ナギサ様の脳を破壊し隊   作:あみたいと

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曇明

 

 

 

 ミネやサクラコ、他のティーパーティーの生徒から聞いていた話から先生は最悪の場合コミュニケーションが不可能ではないかと懸念していた。

 

 そして嫌な予感ほど当たるもの……部屋の隅で蹲るナギサの姿は正に茫然自失。

 

 勿論先生として、決して生徒を見捨てることなど無いと前置きした上で、正直に言ってしまうとこの姿はあまりにも子供が見ていいものではない。

 特に普段のナギサを知っている身近な存在であればあるほど……人によってはトラウマにもなりかねない、そしてそんな顔に決してさせてはいけなかった。

 

 しかし彼女の存在と力がこれから先、しかも可及的速やかに必要なのもまた事実。だが対応は慎重を要さなければならない。

 板挟みとなった先生は一体どう切り出すべきかと思案していた時――――

 

「ご無事で良かったです、先生」

 

 突然に、そして意外にも。

 重く淀んだ部屋の中にぽつりと、その言葉は響くことなく溶ける。長くは無かった沈黙を破ったのはナギサだった。

 

 その言葉は額面通り受け取れば安堵。彼女から応答があったのは一見したら先生の懸念は杞憂であったと思えるかもしれない。

 

 しかしナギサの声にその色は無くて――

 

「……すみません、でした」

 

 謝罪と自罰、そして底の見えない自己嫌悪だった。

 

「そんなこ――」

 

 居た堪れずに口を開く。それは先生としての性だろう。だが開いたその瞬間に押し戻されるように口を噤んだ。それもまた、一人の大人であるがゆえだった。

 

 『そんなことはない』

 『ナギサは悪くない』

 

 それは慰めではなく客観的な事実だ。

 だが今の彼女にその言葉をかけるのは恐らくもっとも残酷なことだろう。

 

 今のナギサの謝罪は自傷行為そのものだ。それは先生として、大人として見過ごしてはならない。

 だが……本当に悔しいことであるが、時としてその自傷行為を否定すること自体が、何よりもその子を傷付けてしまうこともある。

 

 まずは彼女の吐露を全て受け止める。リスキーではあるが活路はきっとそこにあった。

 

 

「…………全部、私が悪いんです」

 

 ナギサは顔を伏せたまま消え入るような声で言葉を紡ぎ続ける。伸びた髪の間から覗く表情からは、先生の思考を察しているのかは読み取れなかった。

 

「悪者は、私だったんです」

 

 悪者。

 一見幼稚に聞こえるその言葉は、それを口にしたのは、トリニティのリーダーとして常に凜とした気品を振舞っていた桐藤ナギサで。かつて疑心暗鬼に苛まれていたあのナギサが、“悪者”という言葉を選んだのは余りにも重いものがあった。

 

「――はっ、ふっ、ははは……」

 

 ピクっと小さく肩が跳ね、断続的に浅く途切れる息に自嘲的な乾いた笑いが混ざる。

 

「滑稽、ですよね」

 

 声には変わらず痛く弱い笑いが含まれていて――今まで埋めていたゆっくりと顔を上げる。

 

 一瞬、伸びた前髪の間からナギサと目が合った。

 その目に宿る感情は……悲しみ、絶望、怒り、様々なものが綯い交ぜとなり、それはまるで深海のように昏く何もかも――自分自身さえも飲み込んでしまいそうなものだった。

 

「私さえ居なければ……こんなことにならなかったんです」

 

 膝を抱えたまま、じっと右手に握りしめるリボンを見つめる。声音の震えは徐々に加速し、そして今にも消え入りそうにか細い。

 

「疑って……陥れて……巻き込んで……最後は全部、めちゃくちゃにして……」

 

 言葉が途切れると同時に、空いている左手がゆっくりと顔を覆いぐしゃりと乱雑に髪を握った。

 

「…………どこで間違ってしまったんでしょうか」

 

 声が尻すぼみにかすれていき、喉の奥から絞り出すような嗚咽が漏れる。しかし涙は零れない――もうその力すら残っていないのか、やがて細い指は糸が切れたようにペタンとシーツに落ちた。

 

 

 

 

 

「――っ、すみません、変なことばかり言って。今のは忘れてください」

 

 浅く短い息をしながらナギサは僅かに顔を上げ、跳ねた髪の奥で小さく笑みを浮かべた。それは作り笑いとしては余りにも不器用なもので胸を締め付けるほど痛々しく、何より依然としてその瞳は昏く何も映していなかった。

 

「それで……私になにか用が?」

 

 口元に薄く笑顔を貼り付けたまま、抑揚のない平坦な声音は――ナギサの癖だったのだろう。常時であればそれはアイスブレイクを経て、場を切り替える凛としたもの――余りにも空虚で、風前の灯火が最後の光を必死に保とうとしているかのようだった。

 

 

 

「ナズサについて話したいことがあるんだ」

 

 

 

 あからさまに避けていたその名を口にする。瞬間、僅かに、しかし顕著に。深海の如く昏く廻っていた瞳が揺らぎ、その時本当の意味で初めてナギサと目が合った。

 

「まだ何も終わっていないんだ」

 

 そのままナギサの瞳を見つめたままきっぱりと言い切る。それは傷を抉り返すに等しい行為かもしれない。

 だが今ここで、この機会を逃してしまったら……もう二度とナギサに会えないかもしれない。

 

「…………」

 

 張り詰めた空気が漂う。しかし先生は決してナギサから目を逸らすことはなかった。

 そしてわずかな沈黙の後一度ゆっくりと瞬きをしたナギサは、右手に視線を下ろした。

 

