時期は夏の中旬に差し掛かった頃、頭が重くなるような曇天の下で、私達はいつものように東京を巡り歩く。
今日はかねてからの虹夏の提案によりドラム専門店へ行く事になっていた。
何故か、話は少し遡る。
秀華祭での演奏後、ぼっちの代用ギターを探す為に下北沢のギター専門店を巡っていた時の事だ。
自分以外の全員がギタリストであるが故の疎外感でもあったのだろうか、虹夏が「次はドラム専門店行こうね!!」と涙ぐみながら言っていた事があったのだが、それがめでたく実現した訳だ。
正直、理由が何にしろ私は虹夏の行きたい所なら別に構わない。
虹夏に限らずぼっちや郁代にも当てはまる話だ。
ただそれでも、お世辞にもこんな気が滅入る天気で外出するのは些か気が引ける。
空は黒雲の所為でまだ正午を少し過ぎた辺りだというのに薄暗く、休日特有の晴れ晴れとした気分を損ねてくる。
おまけに空気も湿度の所為でジメジメしていて、無性に汗をかいてしまう。
今日はSTARRYか家でジッとしておきたかったが、まあ虹夏の為だし付き合おう。
とはいえ、今回の外出は少し遠出をしなければならない。
何故なら下北沢にはあまりドラム専門店自体は少ないのだ。
なので渋谷に行くことになった。
遠いと言っても高々数駅程度なので、遠いとは言えど体感的な問題に過ぎない。
渋谷駅に降り立ち、駅から歩いて数分すると、他の建物とは打って変わって独特な雰囲気を醸し出す店の前へと到着する。
とりあえずこの気持ち悪い外の空気から逃げたい。
先頭の虹夏が入り口前に立つと、自動ドアが左右へスライドして開放されて私達を出迎えてくれる。
店内を循環していた冷たい風が、一気にこちらへ押し寄せて頬を撫でた。
「お、着いたぁ!ここ私初めて来るんだ~!」
「わぁ!ドラムってこんなに沢山あるんですね!」
「う、シンバルが眩しい...」
入店早々、ぼっちはシンバルの反射光に目を潰されて悶える。
側から見れば不審者そのもののぼっちと、普段とは違う光景に大はしゃぎする二人とは裏腹に私は静かに店内を見渡す。
確かに私が普段立ち寄るような楽器屋と比べれば雰囲気から違う。
普段通っている店では壁にベースやエレキ、アコギをメインに立て掛けたり、他にも著名か単に店の従業員が推しているお気にのギタリストの写真を飾っているのだが、此処にはバス、簡単に言えば足でペダルを操作して鳴らしてやる大きめのドラムが掛けてある。
他にも店の奥には棚があって、そこには数百はくだらない規模のドラムやシンバルが棚に規則的に並べてある。
楽器の種類一つでここまで変わるのかと、私は心の中で感心する。
「そこ!一人でドヤらない!」
虹夏が私の頬を突きながら、小さく頬を膨らませる。
どうやら彼女のお気に召さない行動だったらしい。
私は彼女の方へと振り返って虹夏の目を見つめ返す。
「よく分かったね」
「顔に出てるんだよ。それより...」
虹夏が何か言おうとすると郁代が先に口を開く。
「私たちは伊地知先輩について行きますね」
「そう?オッケー!」
流石は天下のコミュニケーション能力オバケSNS大臣、相手の発言すらも予測するとは恐れ入る。
と言っても私はドラムの知識なんて全く皆無なわけで、とりあえずコミュニケーションのプロと真反対のぼっちに此処は任せよう。
私はドラムを見る三人から少し離れて、適当に商品を見繕うフリをする。
値札を見ているとどれも数十万以上はする、何という高額さなのだ。
確かに年季というか雰囲気というか、所謂手頃なモノと比べれば上等な品物の匂いを嗅ぎ取れる。
そういえば虹夏のドラムも相当年季が入っているし、売れば良い値が付くだろう。
暫く見て回ってると、不意に後ろから声が上がった。
