曇天から鳴り止まず降り注ぐ雨は、硝煙の匂いが微かに薫り、黒煙が燻る古聖堂の残骸にシミを作っている。
人の気が無くなり、寂寥が蔓延している式場に……一人と四人の少女が対峙していた。
人を、それも家族同然の大切だった人を殺してしまった――が、まだあのユスティナ聖徒会の力が残っていることに気が付き、立ち上がれてしまったアズサ。
幸いアツコの命に関わることはなくとも、あの爆弾を喰らってしまい僅かに弱体化したユスティナ聖徒会の影響を考慮して戒律の更新に訪れていたサオリ達。
再度両者が出会ってしまったら、悲しいことに起きることは決まり切っていた。
しかしそれはこれまで二度と起きた戦いの焼き直しに過ぎず、万策尽きたアズサに勝ち目は万に一つもない。
傷まみれの煤まみれで埃まみれ、友を失い宝物を失い……だがそれでも立ち上がるアズサ。
その姿にサオリは問い掛ける。
何故そこまで足掻くのか、何の意味があり、何を証明しようとしているのか?
「思い出せ、全ては――」
先を言おうとした時、ちくりとサオリの胸が痛んだ。今まで無視していた何かが、言葉を僅かに詰まらせる。
それと同時に、痛みに被せるようにアズサはきっぱりと答えた。
「たとえ虚しくても、足掻くと決めた」
眩しすぎるアズサの信条であり信念が、サオリに突き刺さる。
認めない……認められない。一体何を認めないのか、何が許せないのか。それをサオリが自覚し向き合えるには、些か時間が足りなかった。
だから答えられる反応は――皮肉なことに子供らしい激情に身を任せ、この世界で意志を示すことにうってつけの
そうして何十発かの銃弾を正面から喰らったアズサは後ろ向きにゆっくりとよろけて……ボロボロな体躯は優しく、けれど決して離さないと力強く抱えられる。
「ひ、ヒフミ……!?」
最初に感じたのは陽だまりのような暖かな香り。次に栗毛色の髪が肌を撫で……これまで何度も引っ張ってきてくれた意志の籠った、けれど初めて見る怒りも含まれた眼と合う。
そして眼を合わせ、沈黙したまま固まっているとコツコツと足音が鳴り始め……足音の存在に気付いた時には、既に少女達――補習授業部が並び立っていた。
「……何だ、お前は」
突如現れたトリニティの制服を纏った少女達に、眉を顰めたサオリは冷たく言い放つ。半分はアリウスで植え付けられ、育まれてきた憎悪からの条件反射のようなものだった。
そんな今まで向けられたことのない鋭い視線を受け――無縁だった少女は自身の存在を表明するかのように、今、胸の中にいる少女を掬い上げる為に答える。
「普通の、トリニティの生徒です」
***
『覆面水着団』という集団をご存知だろうか?
その名を語るには外せない有名なエピソードがある。
ブラックマーケットにある大手の銀行に突如として現れたヤツらは、厳戒に敷かれていた警備や防犯システムを掻い潜り、ものの数分で一億円を奪い去った……。
しかもそれが
目には目を、歯には歯を。無慈悲に、孤高に我が道の如く魔境を行く。
普段はアイドルとして活動しているが、夜になると数字の書かれた覆面を被り悪人をシバき倒す5人の義賊。噂ではあるが、彼女達は文字通り水着を制服として着用し活動している……なんてのも。
そんな恐ろしい集団のリーダー、“ファウスト”の正体はなんとヒフミだった!
