ゴルゴ13-鉄火激るロアナプラ-   作:範馬勇太郎

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PART1『Gの足音』

 G13型トラクターを買いたし。至急の商談を求む。

 但しタイへの輸出仕様。

 委細は面談の上にて。以下に連絡を乞う。

 一ツ橋インターナショナル商会

 

 某大手新聞広告欄より抜粋

 

 

 

 

 第二次世界大戦中、大日本帝国が軍港とする為に浚渫したタイ南部の港町は、白頭鷲の大爪により桜の秩序が失われ──いつしか麻薬の一大密輸港へと変わり果てた。

 警察力という治安維持機能は形骸化しており、無法者達の秩序はその街に巣食うマフィア達により維持されている。

 曰く、ヨハネスブルグでさえ保養所に思える程の極悪都市。

 

 悪党が悪党を喚び、互いの血肉を貪り合いながら、暗闇の深度を深めていった悪徳の都。

 

 その街の名は、ロアナプラという。

 

 

 

 

 BAR"イエロー・フラッグ”

 ロアナプラの荒くれ者を相手に日々酒を提供し続けているこの酒場は、当然というべきか種々様々な事件に巻き込まれ幾度も店舗の半壊、または全壊という憂き目に遭っている。

 一時は店内への銃火器持ち込みを禁止して対策をしたが、そこは悪徳の都。

 丸腰の客が集まっている店内に軽機関銃を担いだ強盗に押し込まれるというロクでもない結果となった為、店主であるバオは早々に店内非武装化を諦めていた。

 

 しかし何度も何度も店舗を破壊されても、何度も何度も店舗を再建(一時は開き直ってオープンカフェにすると宣うほどには、彼は商売を諦めようとしなかった)し、逞しく商売を続けている。

 この日も悪党共に振る舞う酒の準備を整え、『今日は何事も起こらないように』と祈りを込めながら店を開けた。ちなみに、バオが思う『何事』には、酔客同士の喧嘩などの酒場でよくあるトラブルは含まれていない。

 

「……あん?」

 

 開店後、まだ客の入りがまばらな時。

 ふと、バオは店のスイングドアから一人の男が入ってくるのを見とどめた。

 短く刈揃えられた黒髪。背も180cm以上はある。その体躯に相応しい頑健な肉体が開襟シャツの上からでも察せられた。

 鋭く、怜悧な顔付き。袖から露出した腕に走る無数の疵痕。

 只者ではない事を伺わせる、東洋人……少し白人との混血を伺わせる男が入店した。

 

 とはいえ、世界中の悪党が集うロアナプラでは、東洋系はさして珍しくもない。

 なにせ、街を支配しているマフィアのひとつは中国系だし、あのいけすかない運び屋連中もチャイニーズアメリカンが一人──いや、最近もう一人増えたか。まあ、脛に傷持つ国際色豊かなゴロツキが流れ着くのも、この街ではよくある。

 

 バオがそのようなことをつらつらと考えていると、男はカウンターに座った。その所作もまったく隙が無い。見ようによってはとても臆病な所作にも見えた。

 流れの筋モンってところか。どう見てもカタギにゃ見えねえし。

 

「ビール」

 

 更にそう思考していると、男は短く注文を告げた。

 バオはじろりと視線を向けるも、男は無言のまま。バオに目線を合わせない。

 

「見ねえ顔だな。ここは初めてか? ビールっつっても、ウチはバドワイザーからシンハー、サン・ミゲルやコロナもある。ねえのはアサヒと虎のションベン(タイガー・ピス)くれえなもんだ。何が飲みてえんだ?」

「……」

「無口だなアンタ……」

 

 バオの軽口も一切無視し、男はトルコ葉の細巻(シガリロ)を取り出すと火を付ける。

 紫煙が燻る間、バオは渋々といった体でビールを注ぎ、差し出した。

 男は顔色ひとつ変えずにジョッキを呷っていた。

 

「何が目的でこの掃き溜めみてえな街に来たかは知らねえが、余所もんがあまり長居するところじゃねーぞここは」

「……」

「ちったあ愛想ってもんを出せねえのかアンタは……」

 

