記憶の切れ端
「凄い……広い……!」
晴天の如く見渡す限り広がる敷地、そのなかに堂々と天を裂くほど聳え立つ宮殿……と見間違える程荘厳な校舎を中心に様々な建物が並んでいる。その壮観さは1つの首都レベルだ。そしてその景色に馴染むように、周りには全体的に白色を基調とした制服を纏う沢山の女の子達が……皆麗しく、例外なく全員頭部から天使のような輪を浮かばせ、背や腰、頭部から羽が生えていたりと特徴的な者も居る。少女達はまだ早朝ということで、時間に余裕があるのか雑談をしたり備え付けのベンチで読書をしたりと、各々自由に過ごしている。
「いい?はぐれないように手は離さないようにね。これからトリニティ総合学園初等部の生徒としての所作を、お姉ちゃんが手取り足取り教授してあげるから、しっかりと聞くこと」
圧巻とも言える風景に見惚れていると、落ち着いた――しかし芯のある強さが籠った声に引き戻される。
握られた手の先を見上げるとそこには……梳いた淡いブロンドのロングと春風に揺られる純白の羽を持った少女――桐藤ナギサがいつになく真剣な眼差しを向けていた。
「……っ!」
どうしてもこれには慣れない。この
「ナギちゃんそんな硬いこと言わない!ナズちゃんが緊張しちゃうでしょ?」
と、そこへ助け舟がやってきた。桜を想起するピンクの髪をサイドに結んだお団子と、半袖にして露出した陶磁器のような二の腕、そして例に漏れず腰から生えた羽――聖園ミカが空いていた片側の手を取り、
「ミカさんが弛み過ぎなんです!いいですか?もう私たちは下級生ではないのですよ?中級生として……」
「あーはいはい。中級生として自覚を持ち、トリニティ総合学園の模範的生徒としての手本~……でしょ?いくらなんでも早すぎるよ?まだ上級生じゃないのにさぁ」
「いえ、早すぎるなんてことはありません。だいたいですね」
「わかったわかった!……あっ!じゃあさ私も案内するよ!この学園の先輩としてね」
話を無理矢理切り上げ、任せなさいと自信満々に手を当てながらも……その顔にはニヤニヤと妙案、いや企みが湧いた笑みを浮かべている。
「いえ、まずはナズサの姉である私がその責務を……ナズサいいですか?まずは勉学の基本である教室から……」
「はーい!じゃあまずはオススメの売店を案内しちゃいまーす☆ナズちゃん付いてきて!」
そのままナギサから逃げ出すように手を引っ張り、グングンと距離を離していく。
「ナギちゃん置いてっちゃうよー!」
「待ってください!ミカさん!」
***
皆さんはブルーアーカイブというゲームをご存知だろうか?
