「突然お邪魔してすみません」
その言葉とは裏腹に微笑みを浮かべながら、相変わらずすぎる服装で部屋へ入り込むハナコ。
「……少しナギサさんとお話がしたくて」
正直に言ってしまうと、先生の胸中には困惑が3割、不安が3割、安堵が3割――そして怒りが1割ほどあった。
ハナコとナギサ二人の関係性は中々複雑なもので……一種の因縁のような間柄だ。
それでも様々な問題や誤解、暴走を経て……最終的に先生やナズサが間に入りつつ、ナギサの謝罪によって一旦の収まりは付いた。
しかしそれはそれとして、二人は中々ウマが合わない者同士。これは互いの立場や考え、経験からなるものであって仕方がないものであると先生も承知している。
ハナコが自主的にナギサに話を持ち掛ける……これは確かに喜ばしいことだ。
どれだけ立場や所属、考えが違っても……他人であっても、まずは話をして歩み寄る努力をするのが大切。
しかしそれが現実には一筋縄ではいかないもの。
だからこそタイミングというものがとても重要で……そんなことをハナコが理解していないはずがない。
そして何よりもハナコの服装。
確かに彼女は水着を大胆に着こなす節があったが、しかし今着て来るのはなんというかそう……
ハナコが水着で徘徊することには理解を得難くても彼女なりの信念のようなものが確かにあった。しかし今のハナコの姿にはそういったものどころかむしろ――疑うような真似はしたくないものの、悪意のようなものが裏に隠れているように感じてしまう。
「ハナコ……っ!」
先生が生徒を呼びかける時としては珍しく、デリケートな状態のナギサを相手に自分でも気づかぬうちに余裕を無くしつつあったのも相まって、思わず強めの語気と共に前のめりになってしまう。
「お願いします、先生」
先生に待ったをかけるように、ただ誠実な一言を告げるハナコ。
合った彼女の表情には先程の薄い微笑みは消えていて――このタイミングでの登場が露悪的に映ってしまうことも、少し厳しい態度を先生が取ることも……ハナコは重々承知していた。
「先生の姿勢はとても素晴らしいものです。それが私だけでなく、補習授業部のみんなにもどれだけ支えになっていたか……」
ふっとまた柔らかい笑みを浮かべて瞳を閉じ、これまでの補習授業部としての日々を振り返るように胸に手を当て言葉を零すハナコ。
「ですが今回のナギサさん相手には分が悪いと思います」
そして開いた眼には真剣そのものが宿っていた。
「だから先生……お願いします」
***
「それじゃナギサさん、立ってください。ナズサちゃんの元へ行きましょう」
「………………は」
あまりにも唐突かつ大胆なハナコの発言に耳を疑い見上げるナギサ。
そこにはなんてことない、ただ当たり前のことを言っただけだと言わんばかりの――何故座っているのか、心底分からないといった様子で疑問符を浮かべているハナコの姿。
「どうしましたか?」
「…………何を、言っているんですか」
「あれ? てっきりもう気付いていると思っていましたが……」
気付いている?一体何のことだ。あれは夢でもなんでもない、ただ現実に起こったことで――
「ナズサちゃんの嘘に」
「………………」
嘘。
端的なその言葉が耳に入った瞬間、反射的にナギサの肩が跳ねる。
誰よりも嘘に苛まれ、そして誰よりも嘘に傷つけられたナギサにとって、それは余りにも強くて重い意味を持つ。そんなことはこの場にいる誰もが周知していることで……いきなりのハナコの踏み込みに、先生の背筋に冷や汗が流れる。
「…………もう、訳が分からないです。私のことは放っておいて――」
「そもそもどうしてナズサちゃんはあの調印式の場に現れたのでしょうか?」
これ以上何も聞きたくはない、話したくはないと拒絶に入ろうとするナギサ。対してハナコは更に深く踏み込み、“あの場面”を思い起こさせる。
「ナズサちゃん曰く、補習授業部は隠れ蓑だったそうですね?」
そして抉る。だがそれはハナコ自身もまた傷つける行為であった。
「誰も彼女に警戒を向けていなかったことを考えると、裏切り者としてのナズサちゃんの立ち回りは完璧でした」
フラッシュバックが過るナギサは固まる。
