遂に辿り着いたエデン条約当日。
空は歩み寄る両校を祝福するが如く雲一つない快晴であった。
カーテンの合間を縫って差し込んだ陽光と枕元のアラームが響き、モゾモゾと布団の中でうごめき寝ぼけ眼を擦りながら起き上がるナギサ。
その姿はティーパーティーの重役として決して人前に晒してはいけない体たらくであったが、ここにはそれを咎める者は誰一人居ない。
天蓋付きのキングサイズベッドにちょこんと鎮座するナギサ。ティーパーティーの重役となってからはあまり家に帰宅することはなく、与えられた部屋で泊まり込むのが日常となりつつあった。
「…………」
いつからだろうか、ベッドの領土を奪い合わなくなったのは。
それは当たり前の成長である筈なのに……と、僅かな物寂しさを意識したとたん妙な気恥ずかしさに襲われ、衝動的に洗面台へと赴き振り落とすように冷水をぶっかけた。
洗顔を済ませ寝間着のままリビングへ出るとそこには……未だに見慣れない給仕服に身を包み、ワゴンに並べられた朝食を配膳をするナズサの姿があった。
「あっ……」
ナギサの起床に気付いたナズサが可細い声を上げた。
目を合わせたまま無言が続く。外からちゅんちゅんと鳴く鳥の鳴き声が、やけにうるさく感じた。
「……おはようございます」
3回目の鳴き声が聞こえると同時に、一切の気まずさを感じさせない所作で恭しく一礼をし挨拶をするナズサ。
一瞬粗相があったものの、それは付き人として散々注意してきたあるべき理想の姿であった。しかしナギサは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、深々と頭を下げるナズサを素通りして席に着いた。
本来ならば付き人であるナズサは、主であるナギサの食事が済むまでは自身の食事を控えるのが通例であるが、ナズサはそんなことお構いなしにと毎朝一緒に朝食を摂っていた。
それはトリニティの生徒として────ティーパーティーとしてのしきたりを重んじ、しょっちゅう叱りつけてくるナギサに正面切って喧嘩を売るような行為であったが……この毎朝の営みだけは一度たりとも小言を貰うことは無かった。
ナズサの言葉に静かに頷き、時に返しながら進む一日の始まりを感じさせる少し騒がしくて暖かい朝。そんな何気ない日常の1ページから、ナギサはどれだけの英気を養っていたのか知らなかった。
────カチャカチャ、とナギサによるホローウェアとカトラリーの心地よい音色のみが場に流れる。椅子に着き純白のテーブルクロスの上に並ぶ食事達を口に運んでいるのは、ただ一人だけ。
「…………」
「…………」
ナズサは部屋の隅で瞼を閉じ、静謐にナギサの食事の終わりを待機する。二人の間に会話は生まれない。そこに在るのは姉妹ではなく主と従者だった。
だがそれは至って当たり前のことだ。ここではこれが伝統であり普通だから。ナギサもそれを重々承知していた。なのにいつまでも自由奔放な二人組に何度も何度も言い聞かせて、それでも中々に正そうとしないナズサとミカに辟易して────しかし結局残っていたのは居心地の悪さだけだった。
食事を終えたナギサは身支度へと入る。時間はまだまだ余裕があったが備えあれば憂いなし。それに今日はトリニティにとって……ナギサにとっても重大な日だ。普段よりも更に身なりに時間を割く必要がある。
とは言っても特別なことはしない。だが問題があった。
事前にクリーニングへ出していたビニール袋に包まれている
「…………」
すっすっ、と櫛で髪を梳いていく。あのクーデター以降二人の間には険悪とまではいかずとも気まずい空気が流れており、こうして鏡の前で密着し女の命とも言われている髪を触らしているも、二人の距離は離れていた。
ナギサは妹と幼馴染の裏切りに……ただただショックであり、そして怒っていた。
不安に駆られていた自分にかけてくれてた言葉は嘘だったのか、どうして一度足りとも自分に相談してくれなかったのか。なにか一言でも言ってくれれば────
