ナギサ様の脳を破壊し隊   作:あみたいと

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Happy birthday to you,

Happy birthday to you,

Happy birthday, dear 桐藤ナギサ,

Happy birthday to you.




ナギサ様の脳を破壊し隊

 

 

 

 

 

「ぐっ……い、一体なにが……!?」

 

 最初にナギサが感じたのは酷く脳内に響く耳鳴りだった。次に理解したのは全身を鞭打たれたような衝撃に襲われたこと。そして積み重なった瓦礫の隙間に閉じ込められていることだった。

 

「ナギサ、怪我はない!?」

 

 と、暗闇で気付かなかったが僅かに差し込む光に目が慣れてくると……妙に狭苦しいと思っていたら先生に抱きかかえられる形で閉じ込められていることに気が付く。

 

「せ、先生!? 私は大丈夫です、先生の方こそお怪我はありませんか?」

 

「うん、なんとかね……でも」

 

 身動きが取れないと苦悶の表情の先生。

 奇跡的にもナギサと先生は瓦礫の隙間に挟まれたおかげで怪我はしなかったが、その代わり一切の身動きが取れないでいた。

 

「私なら内側から瓦礫を押し上げることも出来ますが……」

 

 キヴォトス人ならばこの程度造作もない障害だ。しかし先生はヘイローを持たない外から来た人間であり、銃弾一発でも致命傷になり得る可能性がある。つまり下手に瓦礫を動かしてバランスを崩してしまい、瓦礫に押し潰されようものなら……最悪の命の危険まである。だが空気が通る孔はほとんどなく、このままではいずれ酸素が足りなくなる危険性もまたあった。

 

 そうして一体どうしたものかと考えていた時────

 

「先生、ナギサさん!」

 

 外から必死に先生達を探すヒナタの声が聞こえた。

 

「ヒナタ!」

 

 負けじと呼応する先生にヒナタの声が近づく。

 

「良かったです、辛うじて瓦礫の隙間に……。待っててください、すぐに私が……!」

 

 外側から慎重に瓦礫を除け、ヒナタの手を掴み立ち上がる両名。

 

 そこで初めて何が起こったのか理解した。

 

「そんな……!?」

 

 瞼を開き光に目が慣れると────辺り一面には数分前とは似ても似つかない焦げ付いた瓦礫の山、轟々と炎が立ち上っている箇所もある。それらが古聖堂であったモノだと認識するに時間はかからなかった。

 

 そして見渡す限りに広がるのは決して瓦礫だけではない。耳が慣れやっと煩わしい耳鳴りが収まったかと思ったら、今度はひたすらに悲鳴が木霊する。

 空は舞った埃達が灰色に覆い尽くし、今朝の快晴は既に亡きものになり僅かに覗く蒼がそこに空があると示していた。

 

 

 襲撃をかけられた。

 

 

 一体誰が?ゲヘナが?いやだとしたら自分達の学園を代表する重役までも巻き込むとは考えにくい。となるとトリニティの反対派が……?または全くの第三者の介入……。

 

「先生! ご無事でしたか!」

 

「せ、先生……!」

 

 逡巡する思考の最中、正義実現委員会のツルギとハスミが合流する。そこで改めて理解したが自分達はとんでもなく幸運だったらしい。皆大なり小なり服が裂けたり擦り傷ができていたが、先生とナギサはほんの少し服が汚れただけだった。

 

 こうしてツルギやハスミ、ヒナタと現状の認識の摺り合わせと戦力の状況を────

 

「っ!? 今の音、は……」

 

 決して遠いとも言えない距離からの爆発音。続く悲鳴にいち早く反応し見やったハスミの顔に困惑が浮かぶ。それに倣ってツルギ、ナギサ、先生……そしてヒナタが振り向くと。

 

「■■■■■■ォォォォ……!!」

 

 幽鬼の如く紺の炎を揺らめ、罅が行き渡るヘイローを掲げて修道服を靡かせる信徒達。

 それは伝承に伝わるかつてのシスターフッドの前任に当たる組織であり、規律と戒律の権化ユスティナ聖徒会そのものだった。

 

