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何とも落ち着かなくさせる一夜を明かし、たまの休みの日を迎えた。
木組みの巨大な桶からもうもうと湯気が立っている。
ぼくは風呂屋さんへと来ていた。もちろん母を連れ立って来たが、男女で浴室が分かれているので、今は一人だ。
お風呂屋さんは、大量の水が必要であることから、川べりにある。うちからはそれほど遠くなく、いざという時に便利だと思う。
風呂屋の主人が、お湯が沸いたと客の呼び込みを始めてから程なく入浴に来たので、沸き立てのお湯で、入浴すると、熱湯の温度で体中がカーッと熱くなるのだった。
生き返る心地だった。体がほぐれ、肌に付着した汚れがお湯に溶け去っていくようだ。
朝ごはんを食べてすぐのことだった。母とは落ち合う時間を相談し、だいたいその時機を見計らって、出るつもりだ。
お湯に体が慣れた頃、別の湯桶に入浴する者と目が合った。成人した男の、何か疑うような目つきであり、せっかくの快さが損なわれるというものだ。
「……。」
見て見ぬ振りを決め込み、じっと黙っていようと思ったが、そうは行かぬようだった。
「おい、お前」
「はい」
明らかにぼくを指していたので、無視できなかった。
「お前、まさか病人じゃないだろうな」
「病人? ぼくが?」
「……いや」
お湯にどっぷりと浸かり、湯桶に組んで腕に顔の下半分を隠すようにしてぼくを半ば睨んでいる彼は、そう呟いて目を瞑ると、「悪かった」と平謝りした。ぼくは何が何だか分からなかった。
「悪意はなかったんだ。すまん。ただ、ちょっとばかし気になってな」
くすんだブロンドの、くせのあるショートヘアが彼の頭だった。
「気になった、って、何がです?」
「お前知らないのか? ここ最近、やたら死人が増えてるんだぜ。葬儀屋が大忙しさ」
そんな話を聞いた覚えはなく、ぼくは「いや」、と腑に落ちない風に答えた。実際、誰かの訃報に遭うことは、皆無ではなくとも、多くはないはずだ。
「俺も人づてに聞くだけなんだがな……」
だが、思い当たる節がまったくないかと言えば、そうでもなかった。そういえば、日頃見慣れている人を見かけないということが多い気がする。隣近所、仕事先の農場。しょせん関係の希薄な相手なので、特に関心を持たず、考えたり案じたりする機縁がなかった。
ぼくは嫌な気配を滲ませる彼の話の続きを待った。
「実は」、と彼は言う。「流行り病が来てるんだってよ」
「流行り病?」
「俺も身近にはそれに罹ったやつがいないから詳しくは知らないんだが、その病になったら、高熱が出て、体が真っ赤になって、あっという間にポックリ逝っちまうんだってよ」
男は「おぉ、こわ」、と目を見開いて話を結ぶと、ザブンとしぶきを上げてお湯に潜り、その後すぐに上がってきた。
「まぁ、お前は」、と頭からずぶ濡れの男は言う。「確かに体が真っ赤だけど、そりゃお風呂に入ってるんだもんな。当たり前だよな」
「……。」
ぼくは無言だった。
仮に、ぼくが心当たりのなくもない最近見かけなくなった人たちが全員、彼の言う噂の流行り病で亡くなったのだと考えると、それは多すぎると思った。
一人二人ではないのだ。確かに路傍の石に過ぎない関係ではあれ、顔なじみの相手なので、いなければ気が付くし、どうしたのかと気を利かせてもバチは当たらないだろう。
ずっと口を噤むぼくを、男は、段々と怪訝に思う目で見るようになるのだった。