「……調印式の朝、久しぶりに髪を結んだんです」

 

 ナギサは言葉を紡ぐのに少し時間をかけながら、訥々と語る。

 昔は何度も髪を結んでいたのに、普段から一緒にいる時間は長かったはずなのに、いつの間にか、何となく離れてしまっていた。

 

『何年経っても、座った時の頭の位置が同じで……』『いつも鏡越しに笑いかけてきて……』

 

 言葉が続くたびにナギサの目には微かな輝きが宿り、そして確かに綻びが漏れていた。けれどそれはすぐに陰りに変わる。

 

「ありがとうって……大好きだって、言ってくれたんです」

 

 もしそこだけを切り取ったのならば、仲睦まじい姉妹の姿そのものが見えたかもしれない。けれどナギサの表情は言葉とは裏腹に今にも泣き出しそうな、一人の姉であり子供のものだった。

 

「…………初めて言われたんです。嫌いだなんて」

 

 瓦礫の山と火柱、煤煙が舞う中でいつも自分(ナギサ)を見上げていた彼女が、初めて自分(ナギサ)を見下ろし、初めて聞く笑い声で、初めて言われたあの言葉。

 

「正直……もう、わけがわかんないんです」

 

 はっはっ、と途切れ途切れの浅い呼吸に混じる乾いた笑いが痛々しく先生の耳朶に響く。

 どんなに考えても堂々巡り――どれだけ足掻こうと深海の如く引きずり込まれ――辿り着いたのは自嘲と自己否定。

 

「ずっと、頭がめちゃくちゃになって……『大好き』ってどんな意味だっけって、『ありがとう』ってどんな意味だっけって」

 

 それは誇張でもなんでもなく、ただ切実に答えを探し迷っている一人の少女。彼女が求める“言葉”の答えは辞書にも、ネットにも載っていない。

 

 

「――――『嫌い』って、どんな言葉なんだっけって」

 

 

 最後に小さく、呟くように続いた言葉。

 その時の、そこに在ったナギサの表情を表すのならば――本当に嫌なことに、そう認識してしまう自分を先生は許せない。

 

 

 

 それは“笑顔”だった。

 

 

 

 

 

 楽園の証明について、かつてのナギサは楽園を目に見えない物として、信頼や友情と言った『肯』を挙げていた。結局のところ他人は他人、その腹の内で考えていることなど分かりはしないのだと。

 それは逆説的に悪意や憎悪と言った目に見えて判りやすく、実害という形を持って証明される物にどこか奇妙な、ある種の信頼を置いてしまう結果となっていた。

 

 悪は明確だが、善は曖昧――そう信じてしまっていたことで、ナギサの心は疑心暗鬼という暗闇に囚われていた。

 

 しかし、それでもナギサは補習授業部の一件以来少しずつ、確実に新しい一歩を踏み出し始めていた――その矢先のこと。

 一番の信頼……いや、もはやわざわざ信頼と呼ぶことすら野暮だった、()()()()()()()であったナズサの裏切り。

 

 それはナギサにとってあまりにも大きく重すぎた。

 端的に言えば、彼女の心が挫けてしまうのは当然のことだった。

 

 ……これには正直先生も、決して、決して表には出さないと前置いた上で、あまりにも悪すぎるタイミングでのナズサには正直毒づきたくもなる思いがあった。

 

「……だから……本当にすみません。でも私はもう、ダメなんです」

 

 みんなが前に進み始めた中で……自分はもう動けない。進むことはできない。何もできない。

 

 

 

 

 

 ここまでが真実であったのならば――これはただ辛く、苦しく、悲しいだけの結末となっていただろう。

 

 しかしだ、冷静になって振り返ると、ナズサの言動はいくつか疑問点が残る。

 更にアリウス分校というトリニティの歴史に深く関わっている生徒達の出現、ミメシスと呼ばれた未知の存在、あらゆるレーダー網を突破したミサイル、影を見せ始めているゲマトリア、そして屋上でのナズサとの対話。

 

 まだ、何も終わっていない。

 

「ナギサ、少しだけでいいんだ。話を聞いてくれないかな」

 

 これらのどれかだけ、ほんの一瞬だけでも耳を傾けてくれれば……そうすればきっと道は拓けるはず。

 先生として、苦しんでいる生徒を助けるのは当然の責務。それはもちろんナズサもナギサも例外なんかじゃない。元より先生には全員を助ける以外の道など、最初から無かったのだ。

 

「…………私には、無理です」

 

 そして生徒に対して無理強いができないのもまた先生であった。確かに時として強く出る必要もある。しかし、今のナギサは崩れかけている均衡に立つかろうじて存在。そんな彼女に無理をさせることなど――考えることすらしたくない。

 

 それは先生が先生であるがゆえの詰みであった。

 

 

 

 だからそれは、正に文字通り光明だった。

 

「え?」

 

 突如パチンと子気味の良い音が鳴ったと思いきや、部屋の暗闇が晴れ渡った。

 暗闇に慣れていたせいか、眩くなった部屋に一瞬視界を奪われるも徐々になれていき――

 

「おやおやこれはこれは……先生?」

 

 この数週間ですっかり聞きなじみを覚えた少女の声に思わず目を見開く。

 

「こんな暗闇の個室で二人きり……これは色々と捗っちゃいますね?」

 

 膝丈ほどまである、右耳側だけ三つ編みに纏めた艶やかなピンクの髪。ある程度の知識があると謎に意味深聞こえてしまう言い回し。

 

「ぜひ私も混ぜていただけませんか?♥」

 

 スクール水着の才媛がそこに居た。

 

 

 





曇りのち、晴れ?


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