それはとっても不器用でヘタクソな告白。
けれどただ純粋な願いと想いが込められた少女の告白。
例え住む世界が違うとアズサが言うのならば、本当は互いに届かない存在なのだと言うのならば。
それなら隣まで行きますと。だから私達は同じ世界に居られるのだと、拒絶されようとも絶対にすぐ近くに、すぐ傍に、すぐ触れられるところに居ると。
「……でも。私のためにそんな嘘を言ってくれたところで――」
でもやっぱりアズサからしてみれば突拍子も無い話――言うなればヒフミの優しすぎる嘘にアズサは……。
「誰が嘘だって!?」
それ以上は言わせまいと響く前口上。赤、青、緑にピンク、額にそれぞれ数字を携えた4人の覆面が参上する。
突然の覆面を被った不審者兼噂のアウトロー集団覆面水着団の登場、そしてヒフミが本当にそのリーダーだったという情報の濃さに補習授業部はもちろんアリウススクワッドも固まった。
想いに真実が乗ればもはや敵なし。
ほんの僅かな……誤差に過ぎないが確かに雨の勢いが落ちる。そしてそれが分かったのはきっと俺だけだろう。
そして先生の働きかけにより、古聖堂周りでも既に様々な組織が集結していた。
シスターフッドに正義実現委員会、剣先ツルギも持ち前の回復力で怪我は完治。もちろんゲヘナの風紀委員会も――先生は『おつかれ』と『ありがとう』をあげて、それをしっかりと受け止めることができた空崎ヒナは
「――あはっ!」
ダメだ。黙るんだ、俺。
ここから暫くは世界の
「アズサちゃん、私は今すごく怒っています。すっごくです」
瞼を閉じて、言葉を選びながらも躊躇うことなく伝える。
薄々感じていたヒフミの気持ち。
大切な友達を傷つけ突き放し、そして怒らせてしまったことはアズサにとって果てしなく悲しくて苦しく、申し訳が立たない思いが溢れて眉が下がる。
あの晩に見せたガスマスクの姿とはかけ離れている、親に叱られている子供みたいにしゅんと縮こまっていくアズサ。それもまたアズサの“本当”の一面だった。
「ですが、それ以上に無事で良かったです」
心底から、ただ友達の無事を知れたことにまずは一杯だと。
「すっごく怒っていましたが、よく考えてみればそれはアズサちゃんのせいではありません。ですから、私はもう怒っていません」
そこで区切るとヒフミは瞼を開き、正面に立つ少女達を見据えた。
「ですが、あの方々についてはまだ怒っています」
されどそこに憎悪の類はない。純粋な願いは時として怒りに悲しみにも変換されど、決して捻じれることはない。
「殺意ですとか、憎しみですとか……それが、この世界の真実ですとか。全ては虚しいものだと言い続けてましたが……」
次に続く言葉が声という形になることで変わる。
「それでも、私は……!」
曇天が蠢いた。
***
「ちゃんと見ててね、黒服」
フルボイスに移る為、ほんの僅かに合間に挟まる
後ろに控えている黒服が声として応えることはなかったが、静かに頷いているのを確かに感じた。
「アズサちゃんが人殺しになるのは嫌です……」
俺も嫌。
「そんな暗くて憂鬱なお話、私は嫌なんです……」
相応しくないよね、そんなの絶対に許せない。
「それが事実だって、この世界の本質だって言われても、私は好きじゃないんです……!」
分かる。好きって気持ちは何よりも大切で強くて尊いんだ。
「私には、好きなものがあります! 平凡で大した個性もない私ですが……自分が好きなものについては、絶対に譲れません!」
そう自覚できたのならば、もう憂いはいらない。だってこの世界が
「友達と苦難を乗り越え、努力がきちんと報われて、辛いことはお友達と慰め合って……苦しいことがあっても、誰もが最後は笑顔になれるような!」
うんうん。
「そんなハッピーエンドが私は大好きなんです!!」
……………………
「誰が何と言おうとも、何度だって言い続けてみせます! 私たちが描くお話は、私たちが決めるんです!」
…………あはっ!
「終わりになんてさせません、まだまだ続けていくんです!」
そう、そうだ。そうなんだよ。
「私たちの物語……」
これからも続けていくんだ、
少女が腕を掲げ、世界に宣言した。
俺は
神秘の箱庭、あらゆる■■■が憧れて望む先である学園都市キヴォトスが。大量に君臨するまるで国家のような千差万別の彩を持つ学園が。そこで起きる危険で騒がしくも、煌めき尊い日常とそれを謳歌する数多の生徒達と多種多様な種族の住民達が。もちろんネームドだけではない、名も知らぬ全ての生徒達を、彼女達をモブの一言で片付けるのは絶対に許さないよ???
