ナギサ様の脳を破壊し隊   作:あみたいと

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「……ただいま」

 

 長い年月が積み重なった言葉に返事は返ってこない。

 惰性という自然がどれだけ大切なものだったのか、当たり前が当たり前じゃなくなった現実が、ナギサに冷たく突き刺さる。

 

 振り返ると調印式からはまだたった数日しか経っていないが……しかし、この部屋に戻るのは久しぶりに感じた。

 

 あの騒動の後は立場に関係なく学園全員が、正に馬車馬の如く動き回っており、それはもちろんナギサも含めて――ある意味ではそれが逃避として――書類の雑務を処理()()()()()()()()ナギサは一旦の休息を取るため、学園内にある自室へ戻ってきた。

 

 あの時と何も変わらない。この部屋は何も変わらない。

 趣味のティーセットが並べられたテーブル、ジャンル問わず本棚を埋め尽くす雑誌類、杞憂に終わった無駄に大きいベッド。

 

 あの朝を、あの匂いを、あの空気をほとんどそのまま閉じ込めたままだった。

 

 ()()()()

 

 次に戻るのは夜、早くても夕刻だと判断したのだろう。

 昔散々口酸っぱく言い聞かせていたカーテンの戸締り、照明器具の消灯はもちろん、従者として学んだベッドメイキングなど仕立て上げられた部屋は完璧だった。

 

 それが彼女の存在の痕跡を優しく残していて――矛盾する善意と悪意、結び付く記憶のちぐはぐさにあれは悪い夢だったのでないか、僅かでも隙があればそんな風に思ってしまう。

 

 

 しかし。

 

 

「…………」

 

 しんと静まり返って迎え入れる部屋へ一歩踏み込むごとに、脳裏を駆け巡る記憶。

 

「……ぅ、あ」

 

 漏れ出た声はとても情けないものだと、どこか冷静に自分を俯瞰していて、しかし更にそれすらも逃避の手段として見下ろしているのだと俯瞰する。

 

『――ナギサ様?』

 

 そんな呼び方やめて。

 一言一句が頭に響き渡ることで全神経に迸る絶望。

 

『“生まれる前”から――ずっとずっとずっと――大っっ嫌いだった』

 

 そんなこと言わないで。

 今まで精一杯向けてきてくれた感情が、こそばゆくて返さなかったし、返せなかった。いつの間にか心の中で反芻するのも恥ずかしくなっていた。

 

 

 でも絶対に自分は――

 

 

『姉妹ごっこ』

 

 

 …………。

 

 

「、ぁ」

 

 全神経に迸る絶望がナギサの立つ力を奪い去る。

 

 自分の荒い息が五月蠅く耳朶に木霊する。

 不規則に、加速度的に悪化する煩わしい呼吸。そして間を縫うようにあの炎の中の、あの瓦礫の山の、あの曇天に轟かせた暴言が、罵倒が、拒絶が、攻撃が、悪意が、裏切りが、妹が――――

 

 糸を解くよう全てが鮮明に蘇る。胸に突き刺さった刃は返しとなって抜けることなく、ぐちゃぐちゃに脳に焼きついた光景は瞼を閉じても逸らすことは能わず。

 

「え、ぁ?」

 

 膝を着いたナギサが咄嗟に辺りを見回し目的もなく()()を探し始めたのは、心を守る為の本能に近い行動だったのだろう、がむしゃらに膨大な書類の山の作業へ向き合っていたのもきっとそう。

 

 それは隣にあった――広げられた三面鏡と目が合った、そこに居た。

 腰まであるブロンドと伸びる両翼、ティーパーティーの証明である純白の制服を纏った……まるで闇を幾重にも重ねたようにくすんだ琥珀色の瞳。

 

「な、■■、サ」

 

 そして奇しくも、最後に見た彼女の姿はリボンを解いて何も飾らない完全に下ろしきった姿で、映っていたのは同じく、花の髪飾りを外して下ろしきった少女だった。

 