「数百年前に消えたはずの『戒律の守護者たち』が、どうして今ここに……!?」

 

 目を見開き、信じられないといった様子のヒナタ。シスターフッドとしてその歴史に精通している者だからこそ衝撃は凄まじく、事態の重さを把握していた。そしてそれはヒナタだけではない。

 

「それにこの尋常ではない数……周りに数十、いえ数百人規模の……」

 

 瓦礫の山から見下ろす聖徒達。それは彼女達の血に塗れた凄惨な過去を知らずとも、その脅威を知るには充分すぎるものだった。

 

「っ、来る……!」

 

「先生とナギサ様は下がってください」

 

 ツルギ、ハスミの呟きと共に数十の聖徒が突貫して来る。だがこちらの戦力もトリニティ有数の者達。

 真正面から二丁のショットガンを構えるツルギ、カバンからグレネード等の爆発物を取り出し迎撃の姿勢を取るヒナタ、そして二人を援護する的確なハスミによって第一波は難なく処理された。

 

 

 ────しかし

 

 

「きえぇぇぇぇぇっ!」

 

「キリがないですね。それにまるで手ごたえを感じない不思議な感覚……」

 

 第二波、第三波と次々に襲い掛かる聖徒会。何度も凌ぎ倒しても一向に減る気配……どころかゲームの無限湧きかのごとく増え続けていく。

 つまりは最高峰の力を持つ彼女達も人である以上疲労は溜まっていき、僅かに生まれた隙を縫って一人の聖徒がナギサと先生へ襲い掛かった。

 

「「「先生!!」」」

 

 ツルギ達の悲鳴にも似た呼び声。しかし聖徒は止まらない。一切の感情を窺わせないマスクは真っ直ぐに先生を見据えていた。

 

「先生、私の後ろに!」

 

 だが最後の防波堤が立ち塞がる。

 非戦闘員だがそれでも先生よりは戦いの心得を得ているナギサが、懐から一丁の拳銃を取り出し構えた。

 

 しかし向けられた銃口を気にも留めず更に加速する聖徒。

 

 だがナギサの目に怯えは無い。聖徒と同じように迫る戒律の守護者を見据え────そして人差し指を引き金に掛けたその瞬間。

 

 

 

 眼前に迫っていた聖徒の頭が砕け散った。

 

 

 

「は…………」

 

 地面を勢いを保ったまま滑り転がる聖徒。やがて足元へ届くと同時にその形は影すらも無くした。

 

 

 何が起きた。

 

 

 ナギサは引き金を引いていない。辺りを見渡すもツルギ達は今ちょうど相手を取っていた他の聖徒達を倒したところであり、焦燥に満ちながらナギサの元へ向かっているところだった。ならばと背後に振り向くも、居るのは口を半開きにして驚愕している先生だけ。勿論銃など所持すらしておらず、それどころか両手にタブレット端末を抱えている先生が攻撃など物理的に不可能だった。

 

 

 ならば一体誰が……その時だった。

 

 

「うわぁーこりゃヒドいね」

 

 

 怒声や悲鳴、銃声や爆発音が轟く混沌の渦が満ちた戦場に────相応しくない能天気で優しく明るい聞き慣れた声は自然と耳に入った。

 

「…………え?」

 

 それは決して声高に張り上げたものではなかったものの、どんな音よりも響き渡っているようで。

 

「ふふっ」

 

 高く積みあがった瓦礫の上に、ピクニックでやってきた丘のように軽い足取りで立ち、バスケットのごとく真白の小銃を携える少女。

 

「ナズサ……!?」

 

 ふわりと揺らめくブロンドのハーフアップとリボン。剥奪されたはずの純白の制服を纏い、曇天の元に輝く琥珀を湛えた二つの眼。子供らしい得意げな微笑みを浮かべた口元。

 

 

 トリニティ総合学園一年生、そしてかつての次期ティーパーティー候補を想起させる桐藤ナズサの姿がそこに在った。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

 呆気に取られたヒナタ、ナギサは完全に戦闘態勢を解いていた。

 

