「なんでこの子達はエデン条約の
今朝の昏い表情は何処へ。未練など微塵も無い、やり切ったとばかりの快活に告げるナズサの笑みが戦場に花開く。
思えば、彼女はいつも唐突だった。
長く孤立し外部との接触を断っていたアリウス自治区へ現れ、『アリウスと和解したい』などと宣ったと思ったら、翌日には何時の間に接触しどのようなやり取りを交わしたのか、ベアトリーチェからの通達によりナズサは仲間となった。
そこからは疾風怒濤の勢いだった。
スクワッドの根城に転がり込み、見たこともないモノを持ち込んで振り撒ける。何度も追い払おうとしてもしつこくて、結局ミサキと同じく諦めて放置するか、ヒヨリのように甘んじて享受するか……あって無いような選択肢を突き付けられて。埃が被っていた教室に彩りが加わり、置いてあるだけだった本棚が埋まり、知らなかった味を覚えていった。
そんなただ率直で馬鹿な少女だと。その時は本気で思っていた。
だが……そんなものは言い訳に過ぎない。
後ろから囁き、差してくる指を。自覚を、自責を無視することしかできなかった。
無意識の自衛。
そうしなれけば足が止まってしまうから。今まで自分の積み上げてきた全てが、存在ごと砕け散ってしまいそうだったから。
サオリが厳しい言葉と視線を送りながらも微笑みを崩さないナズサ。
アシンメトリーな様相は一見文字に表せば、お決まりとなりつつあった二人の関係性。立場も性格も何もかもが違いながら、たとえどんなに小さくても確かに築かれていた絆。
それが今、壊れていく。
「……今、ベアトリーチェって、言った?」
真っ先に反応したのはアズサだった。
「うん! ……ってあ、やべ」
登場してから一度も反応を貰えていなかったナズサが嬉々として応えた瞬間、ハッとして口を抑える。
その反応は不可解なものだった。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
両手で口元を覆い、間からぶつぶつと呪詛のように流れ出されたものは、謝罪の形を成してはいるものの、到底言語と呼ぶに相応しいものではなかった。
「……クヒュッ!」
と思えばだ。それはスイッチが切り替わったという表現以外が見つからない程の早さだった。
「くふふふふ、あはっ! ……すいませんね。ちょっとイロイロあって勝手に笑いが込み上げてきちゃって……ふふっ、あははははは!!」
一周回って冷静に心配になる程青ざめていたのとは一転、正に発狂と言わざるを得ないそれは、『笑う』と本人は言っているが……それが――悪意と狂気が富んだ声はかつてのナズサとはかけ離れているもので。
「ところでサオリちゃん。ここは一旦退いた方が良きじゃない?」
狂声がピタリと止むと、一切の感情が含まれていない平坦な声音で、人差し指を立てて世間話を持ち込むかのように提案した。
「……なに?」
眉を顰めた端的な返事。
そんなやり取りはこれまで数多くナズサと交わしてきたものであったが、そこに以前まで込められていた力強さは無く、この有利な状況下での撤退の提案の困惑と、明らかに情緒が不安定なナズサへの恐怖。そして、まだ自覚してはならない一握りの悲しみがあった。
そんなサオリの心境とは裏腹に、ナズサはなんてことない普段通りの会話のように進めていく。
「だって――」
瞬間、紡ぐ言葉を遮るには余りにも過剰な砲撃がナズサを飲み込んだ。
「っ!? 逃げる気か、アズサ!!」
同時に生まれた隙を逃すアズサではない。続く砲撃と噴煙に紛れ、サオリの声を背中に浴びながらも突き進む。顔だけ振り向かせると、土煙の間から仮面が覗き込んでいた。
その変わり果てた彼女の姿に、この惨状を作り出したかつての仲間を止められなかったことに、ただひたすらに歯噛みすることしか出来なかった。
「リーダー、予想以上に動きが早い。ここは退いた方がいいと思う」
一時砲撃が鳴りやんだ隙に駆け付けたミサキから、ティーパーティーの傘下と風紀委員が動き出している旨の報告が入る。
ユスティナ聖徒会も確保した今、あとは例の木偶の坊が用意した『戦略兵器』さえあれば憎きゲヘナも……トリニティも
「うんうん、ここは戦略的てったーい!」
呑気な返事と同時だった。
ぶわりと風が舞い、砲撃の直撃を受けたナズサが霧散した土煙から姿を現す。