 膝立ちのまま、鏡へ近付き手を伸ばす。

 その行動の意味は滑稽と言わざるを得ないものだが、しかし触れたら最後、取り返しのつかない致命傷となるもので――――

 

 

 ひらりと、一本のリボンが舞い落ちた。

 

 

「…………」

 

 伸ばしていた右手でそれを拾い上げる。

 黒色のリボンは妹を彩る大切な一つで、彼女はその性格とは裏腹にモノトーンな落ち着きある色を好んでいた。

 

 その、性格とは、裏腹に……。

 

「……は、ははは」

 

 それは余りにも遅すぎる気付き。

 幼馴染へ能天気だと半分呆れを向けていた自分が果たして言えたものなのかと、他の誰でもない自身が嘲笑として響き渡る。

 

 過去の自分がどれだけ楽観的だったのか――彼女はいつまでも隣に居てくれると。無邪気に笑いかけてくれて、どんなことがあっても信じてくれていると。

 

 妹は……ナズサなのだからという曖昧に漠然と、けれども自然に思っていた。

 ナズサが居ればこれから待っている未来に苦労は付き物でも、希望と呼べるものがあるのだと。

 

 痛い。

 

「わたしは、結局……」

 

 苦しい。

 

「こんなの、だったから……!」

 

 痛くて、痛くて。苦しくて、苦しくて。

 必死に、無様に、縋り付くように胸に押し当てて抱え込む。

 

 彼女のお気に入りで、親友とのお揃いで、姉としての証でもあったリボンを。

 

「あ、は、ぁぁぁ……!」

 

 慟哭ではなかった。

 ただ声にならない叫びが静寂に溶けて消えた。

 

 

 

 ***

 

 

 

『桐藤ナギサは事態の収束が完了次第、今回の騒動の責任を負う為ティーパーティーを辞退する』

 

 サクラコ、ミネ、ハスミとの今後のトリニティの展望の相談として呼び出された先生。

 現在の状況とこれからの対応の認識を各組織と摺り合わせ、一先ずの区切りが付いたところで『ティーパーティー……ナギサはここに来ていないのか』先生が尋ねた時の答えだった。

 

 ナズサの謀反という事実は現在、あの現場に居た生徒とその側近に近い立場である一部生徒のみが知っている。

 そして肉親でありティーパーティーという立場でもあるナギサにも疑いの目が向けられる……ことはなかった。

 

 この事実を知っている生徒は幸いにも学園内でも組織のトップに立つ人間であり、洞察力や慧眼が優れている生徒が多い。

 そんな彼女らが()()()()に立ち合い、更にその後のナギサの姿を見れば……とてもナギサがナズサの謀反に関わっているとは言い難かった。

 

 しかし皆が皆、同じ考えに至る訳ではない。

 トリニティの内部は決して一枚岩ではなく、それはティーパーティーも同様。

 

 ナズサの謀反という特大の事実は、虎視眈々と上層部を狙っている生徒にとって恰好の得物であり、また今はまだ情報規制を敷いているが一般生徒の間に広まるのも時間の問題だった。

 そうなればトリニティはゲヘナとの和解どころか、学園の存続すらも危ぶまれる程の危機に陥ってしまう可能性もある。

 

 そのことも含めて先生をこの会議に呼んだそうだが、しかしその前に責任を負うとナギサ自ら言い出したのだ。そして彼女は現在粗方の作業を一人で終えてしまい、引継ぎの段階に入り始めてしまっていると。

 

 だからこそサクラコやミネは、ナギサはこれからのトリニティに必要な人間だと言った。

 

 確かに補習授業部の件は簡単に許せることではない。ゲヘナとの条約はトリニティに新しい風を吹かせるきっかけになる大事なものだったが、それに固執していたがあまりシャーレという外の力を利用して退学に追い込んだのは紛れもない事実。