「リョウ~。もー何処行ってたの?」
「良い物ないかなって」
虹夏はやれやれと言った表情で、肩を竦める。
あからさまに落胆したのも束の間、すぐに普段の笑顔を作って私の手を掴む。
「まあ別に良いんだけどさ。そろそろ良い時間だし帰ろ?」
「ん、わかった」
どうやら私が気付かぬうちに、それなりに時間が経った様だ。
私と虹夏の他二人も満足できたらしいので、早いところ退店して家に帰るとしよう。
私達は向かった進路を逆方向に辿って、そそくさと退店する。
さらばドラムの聖地。
「ドラムって、バッチだけでも種類が沢山あるんですね。何が何だか...」
「でしょ~?さっき買ったバッチは~」
二人が意気揚々と話している。
虹夏にとって有意義な休日となってくれてると良いな。
そんな微笑ましい様子を後方で眺めていると、急に郁代がスマホをポケットから取り出し横に並ぶ二人へと画面を見せつける。
画面を見たぼっちが突然不気味な笑顔を浮かべる。
そんなぼっちとは真逆の表情でぼっちに何かを問いただす虹夏。
一体全体なんだろうか、内容を想像しながら傍観しているとぼっちが口を開く。
数秒後、虹夏がいきなり私の方へ振り返って叫ぶ。
「山田ァ!」
周囲の目なんて気にせず名前を呼ぶ彼女に私は困惑する。
「今度は何」
「え、え、あのこれリョウ先輩がこれが真のギタリストだって...」
ぼっちが郁代のスマホを指差して俯く。
そこには見知らぬ女子高生とハグしているぼっちが写っている。
制服的に郁代とぼっちが通っている高校の生徒だろうか。
普段のぼっちなら絶対考えれないシチュエーションがツボに入ってしまい思わず吹き出しそうになる。
堪えているところで、私はやっとこの写真について思い出す。
「ぼっち顔受け良いし、そっちの路線もアリかなと」
「うんうん。写真は良いと思うんだ!でもぼっちちゃんにこうしろって態々指示した輩が居るらしいんだ」
言葉の刺々しさとは裏腹に、清々しい程笑顔なのが逆に怖い。
「ごめんなさい・・・」
私は素直に反省の意を伝える。
何故か目に光がない郁代と慌てるぼっちを他所に、虹夏がやれやれと言った様子で口を開ける。
「ぼっちちゃんが可愛いから良かったんだけどさ・・・男なら一発アウトだよ」
「まあまあ、ひとりちゃんなら大丈夫ですよ。ね?」
「あ、そそうですね。はい」
郁代のフォローで何とか急場を脱する。
ありがとう郁代、あとで他の写真も送るよ。
通常のぼっちは芋臭い感が抜けないが、ライブやベース、作詞に本気で向き合っている時のぼっちは真摯で美人だし、おまけにスタイル抜群であるのは否めない。
可能ならビジュアル面で売りに出したい所だが、無理強いは流石にしない。今のところはね。
今後は可能な限り少し控えることにしよう。
一悶着ありつつもなんとか無事に渋谷駅まで近付いてきた。
町中の喧騒が徐々に戻って来ているのが感じ取れる。
今日は疲れたしさっさと帰って、適当に音楽でも聞いて寛ごうか。
そんな事を考えていると、不意に右から不快な金属音が響く。
私は何も考えず、ただ音の方向へと顔を向けた。
その正体を正確に理解する間もなく、私は頭が真っ白になった。
「リョウ!!!!」
虹夏の鋭い声が耳の奥まで響く。
瞬間、ドンっという鈍い音と共に私の身体が押し倒される。
あ、これって轢かれたのかな。
体が痛いような、そうでもないような何とも言えない微妙な気持ちになる。
「まさか轢かれるなんて・・・」
咄嗟に頬を触るとべったりと血が手についた。
どうみても致死量の出血に対して不思議と今も痛みもしない、それに何故か動ける。
死ぬ直前の世界ってやつなのだろうか、想像と全然違うし、なんだか変に騒がしい。
「私は大丈・・・夫?」