『どう足掻いたって私たちは所詮、他人ですから』
『私たちは他人だから……ね、分かるわけないじゃん?』
しかし過去に先生へ向けた言葉、そして懲罰房の先で放ったミカの言葉が突き刺さる。誰よりも人を疑い、友を裏切り、あまつさえ無辜の生徒までも陥れたのに自分が後ろ指を差していた。
痛くて、悲しくて……悔しい。行き場のない怒り、踏み出せなかった後悔が悶々と頭の中を駆け巡る。そしてこれは子供のような意地ではあるが、今まで反省したら素直に謝っていたナズサが全く謝らないことが……気に食わなかった。
そういった要因が絡み合い、こうして意固地になってしまったナギサは他の付き人にする選択肢もありながらナズサを付け、微妙な雰囲気のまま毎朝を過ごし今に至る。
「終わっ……終わりました」
最終工程である花飾りが施されたカチューシャをそっと被せ、ナズサが終了を告げたことで負の濁流から引き上げられたナギサ。姿見に映っていたのは朝起きた時とはまるで別人、完璧に仕立てあげられたティーパーティー桐藤ナギサの姿があった。
だがナギサの目に映るのは、後ろに佇むナズサ。
相も変わらぬ所作と固い声音のナズサへ不満が溜まっていく……ナギサはただ一言────
その時、鏡越しではあるものの久しく見ていなかったナズサの表情を見た。
映っていたのは……昔からなんら変わらない
────ああもう、やめです。
その瞬間、張っていた頑固も意地の悪さも一気に吹っ切れどうでもよくなった。
「ナズサ、少しそこに座りなさい」
「……え?」
突然話しかけられたナズサは全く知らない言語で声をかけられたかのように、目をぱちくりと瞬きさせて固まる。すると数秒、ナギサの言葉の意味を理解すると今までの厳かな所作は何処へ。ショッピングモールで迷子になった子供のように困惑した顔を浮かべ狼狽えはじめる。
そんな姿に焦れったくなったナギサは、「時間が少ないので早く」と急かし保護者のように手を引きながら鏡の前へナズサを着席させた。
「あ、えっと……」
そして相変わらず自分で整えるのは苦手なのか。若干バランスの悪いお団子を解き、まずはナズサから取り上げた櫛で髪を梳いていく。鏡には相も変わらず鳩が豆鉄砲を食らったような、呆け顔のナズサがでかでかと映っていた。
「…………」
「…………」
とはいってもいざ行動に移してみたが、焼き直しかのごとくお揃いのブロンドが櫛と指の間を液体のようにすり抜けていく音だけが流れていく。
更にナズサの髪を10年以上に渡って結んできたナギサは、あまりにも慣れた手付きで無意識のうちにリボンを巻き付け、あっという間にセットアップ完了。唐突に空気を無視して髪を結びあげた奇行と言ったところに着地してしまった。立場逆転。今度はナギサが狼狽える番となり、より一層目を覆いたくなる空気と化して────
「ふふっ……」
鈴の鳴るような、思わずこぼれた笑いが一気に払拭した。
「ナズサ……?」
ゆっくりと頭越しから鏡を見やると、四隅に咲く花のよう淑やかに微笑むナズサがいた。
「いや……こうしてお姉ちゃんに結んで貰うの久しぶりだなって」
言われてみれば確かにそうだった。幼い頃は毎朝髪を結んでいたが中学、高校と進級する毎にその頻度は減っていき、ナズサがティーパーティーの一員となってからは一度も無かった。
だが、それでも変わらないものがあった。それは同じ髪型なのにいつも飽きず嬉しそうに微笑みながら結ばれた髪を撫で────
「お姉ちゃん、ありがとう。大好きだよ」
決まって真っ直ぐ屈託のない笑みを向ける。普段なら適当にあしらっていただけだったが、様々な事件を経て緊張が高まりつつあった今日、そしてナズサのその表情を引き出せた安堵と自負から恥ずかしさに襲われたナギサは、咳払いをして話を切り上げ纏めた荷物を手に足早に扉へ手をかけた。
失ってしまったものもある。未だ山積みになっている問題もある。これから沢山の壁が立ち塞がるだろう。
それでもナズサはナズサのままであって、彼女が隣にいる限り何度だって進んでいけるはずだ。