透き通るような世界観の学園都市キヴォトスを舞台とし、様々な学園の個性豊かな生徒達が銃火器片手に繰り広げる群像劇。王道の青春の物語だ。
その物語の中に一つ、エデン条約編というものがある。あらすじとしては、キヴォトスの三大学園であるトリニティ総合学園とゲヘナ学園が、過去の因縁を払拭し、無意味な争いを避けるために不可侵条約を締結する。と、青春の二文字からはかけ離れたドロドロの政治が舞台になっている章がある。
その物語を織りなすキャラクター達は本当に魅力的で、全員が主人公と言っても過言ではない。
今までの日常を舞台にした物語とは一変。様々な思惑を胸に動く平和を願った条約。阻止しようと追ってくる過去の因縁。陰謀に巻き込まれていく無辜な少女達。迎える最悪な顛末、何処までも続く怨嗟と絶望……しかしそこでは終わらない。諦めない。一人の“大人”が動き出したことにより、物語は続き
そして気付く。忘れていたごく当たり前の、しかして難しく尊い大切な想い。苦難を経て、生徒と先生が掴み取る
そのギャップ、裏切らない胸熱展開の均衡を上手く調和した物語はブルアカ屈指のストーリーと言えるだろう。
本当に素晴らしいんでぜひやってください。
そんなエデン条約編に俺には一人推しキャラクターがいる。あ、もちろん全員が推しではあるのだが、そこは自重し敢えてここでは1人だけPUしたいと思う。
桐藤ナギサ。
トリニティ総合学園の生徒会長ティーパーティーのメンバーであり、エデン条約の締結を担う重要な人物。
穏やかな口調と性格。趣味は茶葉収集とお菓子作り、庭の手入れとTHE お嬢様と言った出で立ちの彼女は、条約を阻止しようと企むスパイの情報を嗅ぎ付け、やがてその責任感の強さと大義、そして疑心暗鬼に支配されやがては悪辣な手段も辞さなくなってしまい……大切な友を傷付けてしまった。
はっきり言ってしまうと、エデン条約編でのナギサは恐らく多くの人があまり良いイメージを抱かなかったと思う。疑わしき者を集めた補習授業部をゴミ箱呼ばわりし、横暴と言えるような手段を講じて徹底的に補習授業部の邪魔をしてきた。その姿は悪女にも見えただろう。
しかし、先生と、友と、幼馴染にもう一度向き合うことで。信じるという大切な事を思い出し、未来へ踏み出すことができた……のだが、ひとつ彼女は大きな傷を……
それは大切な友である……阿慈谷ヒフミ。桐藤ナギサの数少ない友であり寵愛しているその人物だ。原因は、とある
ナギサがスパイに狙われているとの情報を掴んだ補習授業部は、その日諸事情により独り身になっていたナギサを助けに向かった。
そんなことを知る由もないナギサが、現れた補習授業部のアズサとハナコに指揮官は誰かと問うた時にハナコが伝言として放った一言。
「あはは……えっと、それなりに楽しかったですよ。ナギサ様とのお友達ごっこ」
その口調は阿慈谷ヒフミのものだった。
ナギサは本心として、ヒフミだけはスパイではないと思っている節があった。
確かに容疑はかかっているが、あんなにも優しくて頼りになるヒフミが……そんなハズ……。
実際、それはハナコによるただの意趣返しのようなものであり、その後誤解も解けたのだが。その衝撃的なセリフはナギサ様の脳を破壊してしまった。
お茶を嗜んでいる時にふと、「あはは……」とヒフミの笑い声がフラッシュバックした時には、思わず含んだお茶を吹いてしまうほどには症状は深刻だった。
それを機に一躍悪役キャラから早変わり、気品さを持ち合わせながらも
しかも、実際に彼女が疑いをかけた補習授業部は、誰一人として裏切り者ではなく(スパイはいたが裏切り者ではない)真犯人が判明した際の顔は……ちょっと余りにも
……そこで俺は気付いてしまった。
女の子には笑顔が似合う。それには異論は一切無いが……それと同時に曇った顔も似合う、と。
重く暗い曇天があるからこそ青々とした晴天が輝くように。笑顔の添えに曇れば曇るほど輝きは増す。
エデン条約編はこれを絶妙なバランスで兼ね備えているからこそ、人々を魅了しているのではないか、と。
そんな一般性癖オタクだった俺は、あろうことかブルアカ世界にTS転生した。
しかも、桐藤ナギサの妹として……となったらやることは1つしかない。
