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爪痕
廃屋の曇った窓ガラスから覗き込む東雲は、皮肉なほどに美しい。
遂に決戦の日を迎えたアリウススクワッド達は、改めて作戦の最終確認を行っていた。
欠けた木製のテーブルの上に広げた地図を見下ろす
これまでアリウススクワッド以外には秘匿されていた存在であるトリニティの生徒の参入に、一般のアリウス分校の生徒達に混乱が発生したものの、サオリからの説明と預かった
「────以上で作戦会議を終了とする。開始時刻まで各々最終確認を怠るな!」
そうしてサオリが告げた終了と共に
「………………」
廃屋に残されたアリウススクワッドには沈黙と困惑が流れていた。
それは大一番の集大成に取り掛かる緊張感からか……否、これまで訓練を積み重ねてきた彼女達は覚悟を決めている。
問題は全く別ベクトルの話だ。
普段のアジトに来ては喧しく騒ぎ立てる溌剌とした様とは一変し、作戦会議中も常に肌を突き刺すピリピリとした威圧感を吹き出していたナズサ。
それはナズサの任務を鑑みれば至極当然のものであるが……同時に余りにもかけ離れた。波及して重く圧し掛かり、特に可愛がられていた(餌付けられていた)ヒヨリに関しては完全にたじろいでいた。
「リーダー……」
ヒヨリが縋るような目で見てくる。
こういう時のヒヨリは言動に似合わず強情だ。仕方がない、それに少しばかり気になっていることもある。
「……少し見てくる」
だからこれは決して心配などといったものではなく、作戦の成功率や指揮を上げるためにも極力不安要素は排除しておくためだと、誰に向ける訳でもなく自分自身に念を押した。
ナズサを見つけるのには全く時間はかからなかった。
朽ちた校舎を利用したこのアジトは陽当りが良い。祝福の快晴の下、差し込まれる陽光を浴びながらナズサは玄関の支柱に背中を預けて森を眺めていた。
表情は穏やかそのものであり、先程までの威圧感は見る影もなく霧散している。
そしてサオリは瞠目する。
陰になっている校舎から光が当たる玄関へ、一歩近付き一瞬の瞬きの後……光へ慣れたサオリに映った、その僅かに捲られた純白の制服から覗く前腕に刻まれた痕を。
合点がいった。
先日、バシリカからアツコとナズサが帰ってきた時に感じ取ったアツコの異変。例え仮面に包まれていても分かる。ナズサへ向けていた同級生にも関わらず親のような視線が、全く別の……恐怖や憐憫、そして罪悪感が混じったものになっていたことに。
「……っ! サオリちゃん」
やっとこちらの存在に気付いたのか。一瞬目を見開き、さっと袖を戻すナズサ。
「あー見ちゃった?」
そして照れくさそうに頬をかきながら笑う。
キヴォトス、特にサオリが育ってきた環境は戦いと訓練が多く占めてきた。怪我や傷など日常茶飯事で、多少のものでは動揺などしない。それは『姫』であるアツコもだ。
だからこそ分からない。それは……その傷は
「でも任務には支障はないから大丈夫だよ」
無駄に高いコミュニケーション能力。
サオリが来た理由を察していたナズサは、健康体であることを示すように伸びながらストレッチを始めながら、サオリへと向き直る。
「……本当にやれるんだろうな」
「もちろん! 『正義実現委員会とシスターフッド、及びティーパーティーの足止め及び排除』でしょ? 任せてって!」
ニコリ、と屈託のない笑みで古巣への宣戦布告をするナズサ。
そういえば終ぞナズサがトリニティを裏切るその理由は明かされなかった。
────得体の知れないものがサオリに湧き上がってくる。
「それがどういう意味か、分かっているんだろうな……!」
抑えられない。衝動となったそれはサオリを突き動かし、ナズサの胸倉を掴む。
なにかが溢れそうになる。心の奥底からの呼び声────
うるさい。振り払う。雑念は捨てるんだ。そう全ては所詮────
「vanitas vanitatum et omnia vanitas.」
「…………は、?」
その呪いの言葉の意味を知っている。散々叩き込まれた私たちの象徴。
だがそれがナズサの口から漏れたこと。
それが痛かった。
***
「ただやりたかったんですよ。オレは。生まれた時からずっと」