***
豪奢なファンファーレが鳴り響く。三大学園としても、長い犬猿の仲の歴史があることでも有名な両校の歩み寄りは、キヴォトス全土から注目の的であった。そのため両校の生徒だけに留まらず、歴史的な瞬間を一目見ようと押し寄せた野次馬、クロノススクールを含めた大量の報道陣がごった返しており、両校の代表として選抜されて生徒達が睨み合う一触即発な空気も相まって、調印式の場である通功の古聖堂にはこれ以上ない程の熱が支配していた。
通功の古聖堂は第一回公会議が行われ、過去にはそこで定められた戒律を厳守する「ユスティナ聖徒会」が守り続けていた地でありトリニティ自治区に当たる為、必然的にトリニティの生徒達が現地に先入りしてゲヘナの主要人物達を出迎える形となっていた。
平和の為の式典ではあるが、それでも両校の確執は早々に無くなるものではない。聖堂内で待機しているトリニティの正義実現委員会とゲヘナの風紀委員会が、お互いの銃を抜こうとする場面が何度も起きた。だが勿論、全員がそういった敵意を抱いていないのもまた事実であり、問題が起きそうならばシスターフッドのヒナタや正義実現委員会のツルギ、そしてこの調印式のキーパーソンと言っても過言ではない先生が率先して制止していた。
ツルギによって少し場の熱が冷え落ち着きを取り戻したので、この機会にと先生はヒナタに古聖堂を案内してもらっていた。
この古聖堂は元々廃墟であり、今回の調印式を機に大々的な修理が行われたこと。噂ではあるが古聖堂の地下には大規模なカタコンベが存在すること。その昔、ここで設けられた戒律を神聖視する守護者、破ったものに罰を与える武力集団────シスターフッドの前身であるユスティナ聖徒会なるものが存在していたこと。どれも興味を引き立てられるものばかりだった。
「あれ? ナギサさん、お早いですね」
「あら、ヒナタさん。それに先生も」
偶然にも、予定よりも早く到着したのか同じように聖堂内を歩いているナギサとばったり会った。そのまままだ時間が余っていたので三人で、歩幅を合わせてゆっくりと歩く。
そして道中、先生はナズサから頼まれた旨を悪戯気に笑みを浮かべてナギサに伝えると、若干頬を赤らめここには来られない妹に文句を垂らしつつ、それでもそんなナズサの思いにも報いる為にと改めて引き締めるナギサを見て、この姉妹は本当にお互いのことを想い合っているんだと改めて先生はそう思った。
「……やっぱりお優しいですよね、ナズサさん。私も何度か喋りましたが、とても物腰柔らかな方でした」
「え、もしかしてヒナタはナズサと絡みがあるの?」
と、まさかの繋がりに先生が訊くと少し歯切れ悪くヒナタは言う。
「あ、えぇ、まぁ、その…………何度かシスターフッドの教会に忍びこんで来て、その時に……」
「…………」
先程までの暖かい雰囲気は霧散し、一気に眉間に皺が寄るナギサ。どうやらヒナタの温情で見逃されていたらしく初耳だった。
「……ヒナタさん、それミカさんも同行してました?」
「? いえ、ナズサさんだけでしたよ?」
青筋を立てながらも、至って平常に訊ねる。だが想定していた最悪の回答は免れたことで胸をなでおろすナギサ。いや次期ティーパーティー候補であったナズサも十分問題ではあるが、現役のミカがやっていたら更に大問題だった。なんなら二人セットだったら超大問題だった。まぁどっちにしろ帰ったら説教コースは確定だが。
「ははは……あ、サクラコ様が到着されたみたいです。そろそろ行きましょう」
やめて!巡航ミサイルで、通功の古聖堂を焼き払われたら、このエデン条約を脳と時間を削って手繰り寄せたナギサ様の精神まで燃え尽きちゃう!
お願い、死なないでナギサ様!
あなたがここで倒れたら、ミカやナズサとの約束や説教、三食ロールケーキはどうなっちゃうの?
ライフはまだ残っている。ここを耐えれば、平和は訪れるんだから!
次回「ナギサ様 (の脳)死す」デュエルスタンバイ!