前編
なんてことない、オチもなく退屈かもしれないおはなし
述懐
「コハルちゃん、おはようございます」
「うみゅぅ……もう朝……?」
合宿が開始してから一週間が過ぎ、徐々にこの生活にも慣れてきた補習授業部。
アズサ、ハナコ、ヒフミの順に起床し。三人の内誰かが朝に弱いコハルへ声をかける。今朝の当番はヒフミだったらしく、無事に落ち着いた朝を迎えることが出来た。
「あ、ヒフミちゃんに先を越されてしまいました……」
そこへ平和を脅かす影が差し込む。眉を下げ非常に残念そうな笑みを浮かべるハナコの登場に、寝ぼけ眼だったコハルが一気に覚醒する。
「ふ、ふん。もうあんたの好きなようにはさせないんだから!」
アズサの場合一番に風呂へ、それも一緒に入れられ身体の隅々まで洗われ更には着替えまで面倒を見られてしまう。だがそれはまだ事務的なものであり、確かに忙しなく恥ずかしいが効率的で合理的な動きである為まだ理解は出来る。納得は出来ないが。
問題はハナコの場合だ。『私もコハルちゃんと洗いっこしたいです♡』などと宣った暁には、じっとりねっとり身体中をまさぐられ、抵抗しようにも体格差によりねじ伏せられ、一日の始まりからどっと疲れることとなった。
だが見ての通り今朝起こしてくれたのはヒフミ。それは前日の夜、予めヒフミに依頼してのことだった。
無事に訪れた平穏な朝に、今日はとっても有意義に勉強が捗りそうだと期待を胸に抱えてベッドから降りるコハルだった。
***
腹が減っては戦ができぬ。そして勉強とは即ち戦である。
着替えを済ませ寝室から食堂へと繋がる廊下を雑談しながら歩く、これも一種のルーティンとなりつつあったが今日は少し様子が違った。
「ん? この匂いはなんだ?」
異変を真っ先に察知したアズサが怪訝な顔を浮かべる。
「あら……これは」
「なんだかすごくいい匂いがしますね」
アズサの言葉に倣ってハナコとヒフミがすんすんと鳴らす。すると微かに、しかし確実に食欲をそそる豊潤な香りが漂っていた。
香りの元はもちろん食堂。となると思い浮かぶのは先生だったがそれだと些か妙だ。
普段昼食や夕食は時間があるので先生とみんなで協力して作っているが、朝食はパンなどをトースターで焼く簡易的なもので済ませている。
先生は決して料理が出来ないという訳ではないが、朝から一人で本格的な調理をするには流石に時間が足りず気力もいる。
となると一体誰が……。
「まさか……侵入者!?」
最悪を想定したアズサの一言により緊張が走る。
目配せをし、各々の銃器を構えて扉へと足音を立てないよう忍び足で近づく。
扉に耳を当てると中からは水道を流す音と鼻歌が聞こえた。
「まだ気付いていない……今がチャンス」
そしてアズサのハンドサインで一斉に突入すると────
「ん? あ、おはよう!」
「…………なんであんたが朝から居るのよ」
そこには台所にてエプロンを装着したナズサが、今しがた使い終わったのであろう包丁などの調理器具を洗い、その手前で先生が食器をテーブルへと運んでいる光景があった。
「ふふ……今日は完全オフの日なんだ~」
コハルの据わった視線に全く動じることなく、グッとサムズアップをするナズサ。今朝抱えた期待は半日すら持つことはなかった。
「おはよう、もう用意は出来てるから席について」
テーブルを前に先生が柔和な笑みで挨拶をしながら椅子を引く。その振る舞いは後ろで控えているナズサの姿も相まってまるで親のようだった。
若干、いやかなり呆気に取られながらもおずおずとテーブルの前へ近付く。
「え、これ全部ナズサちゃんが作ったんですか?」
と広がる朝食に眼を見開き、思わず口に手を当てるヒフミ。
湯気が立ち昇りツヤツヤと輝く白米。彩やかな金色の焼き加減に仕上がった鮭の塩焼き。廊下にまで漂っていた鼻腔をくすぐるお味噌の香りが、僅かに残っていた眠気を吹き飛ばし腹が勝手に鳴ってしまう。
「ですよ~。どうです? 美味しそうでしょ?」
ふふん、腰に手を当ててドヤ顔を披露するナズサ。そんな余りある自信もその筈。この場いる誰もが喉を鳴らし釘付けになっていた。