口端を吊り上げ覗き込む。覗き込まれる深淵。琥珀色の渦が先生を捉えて離さない。一秒が長く、長く引き伸ばされていく錯覚が先生を包み込んでいた。
この構図は、明らかに仲が良い生徒と先生。それこそまるで恋愛作品にありそうなワンシーンは、しかして今しがた目の前で裏切りを名乗り多くの生徒を親しい人を傷つけて敵対した、この場に置いて最も危険な人物との距離感ではなく、更にはヘイローを持たないという特別な存在である先生は文字通りに生殺与奪を握られていた。
しかし、周りの生徒は動けない。それは困惑や動揺などではなく────例外として一人、完全に消沈した者が居るが────先生を囲むツルギ、ハスミ、ヒナタ……を囲むように配置された聖徒だった者たちを動かさないために。
聖徒だったものは現在沈黙しているがそれはナズサが命令を下したから。下手に刺激すればナズサが一声かけて通常の聖徒とは異なり、統率を取りながら徹底的に一斉射撃を行うだろう。そうなればいくらツルギ達であろうと先生を守り切れるかは怪しい。しかし、このままではナズサ自身が直接先生に危害を加える可能性があるのも事実。
ジレンマが広がる。
先生も見るからに動揺し冷や汗も流している。だが一歩も引かない、目を背けない。離れてしまったら負けなのだと、野生動物同士の威嚇のように本能のどこかで感じ取っていた。その一見無意味なプライドがきっとこの膠着状態を保っている要因だった。
しかし、この状況もいつまで続くかは分からない。生徒達がこの困難な状況をどう切り抜けるか頭を回していた瞬間、先生が口を開いた。
「“……ナズサ、君は────”」
だが、バランスの綱引きの何かが結びつけられそうな瞬間、先生が言葉を発する前に────
「先生っ!!!」
一心に思い叫ぶ闖入。
その声はその少女の生涯で最も大きな声だった。しかし、彼女自身はその声の大きさや身の振る舞い方を気にしている余裕はなかった。
──ズガガガガガ!!!
一発一発が地面を抉り取る威力の弾丸が誇張なしに雨のよう降り注ぐ。
勿論誤射など言語道断。聖徒と聖徒だったものを、容赦なく的確に撃ち取っていった。
同時に膠着していた事態も急変。
ヒナの登場にナズサは不敵に微笑みながら、先生とは最後まで目を離さずに後退。ツルギ達も言葉を交わさず瞬時に役割を分担しハスミは聖徒達、ヒナタはナギサの保護に、ツルギは真っ直ぐ先生へ向かう。
「正義実現委員会、先生をこっちに! 今は時間が無い!」
「ヒナ……!」
額から流れ出る血をも拭うことなく、際限なく沸いてくる聖徒を薙ぎ倒し、瓦礫の山を駆け下りながら手を伸ばすヒナ。
「…………」
ハスミの目が険しくなる。
過るのはゲヘナとの切っても切れない因縁。結ぶはずだった条約。そして調印の直前までの両校の生徒達の表情。
「……分かりました」
決断は迅速だった。
「先生、ここは私が敵を止めます。後はあの風紀委員長がきっと何とかしますから急いでください!」
「“ハスミたちは!?”」
ハッキリ言ってこの問答をするまでも無く、先生はハスミ達が何をするのか分かっている。
だがそれでも先生の矜持がそれを認めたくない。
「私たちは先生の退路を守ります」
視線はナズサから逸らさず、割って入ったのはツルギ。その目には随時戦闘の際に灯す殺気とは違う覚悟が宿っていた。
「先生、今トリニティの首脳陣はほぼ壊滅状態です。シスターフッドもティーパーティーも動けない今……先生にまで何かあっては、本当に収拾がつかなくなってしまいます!」
ハスミの言葉は痛いほどに正論だ。恐らくゲヘナ側の上層部も麻痺している今、この混沌は両校だけに留まらず最悪の場合キヴォトス全土まで広がってしまう可能性がある。
そもそもこのエデン条約自体がシャーレが……先生も担っている一端がある以上、いち早く安全圏に避難し事態を整える責務がある。
確かにツルギ達は強い。先生なんかよりもよっぽど身体能力も高く、銃弾の一発や二発如きで命を落とすこともない。
しかし相手は未知の神秘の塊、古聖堂を破壊しつくしたミサイルが控えている可能性もある。そして……ナズサの存在が────
「先生、ナギサさんをお願いします」
振り向くとヒナが現れたのと同時に、ナギサの保護に回っていたヒナタがナギサを連れて帰ってきていた。