ティーパーティー傘下の砲撃部隊、彼女達が使用するL118牽引式榴弾砲の威力と精度は、キヴォトスにおいても折り紙つき。並大抵の生徒ならば直撃など即気絶もの、上澄みと称されるような生徒であってもその脅威は確かなものであり、出来れば直撃などは免れたい。
そうその砲撃の直撃をナズサは確かに受けた。
「だって……トリニティの砲撃術は優秀だから、ね?」
佇んで居たのはナズサを中心に取り囲む、傷一つない『聖徒会だったモノ』達だった。
そして肝心のナズサ本人の純白のドレスには埃すらも付かず、撤退を促した時と同じ鼓膜にへばりつくような平坦ながらも妙に耳に残る声音と、同様に立てたままの人差し指。吊り上がる口角は、何度も見てきた無垢に振り回す
***
アリウススクワッドが撤退してからも、混乱は収束することはなかった。
ただでさえキヴォトスでも稀な規模の事件。更に舞台となってしまったのは、因縁ある二大学園の、それも歴史の転換点となる場面での大事件。
怪我人の搬送一つで揉め事が起こり、それどころか新たな怪我人が出る始末。根も葉もない噂が不安を煽り、疑心暗鬼に飲み込まれていく一般生徒。一部の生徒は絶好の機会だと暗躍を画策し、一部の生徒は抑止力である風紀委員が機能していない今がチャンスだと街へ駆り出す。
当然その混乱の波は補習授業部にも押し寄せていた。
権力の垣根が染み付いてしまっている現在のトリニティにおいて、組織に所属しておらずかつ知略に長けるハナコは、この状況を指揮するに不可欠な存在。コハルもまた正義実現委員会として、実動員として駆り出されたものの、情報が錯綜する現場の荒波に揉まれていた。
そうして時間が過ぎるのはあっという間で。
一先ずの怪我人の搬送、現場の事態を収束する頃には夜空が掛かり煌々と輝く星々が照らす下、一人の一般生徒が高架橋へと駆けていた。
舌を出した少し奇怪なキャラ物のバッグを背負い、クリーム色の二房をなびかせた少女。
補習授業部の部長、阿慈谷ヒフミ。
彼女がこの場に訪れたのはあるメッセージを受け取ったからだ。
動物の名を用いたコードネーム、端的に座標と時間だけを伝えたメッセージ。
この数週間で一番距離を縮めた友達。
「アズサちゃん、私です。どこにいるんですか……?」
瞳を揺らめかせながらもその名を呟く。人影が一切無い、電灯が照らしきれない闇の中へと声が吸い込まれていく。
それでも何度も、何度も呼び続ける。
「……ヒフミ」
やがて聞きなじんだ少し幼さが残りながらも、淑やかな力強さを感じる筈の声音と共に暗闇から一つの影が姿を現した。
ヒフミより僅かに低い、スズランの花束のような少女。
今朝、補習授業部みんなで集っていたカフェから襲撃が発生したと同時に突如姿を消したアズサ。
ずっと気懸かりだった彼女の姿を見てまずは一安心するも、聞かなければならないことが山積みだった。
「良かった無事で……アズサちゃん今までどこに居たんですか? 今学園が大変なことになっていて……」
「うん、知ってる」
食い気味に返ってきた端的な返事に、戸惑いと嫌な予感がヒフミの背筋を渡った。
「これを、誰かが止めなくちゃいけない」
アズサは眼を合わせようとしない。その言葉は誰にでもなく、自分自身に言い聞かせているようだった。
「それは、どういう……どうしてそんな顔で……」
一秒一秒過ぎていくごとに、瞼を閉じて沈痛な面持ちのアズサが昏くなっていく。
それがただ心配で、悲しくて、寄り添おうとヒフミが一歩踏み出した時だった。
「来ないでっ!!」
「……!!」
今まで聞いたことがなかった張り裂けそうな声から送られたのは明確な拒絶。
だけどその顔は……しかしさっきまでの泣き出しそうな顔が更に歪んだように見えた。
「……ありがとう、ヒフミ」
そしてやっと眼が合った。
その顔はヒフミが大好きな綻んだ笑顔だったのに……胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
どうしてか、こういった予感程当たってしまうのは。
「でもここまでだ。ここから先には来ちゃいけない。ここから先は私の居場所。ヒフミみたいな善良な人は来ちゃいけないんだ」
「アズサちゃん……何の、お話なんですか? 私じゃ、何がダメなんですか?」
まるで子に諭す親のように優しく、本当に残酷な程に優しく言葉を紡いでいくアズサ。
だからと言ってもそんなのじゃ理解できない、納得なんてできない。