 男が纏う独特な空気に圧されたのか、珍しく親切心でそう言ったバオ。しかし、男はそれも無視した。

 どうも調子が狂う。目の前の男のスカしっぷりは鼻につくが、あの魔術師(ウィザード)を自称する酔狂なボンクラとは全く違う雰囲気を漂わせている。

 この手合いはあまり関わらねえ方がいいな。

 バオはそう思いつつ、グラス磨きの作業に没頭していった。

 

「あら、お客さん?」

 

 ふと、娼婦の一人が男の側へ近づく。

 開店したばかりでまだ夜の帳は降りきっていない。女を買う客はまだ来ない時間であり、娼婦たちも店の上階で待機している時間だ。

 しかし暇を持て余しているのか、こうして酒場で客にちょっかいをかける娼婦もいた。

 

「ねえー、暇ならちょっと上で遊んでいかない? お客さん、アタシのタイプだし」

 

 男の隣に座り、しなを作りながらそう言った娼婦。男はそれも無視するように黙々とビールを呷り、細巻をゆっくりと吹かしていた。

 イエローフラッグの上階に店を構える売春宿スローピー・スウィング。そこで春を鬻ぐ女達は、決して世間に対し絶望めいた表情を浮かべはしない。気風の良い女主人の元で宜しく教育されているからだろうか。

 

「……」

「あ、ちょっと」

 

 だが、男は娼婦の陽気で甘い声も無視し、ビールを飲み干すと代金をカウンターへ置いた。

 そのまま立ち去ろうとする男へ、娼婦は慌てて立ち上がり声を掛ける。

 

「もう帰っちゃうの? もう少しゆっくりしていきなさいよ。なんだったら特別なサービスを──」

 

「俺の後ろに立つな」

 

 返って来た怜悧な言葉。

 ひっ、と娼婦の声が上ずる。聞いていたバオも背筋に氷柱を突っ込まれたような感覚を覚え、拭いていたグラスを落としかけた。

 バオも娼婦もイエローフラッグで発生した鉄火場はさんざん経験しており、強面の悪党も幾人も相手にしてきた、ある意味ではそこらの国の軍人よりも肝が据わっている人間だ。

 まして、バオはベトナム戦争の地獄を生き延びた元兵隊。そこらのごろつきどころか、この街に巣食うマフィアのボス連中を前にしても、減らず口のひとつやふたつを叩けるくらいの胆力がある。

 

 それが、声ひとつで戦慄し、言葉を失った。

 男の発する殺気、というより剣呑な雰囲気が、バオと娼婦を百戦錬磨の商売人からただの一般人へと変えていた。

 

「……」

 

 そのようなバオ達に構わず、男は来た時と同様に、無言のままイエローフラッグから立ち去っていった。

 

「な、なんだぁアイツは……レオン・モンタナでもあんなヤべぇ空気は出してねえぞ……」

 

 去っていく男の背中を見ながら、バオは震えた声でそう呟いていた。

 

 

 

 

 ロアナプラに唯一存在する教会"リップオフ教会”。

 バチカンからも正式に認可を受けているこの教会は、悪徳の都のただひとつだけある良心の拠り所──という建前を信じている住民は一人もいない。

 その実態はマフィアや住民に卸す各種武器弾薬を扱う武器商人であり、大凡ロアナプラで発生する傷害、殺人事件の元凶でもあり、敬虔な神の信徒とは真逆の存在であった。

 

 それ故なのか、リップオフ教会をその正式名称で呼ぶものはおらず、"暴力教会”の通称で街の住民に認知されていた。

 

「姐さん、電話ですよ。アメリカから」

 

 この日、暴力教会の神父見習いのリカルドは、同僚であるシスターへの連絡を取り次いでいた。

 時折入るこの国際電話。無論、ただの電話ではない事はリカルドも承知している。

 しかし、それについて詮索する事はしない。

 彼は“隣の便器を覗かない”という暴力教会の金言を無視するような愚か者ではなかった。

 

「リコ。その姐さんってのはやめろって言ってんだろ」

 

 気だるげにそう返事をした尼僧服姿の女性。長い金髪を頭巾(ウィンプル)から覗かせた白人のシスター。リカルドの言葉からアメリカ人であることが伺えた。

 しかし暴力教会のシスターなだけあってか、その風貌は一般的な修道女ではない。

 修道服を品悪く着こなし、あまつさえフォックス型のサングラスをかけている。

 いかにもな不良シスター、といった風貌であった。

 