 だがここは戦場。一瞬の油断が命取りになる危険を骨の髄まで染み込ませているツルギとハスミは、ナズサにも気を配るがそれ以上にユスティナ聖徒会の動きを注視する。しかし何かの予兆なのかゆらゆらと蠢く修道服とは裏腹に、彫刻のように聖徒会は不気味にピタリと動きを止め、更に全員が一斉にナズサへと視線を向けていた。

 

「…………」

 

 肝心のナズサは動かない。依然として笑みを浮かべたまま。それは愛しい人を見守る穏やかな目にも、機を窺う獣の目にも見えた。

 

「ナズサ……どうして君がここに……」

 

 沈黙を破いたのはいつの間にかナギサの隣に立っていた先生だった。それは至極当然の疑問であり、この場全員が抱えていたモノだ。そもそも桐藤ナズサはエデン条約調印式には出席しない予定であり、今朝の会場にもその席は無かった。次に彼女は現在奉仕活動中であり、この時間帯は学園にいなければならない。仮に襲撃をニュースで知り駆け付けたのだとしても、ここから学園までの距離を計算するに確実にまだ間に合わない。

 

 しかし、それら数々の疑問はたった一つのジェスチャーによって返された。

 

「そうだなぁ……これで伝わる人()には伝わるかな?」

 

 たんっ、とナズサは翻ると細くしなやかな人差し指を突き立て、口端を吊り上げ小さく白い歯を覗かせながら流し目で見下ろす。

 

「──あ」

 

 漏れ出た声は先生だった。

 重なるのはあの晩、あの体育館での光景。それは奇しくも後ろに控える深い紺の生徒もとい聖徒達、選ばれた者のみが羽織ることを許される制服までも合致していた。

 

「デジャヴ、感じた?」

 

 一瞬、今まで何度も見せてきた悪戯な笑顔をニコリと浮かべたナズサはそのまま先生達へ背中を向ける。

 

「見てて……」

 

 すると吹き荒れる怨嗟の風に乗るように両手を、両翼を目一杯広げて天を仰いだ。

 最大限の手向けとして。最大限の晴れ舞台として。

 

 

「────今から曇るよ」

 

 

 ナズサの宣言が告げられると共に、上空で揺らめいていたパンデモニウム・ソサエティー自慢の飛行船が爆発した。

 遅れて爆風が地上に届く。それにナズサは抗うことなく、ただただ全身にその祝福の風を受け、纏められてもいまだその長さの存在感を魅せつける艶やかな髪をはためかせた。

 炎に包まれた飛行船はやがて高度を落として往き、徐々にエンジンの轟音が遠く遠くへと轟かせ墜ちていく。

 

 

 

 そして燃え盛る黒煙により僅かに覗かせていた青空が────今、塞がれた。

 

 

 

 

 

「私が……トリニティの裏切り者だよ」

 

 告げられた衝撃の真実……にしては反応は薄かった。

 それもその筈、ナズサがクーデターに一枚噛んでいたのは既に周知の事実であった。桐藤ナズサと聖園ミカは手を組んでいて、しかし罪悪感から巻き込まれた補習授業部をサポートしたり、暴走するミカを止める為に身体を張って戦った────結果、情状酌量の余地があると判断が下されたというのが、一連の事件の流れだと伝わっている。

 

 そのナズサが再度、宣言した。なんてことない日常を語るように。

 

 桐藤ナズサは二度、裏切ったのだと。

 

 

「なにを、言って……」

 

「お待ちください、ナギサ様」

 

 一歩、前に出たナギサを粛々とした声で制止させるツルギ。普段は奇声を上げまるで理性の無いようにも見える仕草をしているが、その実は戦闘能力だけで正義実現委員会のトップに立っている訳ではなく、こと戦闘に置いては誰よりも冷静に状況を分析できる頭脳の持ち主だ。

 

 その事実を知っている人間が限られているのが若干の課題だが、ナギサは知っている側の人間でありツルギの進言に足を止める。

 

「────さすが、ツルギ先輩」

 