ハナコが一つ一つ確認するかのように言葉を紡ぐ度、体の節節が千切れていくような錯覚を覚える。あの子の名前を聞くだけでチリチリする。警戒、立ち回り……裏切り者、嫌なほど聞きなじみがあって、今一番聞きたくない単語たちに呼吸の仕方を忘れて、色彩が消えていき、頭が痛い。
「ですが、おかしいと思いませんか?」
決して頭痛が止んだわけでも、気分が晴れたわけでもない。
なにも状況は変わっていないし、胸も苦しい。
でもなぜか、彼女の言葉を聞いていた。
「ナズサちゃんは最後の最後、調印式に……人の目が多く集まるあの場に現れ、自分が裏切ったのだと宣言しました」
「………………」
「ここまで完璧に立ち回ってきたナズサちゃんなら、本来取るべき選択はただ黙ってフェードアウトすることです」
それは、それならどれだけマシ……いやどれほど傷ついていたのか。もしも調印式の襲撃から一旦の落ち着きを見せた時、ナズサの姿だけが居なくなっていたら……。
「しかし、ただそれだけで終わる話だったのにもかかわらず、ナズサちゃんは最後に自分の行いを台無しにするようなリスキーな動きをしたんです。まるで漫画や映画の悪役かのように」
あの時のナズサは舞っていた。砂埃を散らし、硝煙が立ち昇り、混乱と混沌の間で。最後には舞台から飛び降り、瞳が触れ合うほどの距離で見つめられて……最後には演目が終わるかのように置いて行ってしまった。
そうだ、ただそうなった現実が残っただけだ――
「つまりそれだけの理由があったということです」
そうなった現実が――
「…………は?」
それは悪意を疑うという逆転の発想。これまで一種の信頼を置いていたものに対して疑いの目を向けるというもの。
正直、絶対に有り得ないとこれまでの経験から断言出来る……はずだった。
「なにを……ありえない、です……そもそもなんで、どうして」
「そんなの決まっているじゃないですか」
ハナコはかがみこみナギサと対面になる。翠色の瞳にくすんだ髪から覗く自身の眼が見えた。
「ナギサさんのためですよ」
ぼんやりとしていた視界がようやく開け、初めてハナコの視線と目が合った。
***
「今、こうしてナギサさんが学園に……辞退を考えているそうですが、それでも未だティーパーティーの地位にいるのはなぜか」
「それはあなたがナズサさんの裏切りに関与していないと、証拠は無くとも保証されているからです」
桐藤ナズサが豹変し嬉々として次々とネタバラシをしたことを、調印式を破壊し悪意に満ちた言い回しや銃口を向けて先生や桐藤ナギサを傷つけている場面を、シスターフッドの長、正義実現委員会のツルギとハスミ、シャーレ所属の先生、更にはゲヘナの風紀委員長までもがあの場に居合わせ目撃した。
よって結果として最悪な形ではあるものの、ナズサと近しい人物だった補習授業部の面々や先生、幼少期からの付き合いであるミカ、肉親であるナギサに疑いの目が向くことはなかった。
「それも全部……ナズサちゃんがあの場で正体を明かしたからです」
裏切りというのはバレないからこそ意味がある。実際にナズサはバレていなかった。しかし最後にはその全てをひっくり返すような矛盾した行動。
それらから考えられること……ナズサがあそこで現れたことで一番助けられたのは――
「私たちやナギサさん、なんですよ」
あそこで
全ては私たちを守るために。
「そんな……都合よく」
そうだ、瓦礫の山の上で――偶然、ハナコが理論立てて話しているように聞こえるだけで成り立っている偶然の今とは違う――今まで見せたことのない笑顔で、聞いたことのない声音のナズサは確かに“本物”で。
「ナズサは、私のことを……き、嫌いって」
「なーんでこういう時に限って額面通り素直に受け取ってしまうんですかね?」
「…………っ」
目を伏せ絞り出したナギサを容赦なく一蹴し、すっと立ち上がるハナコ。
「まぁ一つくらいはそういった面があった方が可愛げはあると思いますけどね」
そしてまた、悪癖ではあると自覚しながらも薄く微笑みを浮かべ身を翻していく。
「他の誰でもない、ナギサさん。貴方がナズサちゃんを信じてください」
最後の瞬間に見せたハナコの表情は誰にも見えなかった。