 

 結果的にはミカが暴走しセイアを襲撃したことで疑心暗鬼に陥ってしまったことが原因であったが、その上でナギサ本人は自身の行いが誤っていたと反省し、一人一人対面にて謝罪することで精一杯誠意を示そうとしていた。

 

 そこに妹であり次期ティーパーティー候補、桐藤ナズサの謀反。

 しかし彼女の裏切りをナギサは本当に何も知らなかった。それは先程同様ナギサの……触れれば朽ちてしまいそうなその目が明らかにしていた。

 

 

 

 そして今先生はある部屋の前にいた。

 

「……まさかこんな形で訪れることにはなるなんて」

 

 ナズサと補習授業部の問題用紙を作成している時の何気ない会話だった。

『最近は家に帰れないぐらい忙しいけど、その分お姉ちゃんと同じ部屋で過ごす時間が多くなって嬉しい』ナズサの一日のスケジュールを知った先生が、休む時間もしっかり取らなければいけないよと促した時に嬉々として語ったナズサ。

 実はここに持ち込まれた茶菓子やティーセットも、その部屋からこっそり拝借しているのだとニヤつきながらも、いつか先生も含めて補習授業部のみんなを招待したいと淡い笑みを覗かせていた。

 

 ここに訪れた理由はもちろん、ナギサに会う為だ。

 ティーパーティーを辞退する旨を伝えてそれきり姿を見せなくなったナギサに。

 

 ミネ達曰く、そもそもその報告は本人の口から対面で受け取ったものの、ほぼ一方的に近いものでありミネ達の返事には耳を貸すことも――声をかけることすらも躊躇ってしまったと。

 救護騎士団として、ミネは適切な対応が出来なかったと酷く悔やんでおり――どうかナギサを助けてあげて欲しいと、大人である先生へ頼ってきた。

 

「ナギサ、少し話したいんだけどいいかな?」

 

 コンコンと軽く指でノックし、優しく、けれど確実にドアの向こうに居るナギサへ聞こえるようハッキリと告げる。

 

 しかし案の定と言っていいのか、返事は無い。

 

 数秒待って、もう一度鳴らす。

 返事どころか、ドアの向こうから気配すら感じ取ることができない。

 

 だがこの部屋に居ることを先生は確信していた。

 

 そうして試しにとドアノブに手を伸ばすと……驚く程、簡単に扉は開いた。

 

 そのままぎぃと慣性に倣って扉は開ききり――晴れ渡った陽光が満遍なく差し込んでいた廊下とは真逆の、全てを飲み込み全てを拒絶する昏く冷たい闇が満ちていた。

 

「……ナギサ?入るよ」

 

 広がる暗闇に息を呑んだ。それは恐怖からではなく、胸を締め付ける心配からもの。

 

 まるで原色のような黒が包む部屋、閉め切られたカーテンは揺れることなく光を拒み、部屋が広いが故の圧迫感が先生へと襲っていた。

 しかし先生の歩に迷いはなく……何も見えなくても、何の音も聞こえずとも、導かれるようにそこへ向かっていた。

 

「……ナギサ」

 

 部屋の一番奥、もう一つのドアを挟んだ一室に、天蓋に覆われた大きなベッドの隅に彼女は居た。

 

 乱雑にシーツへ広がる艶が無いロングと、ボロボロの箒のように跳ね上がる髪。誰もが一度は目を奪われる両翼は今に折れそうな程撓り、両膝を抱えて小さく蹲りながら伸び切った前髪から微かに覗く濁った双眼は瞬きすることなく、先生の入室にも一寸の反応を示さない姿はまるで銅像のようで。

 

 なによりも小さな右手に強く握りしめる、ナズサが自ら解き投げ捨てたリボンの姿が、ナギサを表しているかのように痛々しかった。

 

 

 





曇りのち、曇り


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