 彼女の名前はエダ。本名ではないが、ロアナプラでは偽名を使う人間は数多くいる為、これもさして珍しい事ではなかった。

 

「シスターって呼びな」

「ハイハイ」

「ハイは一回だ」

 

 舎弟といっても差し支えないリカルドへそう言いながら、エダはやる気の無い口調で受話器を手に取った。

 

「はいこちら神に仕える敬虔で善良な修道女……あー、ハイハイ」

 

 電話口の声をひとつ聞くと、エダはため息をつきながら受話器を置いた。

 

「ったく、めんどくさいったらありゃしない」

 

 そう言いながらスタスタとその場を離れるエダ。

 リカルドはエダのこの唐突な行動も全て承知していた。無論、詮索してはならぬことも。

 

「ハイは一回では?」

「減らず口叩くんじゃないよどてちん」

 

 肩を竦めながら見送るリカルドへ、エダはサングラス越しにじろりと睨みつけていた。

 

 

 

「……定時指示連絡以外でそちらから連絡をしてくるとは、穏やかではないですね」

 

 教会内の私室へ入ったエダ。おもむろにサングラスを外すと、個人用の通信端末にてどこかへと連絡を取る。

 常のあばずれ風な口調は鳴りを潜め、ひどく事務的なものへと変わっていた。

 彼女にとってサングラスを外す行為は、暴力教会のシスターという仮初めの姿を脱ぎ捨てる時であり、『あたし』から『私』に戻る──いや、変わる為の儀式だった。

 

 防諜対策が取られた通信端末により、エダ──米国中央情報局(CIA)潜入工作員(ケース・オフィサー)であるイディス・ブラックウォーターは、暴力教会の主であるシスター・ヨランダではなく、彼女の本当の上司と会話を始めた。

 

『まずい事になった。まだ緊急事態と判断しかねるが、要警戒といった事態が発生した』

 

 端末越しに、情報本部(D・I)の第二課長を務めるリチャード・レヴンクロフトの硬い声が聞こえる。

 時にはジョークを交える“話せる”上司であるはずの彼が、開口一番に放った硬い声。イディスは眉を顰める。

 

「要警戒というと?」

『……君も知っての通り我々の監視体制は全地球規模だ。どのような些細な出来事も見逃さない。各国のタブロイド紙の三文記事であってもね』

 

 レヴンクロフトは本題を切り出す前に、やや迂遠な言い回しをした。同時に、イディスの嫌な予感は風船のように膨らんでいく。

 ボスがこういった言い回しをする時は、得てして良くない知らせが舞い込む。なにせ真性のサドであらせられるところの我らが主は、いついかなる時も信徒をお試しになられるものと相場が決まっているのだ。

 このようなイディスの予感は、残酷なまでに正鵠を得ていた。

 

『Gが依頼を受けた』

「ッ」

 

 G、という単語が出たことで、イディスは一瞬だけ呼吸を止めた。

 そのコードネームは世界中の情報機関、そして裏社会に身を置く者では知る人ぞ知るビッグネーム。

 その名をイディスは忘れてはいない。初の海外赴任(ファーストツアー)で中米某国へ赴く前に受けた“Gのレクチャー”は、幾ばくかの衝撃と共に彼女の記憶に深く刻みつけられており、出来れば退職するまで……いや、一生関わりたくない存在だった。

 

「……それで?」

『どのような依頼をGが受けたのかは不明だ。しかし、Gが先日、バンコクに到着した所を確認した。そこからの足取りは不明だが……』

「タイに入国しただけでここへ来ると判断するのは些か性急では? 今までもGがタイで“仕事”をした事はありますが、ロアナプラに現れた事は一度もありません。私が知る限り、ですが」

 

 努めて冷静に言葉を返すイディス。

 しかし、緊張からかその表情は強張りを見せており、心なしか言葉に焦りが滲み出ていた。

 

『根拠はある。依頼主が判明しているのだ。一ツ橋インターナショナル商会という日本企業だ』

「日本……」

 