 おぉー、と感嘆の反応を見せ、ただ純粋に褒め称えるナズサ。そして相変わらずの凄惨な戦場に似合わない笑顔を更に咲かせ────

 

「うん。少しでも変な動きをしたら追加のミサイルをブチ込むから気を付けてね」

 

 屈託のない笑みとはかけ離れた単語を羅列する。それは脅しであると同時に、彼女の正体を決定付けるには充分過ぎるものであった。

 

 だがそれでもまだ信じられない。

 何か誤解があるんじゃないか。何か齟齬が起きているんじゃないか。

 頭の何処かで諦めていながらも、それを分かっていても尚、希望を捨てきれない。

 

「ナズサ、なぜこんなことを……」

 

 ツルギとハスミは周囲を警戒し、ヒナタとナギサは愕然とし声が出ずにいた。

 よって最初にナズサへ問いかけたのは先生だった。

 

 先生の鋭い視線がナズサに突き刺さる。それは普段の柔和な慈しみの籠ったものではなく、本気で生徒を想い叱りつける────先生がキヴォトスに訪れて以来片手で数える程しか向けたことのないものだった。

 

「……なぜ? 何故と聞きましたか? 先生」

 

 

 先生の質問を復唱するナズサ。

 そして何が可笑しいのかぷっ、と吹き出し────

 

 

「なぁーに言ってんですか先生? そんなの教える訳ないじゃないですか、ばぁーーーか!」

 

 んべっ、と小さな桃色の舌をちらりと見せつけ、目袋を軽く引っ張るナズサ。そのまるで事の重大さを理解していない立ち振る舞いと、今まで自由奔放でありつつも誰に対しても礼儀は欠かさず品のあった身振りではない、ただただ侮辱し嘲笑する礼節を欠いた仕草に息が詰まる。

 

「あぁ、でも」

 

 だが先生達の動揺とは裏腹に、当の本人はそんな変貌など些事でしかないと言葉を続ける。

 

 

 

「聖園ミカと補習授業部はいい隠れ蓑になったよ」

 

 

 

「…………は?」

 

 初めてだったかもしれない。先生が反射的にそんな攻撃的な反応を示してしまったのは。

 

「まぁ途中すこーし計画がズレたけど、最終的には上手く転んで容疑者の線から完全に消えたし? 結果オーライってことで」

 

 そうだ。ナズサはあの晩、危機に陥った先生と補習授業部の前に現れて、その身で親友の暴走を食い止め、そして自身の罪を告白して────

 

「やっぱ保険と心証は大切だよねぇ……一回それっぽく反省したらだーれも疑わないんだもん。ダメだよ? 危ない奴はしっかり牢に閉じ込めて隔離しなきゃ」

 

 瓦礫をステージにナズサは踊るよう浮足立ちながら、ライブのMCのように流暢に声を弾ませる。

 

 全てはこの日の為に。

 トリニティでの天真爛漫な振る舞いも。離れの校舎を掃除したのも。一緒に作成したテスト対策した毎日も。夜遅くまで勉強するみんなに賄ったご飯も。アリウスの生徒を率いたミカと戦ったのも。炎天下でも毎日真面目に行っていた奉仕活動も。ベンチで一緒にジュースを飲んだあの日も。

 

 振り撒いていた好意の一切合切が、無意識にナズサを警戒の外へ置かせる為の布石だったのだと。

 

「つーわけで結局のところ誰一人として私……()()こそが真の裏切り者だと暴けなかったですねぇ」

 

 皮肉にも、それらを謳う顔は今までとなんら変わらない満面の笑みであり、もしもここが本物のステージだったならば今この瞬間にクラッカーが鳴っていただろう。

 

 

「ふざけ、ないで……」

 

 

 すると、ここまで沈黙を貫いていたナギサが口を開いた。

 それは燃え盛る炎よりも遥に小さいものだったが、その両の眼には確とした想いが宿っており、天上にて笑うナズサをハッキリと映していた。

 

「いい加減にしなさい!! ナズサ!」

 