「そんじゃ冷めちゃう前に食べましょ」
エプロンを解きながら席に座るナズサの声掛けに釘付けだった意識が戻る。6人での食事はこれが始めてだった。
「身が程よく引き締まって、でもプリプリとした柔らかい食感も混在していてとても美味しいです」
「お米が雲みたいにフワフワしていて不思議な感覚だ……世の中にはこんなのもあるのか」
「そう言ってもらえると作った甲斐があって嬉しいですねー」
花丸満点のハナコの食レポ、純粋無垢なアズサの反応にご満悦なナズサ。
実際ナズサの料理はかなりレベルが高い。
絶妙な塩加減の鮭とお米の相性は抜群に良く、そこにほっと一息つける味噌汁のコンボは正に最強。小食なコハルも思わず箸が進みおかわりをしてしまう程だった。
「そういえばさ、ナズサって賄いでもおにぎりをよく持ってきてくれるけど、もしかして和食が好きなの?」
お椀三杯目に突入し、二切れ目の鮭へ手を出し始めた先生が雑談の一環として気になっていたことを尋ねる。
「確かに……こう言ってはなんですが、トリニティの――それもティーパーティーの方々は朝から紅茶に始まり、昼に紅茶、昼下がりに紅茶で夜に紅茶なイメージなんですが……」
それに便乗するヒフミ。一応補足するとヒフミの言葉はまだマイルドに濁した方である。正確には『ティーパーティーの面々は一日最低三回紅茶を摂取しないと死ぬ』『茶葉を奪われたならば武力も厭わない』『ペットボトルの紅茶を敵視している』等散々の噂や憶測が飛び交っていた。
「私の場合はそれがお米です。一日三回摂取しないと死にます」
「そ、そこまでなんですか……」
「はい。これは私の内なる日出ずる血なので抗おうとも決して不可能なのです……そう、ヒフミ先輩とアズサ先輩がモモフレンズの魅力に抗えないように!」
「っ! それは仕方ないですね!」
「なるほど理解した」
「分かってくれますかヒフミ先輩、それにアズサ先輩も……!」
ナズサの言葉に即答した二人は謎に結託し堅い握手を交わす。それはここには居ないかの姉が見ようものなら血涙ものだった。
「いや、あんた生まれも育ちもトリニティでしょ……」
そんな二人を冷めた目で見つめながら鮭を口に運ぶコハル。
「でも周りが見えなくなってしまう程に熱中してしまうことがあるのは、とても素敵なことだと思いますよ?」
「な、なんで私を見ながら言うのよ!?」
「いえ、コハルちゃんも“夢中”になれるものがあって羨ましいな……と」
「言いたい事があるならハッキリ言いなさいよ!?」
「良いのですか? 声高々に言ってしまっても?」
「……や、やっぱり駄目!!」
ここにきて判明したナズサの好物がまさかの和食。
諸々の問題が解決したらお礼に百鬼夜行の名店へ案内してあげよう、とひっそりと心に決めてご飯を頬張る先生だった。
***
「…………」
春草が咲き誇る白色の花壇のメインロードにて。
コハルはポツンと一人木偶の坊となっていた。
今年――今日から中等部へと進級を果たしたコハルはこれから訪れる新生活に期待を寄せていた。
圧倒的に広がる活動範囲、本格的な部活動、そして……まだ見ぬ友達に。
しかしその希望はあっけなく打ち砕かれてしまう。
始業式当日であるのにも関わらず、既に周りにはグループが形成されており進級祝いこれから遊びに行こう、食事に行こうなどの歓談が響き渡っていた。
そして人見知りなコハルがそのグループ達へ入っていける勇気は無く。スタートダッシュに遅れてしまったコハルは、こうして一人帰路へつこうとしていた。
……ただ誤解して頂きたくないがコハルは強い。
例え今は砕けてしまおうとも彼女は決して折れない。暫しの間は寂しくともコハルはいずれ“憧れ”を見つけ、かけがえのない友を得る。
「やべ〜、どこいったかなぁ?」
だからこれは少しだけ違った
彼女との出会いで少しだけ、いずれは花開くコハルの笑顔が少しだけ早まっただけの話。
「マズイ、このままじゃ確実にお姉ちゃんに怒られる……」
帰路への足が止まった先には恐らく同じ中等部への進級生の少女。