 ひとつ。

 イディスの脳裏に点が浮かぶ。しかし線になるほどのものではない。

 山猿の如き悪友の土産話はうだるような暑さの中で聞いていた為、そこまで記憶に残っていないというのもあった。

 というより、直後に発生したあのファック・フリークのインド女のちょっとした騒ぎのせいでもあるが。

 

 ああ、そういえばこの間も面倒事を持ち込んでいたねあのインディアは。結局食いもんにしたはずの四つ目のチャイニーズに落とし前をつけられてどこかにフケちまったけど、まだくたばっていないのならアレも大したタマさね。

 

『表向きは東南アジアから日本国内への輸入企業だが、実態は広域指定暴力団……いわゆるジャパニーズ・ヤクザのフロント企業だ』

 

 イディスが少々の現実逃避でそのような関係の無い事を考えている間、レヴンクロフトの言葉は非情にも続いていた。

 気付けば点が分かりやすく大きくなっていた。

 加えてそれぞれの点からニョキニョキと線が伸び始める感覚を覚え、イディスは渋面を強めていった。

 

『バックのヤクザは関東和平会という協定に属している……以前、ホテル・モスクワがそこと()()()()()トラブルになった』

 

 それから、レヴンクロフトは滔々と事の顛末を語った。

 ホテル・モスクワ。ユーラシア大陸各地に根を張る巨大組織(ロシアン・マフィア)

 それが日本に乗り込み、ヤクザ組織をひとつ……いや、二つ潰した。

 上司はひどく簡潔に、そして客観的な事実としてそれらを語った。

 

 そこには鷲峰雪緒と松崎銀次の物語──凄絶なまでに美しく、そして残酷なまでに無惨な物語は含まれていなかった。

 彼女達の物語はイディスらにとってその程度の出来事だったし、そもそも今はそのような感傷的な話に浸る場合ではない。

 

「つまり、ロシア人共に潰されたヤクザのお友達が意趣返しを仕掛けた……という事ですか」

『要約すればそのように推測できる。現時点では推測に過ぎないが』

 

 イディスは舌打ちをしたくなったが、ぐっと堪える。

 ヤクザが敵討ちを企み、ホテル・モスクワ──あの焼傷顔(フライフェイス)()()を取りに殺し屋を雇った。

 それなりに腕の立つ殺し屋であっても、ホテル・モスクワはタイ支部頭目にとって、手練に命を狙われるなど日常茶飯事であり、こうして自分たちが眉根を寄せて悩む案件になるには程遠い。

 ホテル・モスクワの中でも、彼女が率いる戦力は一等──否、最強の戦力を備えているし、なにより彼女自身が、その腕の立つ殺し屋が束になっても敵わない程の戦闘力、そして冷徹な智謀を備えているからだ。

 放置していても、さして変わりのない、悪徳の都の日常が過ぎていくだけだろう。

 

 相手がGでなければ。

 

『まだ調査の段階だ。しかし、推測通りGの標的がソーフィヤ・イリーノスカヤ・パブロヴナであれば、その街のバランスは大きく崩れる事となる』

「私もそう予測します。悪党共が自分達の棲家を守る為に作り上げた秩序が全て崩壊し、その結果……」

 

 天秤が動くどころの騒ぎではない。

 ホテル・モスクワ、タイ支部の女頭目ソーフィヤ・イリーノスカヤ・パブロヴナ──通称バラライカ。

 元ソビエト連邦空挺軍大尉。アフガニスタンの熱砂を生き延び、ソ連崩壊後は空挺軍の精鋭を引き連れマフィアに身をやつした旧ソ連の亡霊。

  遊撃隊(ヴィソトニキ)の異名を持つ忠実にして固い結束で結ばれた兵士達(ソルジャーズ)を率い、バラライカはロアナプラの抑止力になりうる程の勢力を築き上げた。

 

 そのバラライカが、Gに命を狙われたら。

 当然、彼女……遊撃隊は、全力でそれに抗うだろう。逃げても無駄なのは当然バラライカ達も理解しているだろうし、そもそもそのような行動は彼女らの選択肢にはない。

 例え相手がGであっても、いや、Gという強大な敵と相まみえた喜びすら感じながら、亡者達は街の何もかもを巻き込んで死に絶えていく。

 