 今度こそ、一歩前に出る。

 その響き渡る怒声はお嬢様学校とも言われるトリニティ総合学園の────ましてや学園を代表するティーパーティーとして相応しくない所作であっただろう。

 

 だがそれを誰よりも重んじ敬っているナギサだからこそ、どれだけの想いが込められているのか如実になった。

 

「まずそこから降りてきなさい、ナズサ。今回ばかりは()()()()()、本気で怒っています」

 

 自然と出た一人称。それは昔……具体的にはナズサがトリニティへ入学する前に使っていたものだった。

 まるで悪戯を働いた子供を叱りつけるような────児戯では済まされないこの状況には不相応にも思えるものだったが。しかしそれはナズサとナギサという関係性だからこそ何よりも重いものだった。

 

 多くの人を傷付け、巻き込んだ。歴史的な建造物も木っ端微塵に破壊した。嘘も沢山ついていた。なぜこんな行為に及んだのか疑問だってある。また裏切られた悲しみもある。

 

 だがそれ以上にナズサ自身が大切にしていた親友を、紡ぎあげてきた関係を、あんなにも人を想い大切にして、その尊さを教えてくれたナズサ自身が卑下し侮辱するのは絶対に許せなかった。

 

 今までのナズサの笑顔を否定させない。

 今までのナズサが感じていた幸せを否定させない。

 

 

 だから────

 

 

 

「……“お姉ちゃん”、ねぇ……」

 

 

 

 本気で怒られて、項垂れて落ち込んで、そしてまたいつものように隣に立ってくれていると。

 

 

 

 

 ナギサはきっと間違ってはいなかった。

 

 

 

 ただ知らなかったのだ。

 

 

 

 隣の彼女の底知れぬ闇を。

 

 

 

「はぁ、まだ思い違いをしているとは」

 

 

 

 それはこれまでの16年間共に生きてきた全てを拒絶する程の底冷えた声音だった。

 

「────あ……な、何を言ってるの?」

 

 ナズサから向けられる感情の正体がわからない。

 憎悪?違う。憤怒?違う。殺意?違う。恐怖?違う。

 

「いつまで()()を続ければいいのかって話ですよ」

 

 イマイチ要領を得ない言い回し、されどどことなく不気味な──これ以上聞いてはならないと本能が警鐘している。

 

「……そういや何時ぞやに言ってましたね、『公共の場でお姉ちゃんと呼ぶな』と」

 

 どうして今、そんなことを言い出すのか。

 

「えぇ、えぇ。その節はご無礼を働き誠に申し訳ございませんでした。そしてこの際だからハッキリと言わせてもらいますね?」

 

 ナズサはゆっくりと瞳を閉じて軽く息を吸うと、噛み締めるように、味わうように──妖しく輝く瞳を開きその敬称を付けて呼ぶ。

 

 

 

 

「────ナギサ様?」

 

 

 

 

 思えばナズサがナギサに「様」を付けて呼んだことは終ぞなかった。

 その度に何度も注意して……しかし結局いつまで経っても、何処にいても「お姉ちゃん」と呼んでいた。

 

 半ば諦め──いや、本当は心の奥底では確かに嬉しかった。姉であることに誇りを持っていた。

 

 

 

 風が吹いた。

 

「あはっ!」

 

 短く笑ったナズサの顔は見えない。

 だがそれを皮切りに徐に空いている左手を掲げ、魅せつけるように後頭部へと持っていく。

 

 その先程までの言葉使いとは真逆の……不気味な程の秀麗さを兼ね備えた所作に誰もが目を奪われていく。

 

 

 やがて細い指はナズサのトレードマークへ。

 

 

 そして一息に……今朝、自慢に仕立て上げた髪型が、これからのナズサとの関係を示唆するかのように────解けた。

 

「…………あ」

 

 

 浮かんだのはせっかく結んだのに、なんて呑気な感想。

 

 そして目の前に落ちたリボンを見て、ナズサは本当に手の届かない所に行ってしまったと今更に気付くという絶望だった。

 

 

 

「────オレはなぁ……ナギサ様」

 

 

 

 先生が何かを叫んでいる。でもノイズとなって聞こえない。ナズサの声だけが耳朶に響く。

 

 

 

「あんたのことがなぁ、生まれた時から…………いや、“生まれる前”から」

 

 

 

 私のことが……?