コハルよりも僅かに高い背と白い翼。腰ほどまである淡いブロンドの髪はリボンで団子に纏め、周りの目も気にせずトリニティ指定のバッグを背中に背負っている姿は彼女の活発さを表していた。
ただなによりも目立っていたのは……慌ただしく独り言を呟きながら花壇を覗き、そして頭を抱えて蹲っている姿だった。
明らかに困っている。
しかし周りは同じく進級し、これからの生活や予定に浮かれた生徒達ばかりで誰にも気に留めない──悪意なき無慈悲が少女を襲っていた。
葛藤は過った。恐怖もある。
それでもコハルに動かない選択肢は無かった。
「あ、あの!」
「がちでやばい……ん?」
消えてしまいそうか微かな声、しかし少女には確と届いた。
蹲っていた少女が顔を上げその琥珀色の双眸と合う。
吸い込まれてしまいそうな程真っ直ぐに――先程のハッキリ言って情けない声音が出ていたとは信じられない、同級生の中でもかなり凛々しい端正な顔立ちにファーストコンタクトには相応しくなさすぎる距離で見つめられ思わず声が詰まる。
ぶっちゃけ怖い。
「────あ、が、こ、こはっ!? こ、こここここ!?」
が、コハルの緊張は完全に無に消えた。
ぐにゃりと表情を変化させた少女は、鶏の真似事のような言葉になっていないものを発し始めた。
「え!? ちょっと大丈夫!?」
人は己の精神状態よりも遥かに悪い者を見た時、自然と落ち着いてしまうものである。
「それでね、こんぐらいの折り畳み式の財布を落としちゃって」
「な、なるほど……です」
なんとか鶏と化した少女を人間へ戻すこと恐らく成功したコハル。正気を取り戻したかと思いきや、今度は挙動不審にコハルの様子を伺い始めた時は、本格的に救護騎士団に連絡しようか迷ったが本人の希望でそれは回避した。
そして改めて一体何を探しているのか尋ねてみると、どうやら少女は財布を落としてしまったらしく両手の人差し指でサイズ感を描く。
「よ、よければ一緒に私もお探し、します」
「え! ありがとう、コハ……ごほん、失礼」
コハルの手伝いの申し出に先程までの泣き言から一変、目を輝かせながら少女は右手を差し出す。
突然の行動に疑問符が浮かび上がるコハルだったが、僅かに上にある少女の目線へ合わせると──
「私は桐藤ナズサ、よろしくね。同級生だし敬語はいいよ!」
ニコリと微笑み自己紹介をした。
「────うん! よろしく、私は下江コハル!」
そして少女――ナズサの右手をゆっくりと握った。
***
「とまぁ、これがコハルちゃんとの出会いです」
「とっても素敵でした。コハルちゃんとナズサちゃんとの馴れ初め♡」
午後の勉強に突入してから約3時間半。
休憩に入った補習授業部はナズサが持ち込んだティーセットを使用し、教室の繋ぎ合わせた机で軽いティータイムを送っていた。
女三人寄れば姦しい。
アズサも加わったヒフミのモモフレンズ再布教、先生が趣味にしているカルチャー、ハナコが考える新たなる美学の時間など、ころころと移り変わる雑談はやがて補習授業部発足前から関係があった一年生ズであるコハルとナズサの関係の話になっていた。
困っていたナズサに声をかけて助けてくれたコハル。
無事に財布は見つかり、それがきっかけに生まれた二人の友情。特にこれといったオチは無かったが、それは変わらないコハルの根っからの善性が垣間見える――本人は全く自覚していないのが尚のこと──温まるエピソードだった。
「あ、でも私の学生証を見て驚いてたコハルちゃんは可愛かったなー」
「ちょ! ナズサ!?」
もちろん今のコハルちゃんも可愛いけどね、と付け足してナズサは続ける。
「コハルちゃん『桐藤』の字見て狼狽えちゃってね、急にしおらしくなってビックリしたよー」
当時、頭角を現して話題にもなっていた『桐藤ナギサ』。既に中等部での生徒会、ひいてはティーパーティーでの期待をかけられていた少女の名は広く知れ渡っており、またナギサの妹の存在も囁かれていた。
「てかさコハルちゃん。確かに私は気にしてないけどそれでもあん時は敬愛を向けてくれてたよね!?」
ぶーぶーと口を尖らせるナズサ。
「それはあんたとの付き合いが長くなるほどに消えていったわ。もはやあれは黒歴史よ」