そんな若干のカオスが入り混じった世界でビジネスを展開し、野心を強く持つカイザーだって好きだ。定期的に暴れる総力戦、大決戦のボス達のデザインには脱帽し興奮を覚えるし、各々の解釈と崇高を翳して暗躍するゲマトリアを愛している。
もしかしたら
空に浮かぶ薄く巨大な輪を見る度に胸が湧き上がる。手元のタブレットからSNSに接続すれば、そこに居なければ知り得ない新鮮な一面を垣間見える。歩けば絶対にいつかは遭遇する爆発音に。薬莢が転がる心地良い音色に、響き渡るあらゆる騒音に身を任せられる。
とにかく俺が言いたいのはこの世界を構成しているあらゆる要素が愛おしくてたまらない。
鬱屈とした曇天も。打ち付ける雨も。しんしんと降り積もる雪も。
そして、なにより欠かせないのが――
「――今から晴れるよ」
この世界を象徴する透き通った青空なんだ。
***
「あぁ、実にふつくしい……」
晴れ渡った空の下、屋上に立つ少女は両手を広げ全身に祝福の風と光を浴びて呟く。
「全オタク君歓喜感激あめあられ、粉砕玉砕大喝采で大好きでだいすこで完璧で究極のタイトル回収……この肉眼で見られる日が来るとは!!」
早口で捲し立てる少女の姿は何度も見てきた光景。
しかし今回に限っては――初めて会った時と同じように黒服は瞠目していた。
ナズサが指定した集合場所と言動から何かが起こると予想が付くのは容易く、またある程度の予測もしていた。
だがまさかエデン条約機構――同時に先生が超法規的機関“シャーレ”としての権限をフルで活用し、アリウス同様戒律の解釈を捻じ曲げた……そんなどこかシンパシーを感じる大人のやり方に笑みが零れる。
「クックックッ……これは次の定例報告の際には、普段以上に言葉に気を付けなくてはなりませんね」
この後の流れは予測ではなく確信に至っていた。今回の件はあまりにも……所謂
だが、それをベアトリーチェに伝えることも無い――仮に伝えたとしても意味は無いだろう。
未だに先生の信念に納得は及ばない……しかし小鳥遊ホシノの一件から意味として理解はできている。
『きっとこの世界では先生が
それからあの時のナズサの言葉と示し合わせると……恐らく詰みに近い。
「遂にここまで来れた、見れた!」
考えに耽っていた黒服を余所に、ナズサは続ける。
「素晴らしい、素晴らしいよ!
大袈裟な身振り手振り。演説とも実況とも受け取れる熱い言葉を並び立てていく。
「ヒフミ先輩がアズサ先輩の手を取って、例えどんなに陳腐でありきたりだろうとハッピーエンドが好きだと世界に刻み込む!