ヒナタに腕を引っ張られる形で連れてこられたナギサの目は虚ろにして何も映しておらず、応答は確認できずただひたすらにかくかくと首が船を漕ぎ、まるで眠気に襲われた幼子のよう。普段の毅然とした様相とはかけ離れた、辛うじて立っているだけの人形になっていた。
「“ナギサ……”」
返事はない。
交錯する感情を噛み締めてツルギが構える方向へ見やると、集合させた白と橙の聖徒達の前で笑みを絶やさないナズサの姿。
「先生の無事を祈ります。その道は、私たちが守ってみせますから!」
「……先生!」
「先生、急いで!」
「お、お願いします! 今は行ってください、先生……!」
「…………っ!」
逸る気持ちを抑えて、生徒達の思いと覚悟を無駄にしないため、未来へ向かうため────ナギサの手を取った。
「風紀委員長……! 先生を、ナギサ様をよろしくお願いします!」
その言葉はトリニティの、正義実現委員会の彼女にとって最大限の誠実と決意だった。
***
しかし、現実は無情だ。
戦線を離脱するまであと少しのところで現れた援軍。四人の少女達が先生の前に揃う。
「ゲヘナの風紀委員長、ようやく倒れた」
「や、やっとですか……痛かったですよねぇ、よくあの傷でここまで……」
「“ヒナ……!”」
倒れこんだヒナに駆け寄る先生。ヘイローが確認出来る事から意識は失っていないものの、声を上げるどころか指一本動かすことも叶わないのか、愛銃のLMGを肩へかけたままに手放す姿は痛々しい。
そもそも巡航ミサイルの奇襲で既に大ダメージを負っていたなか、先生とナギサを単独で護衛しつつ、湧き出る聖徒達に大立ち回りしていた時点で他とは一線を画していた。
しかし彼女も一人のヘイローを持つ人間だ。いずれ限界は来る。
残されたのは直接的な戦闘能力を保有しない先生と、俯き動くことすら出来なくなってしまったナギサ。
状況は絶望的、詰みと言っても差し支えないものだった。
「“……君たちがアリウススクワッド?”」
ならばここで先生が行える最善策。それは時間稼ぎであり悪足掻きであり……
「……ああ、そうだ。私たちが『アリウススクワッド』。ようやく会えたな、先生」
紺のキャップとマスクが特徴的な
それもその筈、アズサは元々アリウススクワッドと連絡を取って適宜、自身の環境やトリニティの動きを報告していた。勿論その仔細は既に事情聴取で済ませている。
つまりこの襲撃はアズサにも秘匿されていたものであった。
そしてサオリは語った。この襲撃の真の目的を。
かつての分校としてエデン条約に調印という形で参加し、楽園の名の下に条約を守護する武力集団、『
「そして丁度いい、邪魔者が……それも特にマークしていた二人がここに居る」
問答の終了を告げるようにカチャリ、と銃口が向けられる。先生の命が握られた。
「……どうやらナズサはしくじったようだしな」
引き金に指がかかるその瞬間、本当に瞬きの間だったが先生の背後に座る少女を一瞥し、ボソッと漏れ出た呟きに僅かな安堵が含まれていたことを、先生は見逃さなかった。しかし時は止まらない。暗いトンネルの先が輝きだして────
「ああぁあぁぁぁぁっ!!!」
同時に喉が裂けんばかりの絶叫が轟いた。
────ガンガンガン!
銃弾が弾け、合金同士が衝突したような異音が鳴る。それはサオリの銃弾を先生からヒナが身体で庇えたことの証左だった。
「セナっ! こっち!」
脇にナギサを抱えて空へ合図を出す。瞬間、地面を削るようなドリフトを決めながら、一台の救急車がサオリ達を横切った。
「先生! 手を!」
そのまま速度を落とすことなく真っ直ぐに先生達へ向かい……ヒナは最後の力を振り絞り、躊躇うことなく開かれたドアへ飛び込み、先生は車から乗り出している一人の生徒、氷室セナの手を掴んだ。
「逃がすかっ!!」
が、一気に加速していく救急車へサオリが狙いをすませて……一発。
「がっ……!?」
タン、とこの戦場では余りにも静かな一発は、先生を貫いた。
ナズサ「俺もばにれた...かっけぇ...」
お久しぶりです。
プレナパテス短編削除について、Twitterで詳細を上げました。
https://x.com/Uplay4321/status/1718788790750474586?s=20