 

 

 

「ずっと……」

 

 

 

 ずっと?

 

 

 

「ずっと……ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずぅーーっと!!!」

 

 

 

 

 

「大っっ()いだったんだよォォォ!!!!」

 

 

 

 

 

 

      

 

          

 

  

   

     

 

          

 

      

 

     

 

        

 

 

 

 

 

 何かがひび割れた音がした。

 

 

「ククク、アハハ!! アハハハハハハ!!!!」

 

 

 ナズサは笑う、嗤う。世界に知らしめるように、歌を轟かせるスターのように声高く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クッ、ククク……だけど、まぁ……」

 

 下した髪がナズサの顔に貼りつく。間から覗く煌々と輝く瞳に射抜かれたナギサは、足の力が抜け落ちぺたんと座り込むことしか出来なかった。

 

「あはっ! それなりには楽しかったぜぇぇぇ!!?」

 

「──ナズサァァ!!!」

 

 やっぱり先生は叫んでいた。でも間に合わない。

 

 その愛らしい笑顔で、いつも愛を伝えていた口で────今、明かされる衝撃の事実。

 

 

 

 

 

 

「ナギサ様との姉妹ごっこォォォ!!!!」

 

 

 

 

 

 世界から色が失われていく。そんな錯覚を覚えた。

 

 

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「これで心すっきりだ」

 

 曇天の真下、狂気的な嗤いは鳴りを潜め爽やかな表情で無情に告げるナズサ。

 

「ナズサ……!」

 

 先生はこれまで見せたことのない慨然とした険しい眼つきでナズサを見やる。しかし悪い意味で普段通りの──飄々と気にする素振りすらナズサはしない。いや、寧ろ質の悪いことにそんな先生の反応を愉しんですらいた。

 

「さて……」

 

 と、突然神妙な顔付きになったナズサは懐に手を伸ばす。

 皮肉なことにその仕草は、ナギサが先生を守る為に拳銃を取り出した時と酷似していた。

 

「オレの仕事に移るとしましょうか」

 

 取り出したのはシンプルな構造ながらも禍々しい異彩を放ち、絵の具をべた塗したような全ての光を吸い込む漆黒の仮面だった。

 

 ナズサは手に持つそれを撫でながら一呼吸置き──そして両目を覆うように装着する。

 

 補助していた左手を下し、口元だけを露出させたナズサ。

 

 すると小さく、その呪いの言葉を呟いた。

 

「vanitas vanitatum et omnia vanitas.」

 

「っ!?」

 

 瞬間、気を抜いたら押し潰されるような、天から巨大ななにかが覗いているような圧迫感が先生達を襲う。

 

 だがそれ以上の──キヴォトスの常識を覆し、理を破く現象が起こった。

 

「せ、先生! あれは……!」

 

 いち早く異変に気付いたのはヒナタだった。先生はそのヒナタが指差す方へ目を向けると────

 

「なっ!?」

 

 周りを囲いこみ、彫刻のように固まっていたユスティナ聖徒会が突然宙に浮きながらゲームのバグのように痙攣し始め、やがて紺と水色のツートンカラーが白と橙に呑み込まれ変化していく。更に聖徒達の顔を覆っているガスマスクが剥がれ落ちていき──そこにはまるでのっぺらぼうのように宇宙が広がっていた。

 

「あ゛、あ、ア゛ア゛ぁぁぁ!!!」

 

 と今度は瓦礫の山から、喉が裂けんばかりのナズサの叫喚が轟く。

 

「な、ずさ……」

 

 虚空を見つめたまま動かなかったナギサが反射的に声を漏らす。朧げな視界の先には両腕を抱えて脂汗を流すナズサの姿。

 

 ナズサが苦しんでいる、助けなければ。そう思い手を伸ばそうとした時だった。

 

「き、たぁあぁぁ……は、ハハハ」

 