皮肉な程に煌めく透き通った涙を流しながらナズサは叫んだ。
そのセリフは彼女が起こした騒動と散々曝け出してきたどす黒い欲望からかけ離れたものだったが、逆にナズサだからこそその乖離性に説得力がある。
この未来が織り込み済みだった――彼女達と、そして先生が居るからこそ、ナズサは姉を裏切り、友を裏切り、親しい人に罵声を浴びせ、仲間が絶望に浸る様をまじまじと眼に焼き付ける。
更に誰よりも自身を異物として認識し、躊躇う事無く全てを捨てられる。
……こうして改めて書き表すと、あまりにも拗らせが重症過ぎる。
例えばこれが、どんな状況下でもここに辿り着く……俗に言う決定論的世界の検証のようなものとして行動しているならば、同じ探求者として共感はできる。
だが彼女はただの性癖だ。潔く清々しい純粋な邪悪だ。
……まぁある意味では、探求者というのも一種の性癖に近いかもしれないが、流石に
何より笑ってしまうのは、ナズサの興奮状態によって出現したナギサ様の脳を破壊し隊――便宜上主と呼称するが――主であるナズサの姿に何か思うところがあるのか、こちらにひらひらと手を振る彼女達。
文字通り平たい表情はやっぱり何か言いたげに映っていて……キヴォトスにおいても異形の存在である彼女達の方が正気とは。
そしてここに来てようやくと言っていいのか、先生へ憐憫の情の類が湧いてきた。
恐らく先生ならば大丈夫……なのだが、如何せんナズサはイレギュラー過ぎる。
一応このキヴォトスが崩壊することなく、また彼女が関わってきた生徒達の様子からナズサは“生徒”として適応できてはいる。そうなれば“先生”として、ナズサ曰くの『
ただまぁ……杞憂に終わるかもしれないが、ほんの少しだけ。ベアトリーチェの計画にも、ナズサの計画にも抵触しない程度には。
***
「……なぜお前がここにいる、黒服」
補習授業部と駆け付けてくれた生徒達によって迫りくるユスティナ聖徒会、アリウススクワッド、そして戦略兵器『ヒエロニムス』を退けた先生。
そんな折に……視界の隅ではあるが、確かな存在感を放つ大人を見掛けた先生は、生徒達に悪影響が及ばないよう一人抜け出して、組織としても個人としても因縁がある――黒服と相対していた。
「これはこれは……“奇遇”ですね、先生」
奇遇という言葉の割には冷静に……それこそ事前に待ち合わせていたかのような、若干の食い気味を感じるレスポンスの早さ。
「質問に答えろ、今度は一体何を企んでいるんだ」
決して生徒には向けない大人の鋭い視線が黒服を突き刺し、世間話などは要らないと端的に尋問のような形で投げかける。
「それについては答えられません……これは“ルール”ですので」
清々しく、誤魔化すことなく『答えない』という返答をする黒服。
一見それは何かを企てているからという理由に捉えられるものだが、その後に続けた『ルール』という妙な言い回しに先生は引っ掛かりを覚えた。
そんな曖昧な布石にも気付いてくれた先生の様子に、口元に当たる銀色が僅かに広がった黒服は「ただ」と続ける。
「ただ……ここに居る理由なら“本当”に偶然ですよ」
「…………」
先生は黙って耳を傾ける。
まるで答えは最初から決まっていると、白々しさを感じる仕草は……癪なことだが婉曲ながら――恐らくその理由があり――黒服は何かを伝えようとしていると分かったから。
「本当に偶然、この
微かに首を後ろ向きに、顎で背後に立つビルを指した黒服。
その言葉は決定的におかしかった。
「手を打つ? …………待て、私はお前がそこから出てきたところは――」
「おっとこれは失言でしたか。やはり口は災いの元ですね……。失敬、今のは“忘れて”くださいね?」
おどけた口調で、まだ先生が言い切っていないのにも関わらず、その言葉を待っていたと言わんばかりに先生の言葉に被せて応える黒服。
その態度に何も察せないほど先生は鈍くない。
「では私はこれで。失礼します先生」
最後まで具体的なことは出さない不自然な会話。しかしそこでハッキリと会話は終了したと、告げる事は無くとも両者は認識した。
クックックッと、相変わらず何を考えているのか分からない不気味な笑い声を携えて、敵対関係という言葉に似つかわしくない近すぎる距離で先生の隣を行く黒服。
そして数歩、背中合わせの形となった時「あぁ一つ差し出がましいですが」と黒服が口を開いた。
瞬間、本能に近い何かが先生に過り、反射的に振り返る。
「茶の時間にはご用心を。アイスブレイクは大切ですから」
漆黒のピンと伸びた人差し指が口元に重なり、ぴしりと口端が割れて銀炎の火花が散る。
そして数秒、流れた沈黙にまたクックックッと喉を鳴らして黒服は去っていった。
「……ふぅ」
一息付いて。
デジャヴを感じる仕草に少しばかりドキリとさせられたが……これこそ本当に癪なことだが、かえってそれが緊張を和らげた。
そして今度こそ、先生はビルの屋上へと踏み出した。
黒服「これもアイスブレイクですよ、先生」
次回