「ひどい! ミカちゃんやお姉ちゃんと対応が全然違う!」
死んだ目で返ってきたのは無慈悲な通告だった。
そんなコハルを大袈裟にわざとらしい泣き真似をしながら肩を揺するナズサだったが、なされるままに面倒くさそうに無視するコハル。
「ねーあの時呼んでくれた『ナズサ様』もっかい聞きたいなー?」
「……絶対にいや」
「えー、一回でいいからさ? ね?」
「無理!」
「お願い……先っちょだけでいいからさ……」
「──っ!? エッチなのは駄目! 死刑!!」
「えー? なにがエッチなんですかー?」
待ってましたと言わんばかりにニヤニヤとダル絡みするナズサ。それを赤面で押しのけるコハル。
そんな二人を眺めて意地悪気に口角を上げる少女に、誰も気付くことはなかった。
***
補習授業部の監督としての業務は、みんなへの勉強の指導、過去問から洗い出しての模擬試験の作成と採点が主。
そして現在、俺はその後者である模擬試験の採点を行っていたのだが……。
「ハナコ先輩……」
「どうかしましたか?」
じと、と自覚するぐらいには据わった目でハナコを見やるも、当の本人は飄々と躱しニコニコ……いや、ツヤツヤとした笑みを浮かべている。
俺の眼前には並べられた全教科迫真の69点の答案用紙達。右を見ても69点、左を見ても69点。
例えどんな配点をしようとも絶妙なケアレスミスや凡ミスで穴をつき、何度採点してもこの結果に辿り着く。
……うん、原作ではサラッと流されてたけどこれ“やってる”よな?
いやね?確かに問題はないわけですよ。現在のボーダーである60点は越えてますし、マジレスするとハナコがその気になったら満点すらも余裕だし、勉強面に関しての心配は一切無い。
「ハナコ先輩、この69点って狙いましたよね?」
「んー? 一体何のことですかー?」
ただこうも69点ばかり見せつけられると抗議の一つも上げたくなるわけで。
「ハナコ先輩、これって新手のセクハラになりますよ……」
「――私にはよく分からないんですけど、この数字にナニか意味があったりするんですか? ナズサちゃん」
……俺は自身の失言に気付いた。もしかしなくてもこれロックオンされてる?
なるほど、なるほどね。カマをかけたわけですか。
だがねハナコ隊長、それは甘いよ。
「コハルちゃーん、助けてー、見てよこれー」
この場には正義実現委員会でありエ駄死警察のコハルが居るのだよ。
つーわけで模擬試験の間違っていた問題を復習して机にぐてーと溶けているコハルへ、援護を求めてハナコの答案用紙を見せつける。
これでヨシ!コハルのエ駄死は全ての因果を断ち切る最強のカードだからこれで
「……え? な、なに? なんのこと……?」
「……え?」
まるで全く知らない言語で話しかけられたかのように、困惑した表情でコハルは俺と答案用紙を交互に見てくる。
……な、なぜだ!?何故、「エ駄死」判定が出ない……!?
────いやいやいや、まさかあの……
「こ、コハルちゃん……うそだよな?」
「え? ホントになに? ちょ、ちょっと顔近いって!?」
待って、待って、待ってくれ。俺はただ描写されなかっただけで、きっと行間の間に69点でひと悶着あったと思っていたんだが──コハルはただ知らなかっただけ?
「ふふっ、一体先程から何を焦っているんですか? ナズサちゃん」
後ろから聞こえた声にピシリと身体が固まる。吹き出る汗が止まらない。
ゆっくり首を回すと、細めた捕食者の目付きをしたハナコがにじり寄ってきていた。
「ま、待ってくれハナコ先輩、誤解、誤解だ」
「誤解だなんて……私はただ教えて欲しいだけなのです」
誠に遺憾すぎる。このままじゃコハル並、いやそれ以上のむっつりの烙印が押されてしまう……!
だが周りを見渡しても相変わらず困惑顔のコハル、ばにたす顔で疑問符を浮かべているアズサ、あはは……と笑ってさり気なく安全圏を確保しているヒフミと先生。
「手取り足取り教えてくださいね? まだまだ夜は長いので、ナズサちゃん♡」
この後めちゃくちゃエ駄死された。
プレナパテス短編は次回になります