どう見たって苦しんでいる友達を助けないなんて選択肢は、それこそ善良なヒフミには無い。
「アズサちゃん、私は……!」
また同じように拒絶されようとも手を差し伸べる。
そう願って踏み出した足は、この世界においても絶対な壁によって阻まれる。
「人殺し」
「……え?」
たった一言、されど一言。
足が竦む。言葉が詰まる。視界が歪む。
「人殺しになった私は、もう友達ではいられないだろう?」
どうして。
ヒフミの胸中はただその一点のみ。
滔々と並びたてられる無情な言葉とは裏腹に、アズサの面持ちは一輪の花のような……とても美しくて力強く、そして吹けば飛ぶ儚さを湛えていた。
「だって、だってアズサちゃんは……」
「私のせいでみんなが傷ついて……先生が、撃たれた」
そこに綻んだ笑みは消えていた。
怜悧な顔付きはあどけなさの鳴りを潜め、仮面のように冷たくヒフミを射抜く。
「正義実現委員会も、ティーパーティーも、シスターフッドも、ゲヘナの人たちも、セイアが昏睡状態になったのも、学園がここまで破壊されたのも……」
一言一句、自身に突き刺すように言葉を紡ぐアズサ。そんな心の自傷行為をとても見ていられなくて、とにかくまずは止めなきゃという一心で――
「ナズサがあんな風になってしまったのも」
「ナズサちゃん、が……?」
びくりとヒフミの肩が跳ねる。その名前は余りにも予想外なものだった。
確かに彼女の姿は学園に戻ってからも確認出来なかった。ただまさか今回の襲撃に関わっているなんて、ましてやそれがアズサのせいだなんて。
そんなことはない。そう言おうとした時にはもう……。
「全部……私のせいなんだ」
呪いの言葉が絞り出されていく。
「そ、それはアズサちゃんのせいではありません……それは」
感情が散らかってしまって、手探りに探してみるも言葉が見つからない。
渡したい言葉の意味と感情は理解している筈なのに。
「だ、大丈夫です。せ、先生は……先生もきっと、すぐに目が覚めるはず、ですし、ですから……」
「ヒフミ。そんなハッピーエンドは……この世界には無いんだ」
何か言わなければアズサは道を違え、消えてしまう。でも自分の言葉が見つからない。
だから例え今は引き合いに出すだけの気晴らしでしかなくても……何より頼りになる大人である先生。きっとあの人が居れば……。
その思いはマスクを被ったアズサに切って落とされた。
「今から私はサオリのヘイローを『壊し』に行く。私はこれから人を殺す」
籠った声に宿るのは凍りつく殺意。
それが当たり前の場所で、それが当たり前だと教わり、それが当たり前に動けるように訓練された存在。これが本当の私なんだとアズサは告げた。
「こんな私が、ヒフミと同じ世界になんていられない」
そこで言葉を切ったアズサは、一度マスクを外した。
「ヒフミ。私を友達だと思ってくれてありがとう。『アズサちゃん』と呼んでくれてありがとう」
モモフレンズのぬいぐるみをあげたこと。海に行ったこと。可愛いもの、綺麗なもの、知らないものがあるって教えてくれたこと。補習授業部での毎日を過ごせたこと。たくさんのことが学べたこと。
過る全ての思い出は眩いもので、かけがえのないものだった。
「少しでも補習授業部の生徒でいられて良かった」
最後にニコリと微笑むアズサ。それはヒフミにとって何よりも喜ばしいものなのに。
その言い方はまるでもう終わりみたいで。今だけはアズサの言葉を受け取りたくなかった。
「ありがとう、ヒフミ。さようなら」
ゆっくりと踵を返すアズサ。足音がやけにうるさく聞こえる。
走るどころか、踏み出すだけで追いつけるのにヒフミの足は動かない。
「だめです、待って、待ってください……」
手を伸ばしても届かない。
「きっと、他に方法が……せ、先生が、みんなが……」
ハッピーエンドなんて存在しない。
「『次はみんなで一緒に海に行こう』って、約束したじゃないですか……まだ一緒に、ペロロ様の冒険アニメだって、見れてないじゃないですか……」
一緒の世界にいられない。
「アズサちゃん……だめです、行かないで……待ってくださいアズサちゃん……」
「アズサちゃん!!」
願いも祈りも、友達も。
全ては闇夜に溶けていった。
アニメもしかしてワンチャンナギサ様出る可能性があることに気付いて踊ってました。
ちなみにL118牽引式榴弾砲の解釈は、直近の総力戦や大決戦の活躍、現在戦術対抗戦での大暴れぶりを見ての解釈です。