 バラライカと遊撃隊という抑止力を同時に失うことで、ロアナプラはヨハネでさえ書くのを憚る程の煉獄に見舞われるだろう。

 そして、それはイディスらにとって全く望ましくない結末だった。

 

『……先のペルセフォネ作戦や、その前の国家安全保障局(NSA)への作戦阻止でも痛感したが、その街は正真正銘の魔境だ。だが、世界中の悪党共の利害調整場所としても機能している。それが崩れたら、諸々の厄介事が我々(合衆国)のコントロール下から逸脱する可能性が生まれる。懸念すべき事案だ』

 

 東西冷戦が終結し、20世紀が終わりを迎えつつある現在、唯一の覇権国家と成ったアメリカ合衆国。

 大敵が滅んだ現在、彼らが目指す世界平和(グローバリズム)とは、国家間の紛争、そしてテロリズムすら“合衆国の利益に沿ってコントロールされた危険”として調律し続ける事。

 その最前線として機能している街のひとつが、イディスが駐在するロアナプラだった。

 

 そのようなレヴンクロフトの言を聞きつつ、イディスは分別を弁えぬNSAの馬鹿共が引き起こした騒乱、そしてその後に発生した少々の怪奇現象……いや、今思えば特大の茶番劇とも思える作戦を思い出し、うんざりとした表情を覗かせる。

 とはいえ、ゲット・スマートの新作台本を想起させるほどのたわけた策謀(プロット)を練った作戦本部(D・O)の元副部長は、残りのキャリアをラングレーの窓際で過ごす羽目になったわけで、それについては一抹の爽快感を覚えてはいたが。

 

 閑話休題。

 今はGだ。そして、Gを相手にすることの難しさは、NSAの馬鹿共や無能な上司の尻拭いとは比較にならなかった。

 

「ですがGへの妨害工作は……」

『無論、不可能なのは承知している。下手をすれば東アジア支局どころか本局のオフィスも空席だらけになる。君はもちろん、私も来月のマスターズの結果を拝めなくなるだろうな』

 

 イディス君。星条旗(スターズ・アンド・ストライプス)の為に死んでくれ。などという理不尽を命じられることはひとまず無さそうなので、イディスは思わず安堵の溜息をついた。

 これまでもGと敵対し、依頼の妨害、そして抹殺を試みた個人、組織は数知れず存在した。

 その中には当然、CIAも含まれていた。

 

 しかし、Gは今も尚生存し、そして“仕事”を続けている。時折CIAからの依頼もこなす程。

 イディスはそれが何を意味するのか、よく理解していた。

 

『ともかく日本での調査は東京支局と連動して進める。非合法手段を用いてでもGの標的が誰なのか確定し、その結果次第でロアナプラからの“撤収”も検討する必要がある』

 

 “同盟国への諜報活動は控える”という不文律の仁義はどこへいったのだろう? という素朴な疑問が浮かんだイディスだったが、直ぐにナンセンスな疑問だったと自省した。

 どうせCIAの東京支局もここと変わらず、悪辣な謀略を日々仕掛けているに違いないというか、むしろそれくらいの仕事はしてもらわないと困る。

 なにせ近年の日本の経済活動は我が合衆国にとって不快極まりないものであり、それ故に誰が飼い主なのかもう一度思い知らせてやる必要があるのだ。奴らの得意手を封じ、向こう四半世紀以上は奴らの経済的成長が“失われた”状態にせねば。まあ、奴らの強みは自動車や家電のような消費財ではなく、小賢しいまでに洗練化された金融資本形成にあるので、より一層の自由化や規制緩和を迫り、奴らの莫大な金融資産を丸裸にし──

 

『……もしGがそちらに現れた場合、君は注意深く、そしてGの邪魔にならぬよう監視し、経過を報告しろ。以上だ』

 

 イディスがまたも現実逃避でそう思考している間、レヴンクロフトは無情にも一方的に任務を伝え、通信を切っていた。

 

「……冗談じゃないよ(ジーザス・クライスト)、クソッタレ」

 