地面にぶつけた肘部分を無意識に摩りながら、私は立ち上がって“それ”を見た。
正直信じたくなかった。
私は運良く轢かれなかったのではなく、助けられたのだ。
残酷なことに、その対価として虹夏が轢かれた。
私は呆然と、何も考えれなくなった。
「そんな、伊地知先輩!返事してください!!」
「あ、あぁ、虹夏ちゃん!」
その光景はあまりにも惨たらしく、私の目に酷く焼き付けてくる。
文字通り血だらけになった彼女は乗用車の下敷きになって、ピクリとも動かなくなっていた。
横には歪んだガードレールに損壊の限りを尽くしたもう一台の車が突っ込んでいて、事故の激しさが容易に想像できてしまう。
私は震える足を何とか立たせて、フラフラと彼女の側に近づいて膝を突き、辛うじて見えている手を握った。
外の温度よりまだ全然暖かい。
虹夏の顔がよく見えない。
「虹夏?ダメだよ死んだら。お願いだから」
弱々しく震える声が自然に流れ出てくる。
そんな緊迫した様子とは裏腹に、周りの人間は物珍しさや興味を持ったのか私達をぐるっと囲んで写真を撮る。
ただ数人だけ私達の所に近付いて、虹夏の為にあれやこれやと手を貸してくれる。
「ひとりちゃんスマホ貸して!私が話すから!」
郁代だけ冷静に対応してくれている、我ながら今の自分は情けない。
ただそう不甲斐なく思っても、唖然と虹夏の手を握ってやるだけで何も出来ない自分が居た。
それから時間はあっという間に過ぎた。
郁代が電話してから体感長い時間が経つと、けたたましいサイレン音と共に警察や消防車が集まってくる。
その内、数人の消防隊と救急隊が虹夏に駆け寄り状況を確認する。
隊員達は虹夏の状態を見ると苦い表情を浮かべつつも、手際良く横転した車を路肩へと移動させ、下敷きになった虹夏を救出する。
そのまま担架に乗せて蘇生を始めた。
放心状態の私は郁代に腕を引っ張られ、そのまま救急車に乗って救急病棟に連れて行かれた。
信じられないが、虹夏は死んだのだろうか?
いや有り得ない。
誰よりも強い彼女が、こんな所で死ぬ訳がないと自分に言い聞かせる。
揺れる救急車の中で救急隊員から何か説明らしき物を受けたが、何も頭に入ってこない。
確かドラマに出て来るような手術室の近くにある待合室で数時間待たされて、店長や虹夏のお父さんも集まった後、眼鏡の医師がやって来た
医師の表情は重々しい感じだった、医師の表情で結果が予想出来てしまうのが辛い。
「落ち着いて聴いてください」
それ以上喋らないで
「我々も可能な手段は全て尽くしました。しかし・・・残念ですが、虹夏さんは息を引き取りました」
虹夏が死んだ
虹夏が死んだ...
何故?
直ぐに、私の中で投げようのない感情が沸々と湧き出す。
私は思わず目の前の医師に縋るように掴みかかった。
郁代が私の肩を掴んで制止するが振り解く。
「彼女が死ぬ訳ない!虹夏は人一倍強いんです!それに・・・」
本来は私が死ぬべきだった、と
まるで映画の中の台詞を吐き捨てるみたいに叫ぶ。
言葉に詰まって立ち尽くしていると、急に全身の力が抜けて地面へと崩れ落ちてしまう。
すると、横で聞いていたぼっちが手を貸す。
「・・・大丈夫ですか?と、とりあえず落ち着きましょう?」
「なんで・・・」
貴方はそんなに落ち着いているの?
私はぼっちに言いかけた言葉を飲み込む。
「・・・いや、なんでもない。ごめんなさい」
医師に向かって頭を下げると「いえ...虹夏さんについてはお気の毒でした」と一言伝えられ、私達は何処かへ案内された。
私は手術室から背を向ける、が振り返ってしまう。
まさに今、彼処に虹夏が眠っているのだろうか?
私は兎に角、この場から離れたくなった。
ご愛読ありがとうございます