 風化していくように純白の制服が──肩から腰の近くまでを扇状に、続いて横腹、二の腕が崩れ落ちていく。幾何学的な模様は染物のように塗り潰され、そこにはただ()()()()()()()のみが残った。

 

 バックドレスに様変わりした制服、白以外の他の色を許さないそれは、翼を広げるナズサの風貌と併せて花嫁のようだった。

 

「…………ぁ」

 

 遂に言動だけでなく、姿までも面影を無くしていくナズサは、ナギサの心を折る決定打には過剰とも言えた。

 

「ふひっ」

 

 すると、そんなナギサを見下ろしていたナズサが、たんっ、と一息に下界へと降り立つ。

 そして目にもとまらぬ速さでツルギ、ハスミ、ヒナタと先生の間を駆け抜けてナギサの元へ。

 

「ナズサぁ!」

 

 だがそれを逃す先生達でもなく、一足遅れながらもナギサへと近づき──

 

「…………は?」

 

「これって……!」

 

「そ、そんな……!」

 

「………………」

 

 足が竦んだ。

 

 改造され露出されたナズサの──うなじから肩甲骨にある羽の間を通って腰まで続く一本の線。所々に散らばる切り取られたかのように色が薄い肌。病的なまでに白い二の腕には……思わず目を背けたくなる注射の痕。

 

 その華奢な身体に背負いきれない程の夥しく、呪いのように張り巡らされた傷だった。

 

「ん? あぁコレですか。汚いでしょう? 醜いでしょう? でも意外なことに()()痛くも痒くもないんですよねぇ~」

 

 何が可笑しいのか。他人事のようにからからと笑うナズサ。

 ハンマーで殴られたような衝撃が積み重なる。先生達は正しくどう反応したらいいのか分からなかった。

 

 そんな風に足が止まっていた時だった。

 

「っ、先生、まずいです」

 

 不安気なヒナタの声で気が付いた。

 変貌したユスティナ聖徒会が動き出し、また先生達をぐるりと囲っていることに。

 

 マズイと冷や汗が背中を伝う……しかしそれは幸か不幸か、予想だにしない展開が起きた。

 

「撃つな」

 

 言い放ったナズサの命令にユスティナ聖徒達が向けていた銃口を下ろす。

 なんとか一難去ったものの、ナズサの命令一つで一斉に攻撃することが可能であると暗に示しており、再び先生達は身動きが取れなくなった。

 

「な、なず、さ……」

 

 一方ナギサは全くの別方向からの新たな真実を前に──遂には呂律すらもうまく回っていなかった。

 

 そんなナギサを見つめるナズサ。

 するとまるで壊れ物を扱うように、優しく慈愛を込めてナギサの顔を包み込んだ。

 

 硝煙が昇る阿鼻叫喚の地獄の最中。白と白。淡いブロンドを靡かせ毛並みの良い翼を湛える瓜二つの少女達。

 鼻が触れ合う距離まで覗き込む姿は、近づき難い神聖さまで感じる構図だった。

 

 

 しかし────

 

 

「その顔が見たかった……」

 

 片方の天使が、その様相は変わらずとも堕天する。

 

 ニタァ、と口端を耳まで裂けんばかりに吊り上げ、ナギサの脳へ染み込ませるように囁く。

 

「オレは見たかったんだ、桐藤ナギサの絶望に歪んだその顔がぁ……」

 

 そして絶対に壊してはならないと。慎重に丁重にナギサから手を離し────

 

 

「くくっ、あはっ、あははははははは!!!!」

 

 

 笑う、嗤う、哂う。

 

「──せんせぇ、やっぱ教えてあげますよぉ。なんでオレがこんなことしたのか」

 

 並び立つユスティナ聖徒会の間を縫って先生の元へ。身長差の関係でナズサが覗き込む形となり、仮面の先にある昏く深い谷の底を彷彿させる琥珀色の双眸を先生は幻視した。

 

「ただやりたかったんですよ。オレは。生まれた時からずっと」

 

 それは奇しくも初めてナズサと出会ったあの時と全くの同じだった。

 

 

 

 

 

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