そう、これは神が告げている。
すこーしだけナギサ様をいぢめて、すこーしだけ曇らせて……ナギサ様の脳を破壊せよ。と。
***
「そんなに膨れっ面しないでよ~悪かったって」
「許しません……私の話を聞かずに妹を勝手に連れ出して……挙句、まず最初に教えるのが娯楽だなんて……いいですか?私たちはここで学びを」
「え~でも、美味しいよ?ね、ナズちゃん」
「うん!ミカちゃんありがとう!とっても美味しい!」
春になり、遂に今年からトリニティ総合学園に入学した妹、桐藤ナズサに姉としての良いところを見せようと張り切ったものの、幼馴染のミカにその出番を奪われたナギサは、にこやかにパンケーキを頬張るナズサを複雑な心境で眺めていた。
「ナギちゃんも食べよ?」
「私は結構です。既に朝食を済ましてますので」
黄金色のハチミツを垂らし、バニラアイスとふわふわのパンケーキを頬張る2人を見ていると食べたい気持ちは山々なのだが、そこはナギサのプライドが許さなかった。
しかも今日は朝から張り切って二人を叩き起こしたので、時間もまだまだ余裕があり急かす事も出来ず、二人がゆっくりと食べ終わるのをひたすらに待つしかない。
「あ、走り回ったから髪が乱れているわ……ほら、ナズサ。お姉ちゃんが直してあげる」
漂う焼きたてのパンケーキの匂いに、素直に食べれば良かったと後悔していたら――折角いつも以上に気合いを入れてセットした、ナズサのお団子ハーフアップが崩れている事に気が付いた。
最近のナズサは幼馴染のミカの自由奔放な言動や仕草に影響されて、性格も似てきてしまっているのがナギサの悩みだった。それらをこの入学を機に改めさせ、もう一度自分を手本にさせようと計画していたのだが、初日からこれでは先が思いやられる。
「お姉ちゃん、ありがとう!」
……そんなに邪気のない笑顔を向けられると叱るものも叱れない。
「……動かないで。もう少しで終わるから」
肉親の証である自身とそっくりの、少しくせ毛のついたブロンドを梳く。お団子に関しては、ミカが勝手に作った際ナズサが気に入り、以降必ずセットするようにしている。絹を扱うよう丁寧に慣れた手付きで結いながら、ナズサとミカと送るこれからの学園生活に思いを馳せる……ミカだけでなく、元々そういう節があったのか、ナズサも最近はそういった面が目立ってきた。そんな二人に振り回されるのが容易に想像出来る。……苦労するだろう。そしてそれ以上にきっと楽しい。それも悪くはないかもしれな…………。
「ホント、シスコンだねぇ」
前言撤回。やはりこのままではダメだ。この人に妹を任せてはいけない。というか、ナズサだけでなくミカさんもしっかりと教育して矯正しなければ。
「……ミカさん?そのパンケーキ私が食べさせてあげましょうか?」
「ヒエッッ……な、なななんでもないです!」
そこからの生活は本当に楽しかった。
三人でのお茶会やショッピング、集まって試験対策の勉強。何でもない当たり前の学生としての生活が続いていた。
偶に些細なことで喧嘩に発展したり、案の定問題行動を起こした二人を叱ったりと、決して良いことばかりではなかったが、それでも一緒に居て楽しかった。
大切な友達も出来た。どうしても硬い言い回しになってしまい、距離感を置かれがちな私にも優しく接して、時には相談にも乗ってくれる努力家で可憐な友達。
最近はエデン条約の件で業務に追われる日々が続き、なかなか時間が取れずゆっくりお茶会を開くことすら出来ていないが、それももう少しの辛抱。この条約が締結されればまた元の日常に戻れる。
そしたら今度はセイアさんも誘って、折角仕入れたのにまだ使えていない特製の茶葉とお菓子で迎えて、みんなでゆっくりお茶を楽しみたい。
そんな機会は訪れないとは露知らず、当たり前だった日常は、なんてことない子供心、信心を疑わざるを得なくなり深まる誤解、そしてただ救い救われたかったひたむきな情と、芽生え積み重なった怨嗟によって瓦解した。
這いよる昏い翳に取りつかれた少女達は、前提を疑い、相手を疑い、思い込みを疑い、真実を疑うような……悲しくて、苦しくて憂鬱になるような。それでいて後味だけが苦い未来へ向かっていた。