。死んでいるものはイコール虚無であり、それを通して垣間見える生ある世界の裏側へのいわば穴なのだ。不気味なもので、だから人はその穴を塞ごうとするのだ。
だけど、なぜ?
ぼくは母の姿の向こう側に、恐ろしい、その虚無が見える気がした。