 数瞬してから我に返ったイディス──シスター・エダは、懐から愛飲している煙草(マルボロ)を取り出しつつ、血糖値が高い上司へ悪態をついた。

 

「簡単に言ってくれるよ、本当に」

 

 火を付け、紫煙を燻らせながら、ただの監視任務では済まないこの困難を嘆く。

 仕事の“証拠”を残さないGの監視。基本、彼は覗き見を好まない。

 一歩間違えれば、Gはこちらの排除も容赦なく行うだろう。

 エダは知りうる限りGの情報を反芻しながらそう思っていた。

 

 姓名不明。デューク東郷を始めいくつかの偽名を自称する。

 国籍不明。日本人、日系アメリカ人、日独混血、日ユ混血、あるいは日露混血と諸説あり。

 身長182cm、体重80kg、血液型はA型。

 アーマライトM-16を愛用する世界一の超A級スナイパー。

 信仰、イデオロギーに関係なく依頼を受け、その依頼成功率は99.98%。

 

 曰く、不可能を可能にする男。

 曰く、最強の一人の軍隊(ワンマンアーミー)

 曰く、厳格なまでに己に課した(ルール)を遵守する、プロ中のプロ。

 

「我がCIAでさえもGの詳細はまるで掴んでいない……いや、掴ませないといった方が正しいだろう。なんて、先輩方の仰る通りだねこりゃ。誰このおっさんで片付けられるもんじゃないわ」

 

 呆れが混じった呟きを紫煙と共に吐き出すエダ。

 それくらい、Gはかつてこの街を訪れた数多の殺し屋共よりも、遥かに危険な存在といえた。

 いや、あの狂気と殺意に塗れた双子や、二度も来襲した最凶にして壊れた猟犬、そして筋を履き違えたNSAの狐共が起こした騒乱……Gと比べたら、それらはまだ“平和な危険”だ。

 なにせ、あの招かねざる者達ですら、この街を滅ぼす事は出来なかったのだから。

 

「ロシア人に警告くらいはした方が……いや」

 

 そう独りごちるも、無意味な行いだと頭を振る。

 まだGがロアナプラに来るとは確定していないし、仮に来たとしても……あの狡猾な連中のことだ。こちらが現在掴んでいる情報くらいは直ぐに察知する事が出来るだろう。

 それに、そもそもGに標的と定められては、誰一人として生き延びられる可能性は無くなるのだ。

 

 まあ、来るか来ないかはともかく、シスター・ヨランダには正直に事の顛末を話し、諸々の相談をする必要がある。

 教会を取り仕切る隻眼の老尼僧とは極めて紳士的な共依存関係を構築しているし、そもそもあの妖怪じみた老婆に伏せ札をしたまま事を進められる自信も無かった。

 なにせヨランダは、エダの母親が初潮を迎える前からこの世界……鉤十字(ハーケンクロイツ)を担いだ諜報戦に身を投じていた大ベテランなのだ。彼女の前ではエダの上司であるレヴンクロフトですら若造扱いである。

 

 それくらいのレジェンドであれば、CIAの資料部が把握していないGの情報を持っているかもしれないし、よしんば直接の面識があってもおかしくはない。

 ともかく有用な助言を引き出すくらいはしなければ。どの世界でも言えるが、先達の知恵を借りるのは悪いことではないのだから。

 エダはマフィア連中が得意とする恫喝──暴力が一切通用しないこの厄種の存在を、自分一人で抱えるつもりは無かった。

 

「く、くふふ……」

 

 ふと、エダは自嘲の笑いを上げた。

 以前、この街の最大勢力であるチャイニーズ・マフィアのボスに恫喝した(イキった)自分を思い出したからだ。

 

 “あまり私の会社を舐めるなよ、チンピラ”

 

 エダが拠り所とする会社──CIAを含めたアメリカ合衆国を守護するあらゆる機関。

 白頭鷲(アンクル・サム)の紋章を抱き、正義の名の元で絶大な力を発揮せしめる多頭獣(ヒュドラ)

 個人や企業どころか、国家そのものを屈服させ、殲滅する力がある、唯一(ザ・ワン)にして最もたる(アンド・オンリー)最強(スプリーム)の存在。

 

 その合衆国でさえ、Gに対し明確な敵対行動は取れない。

 以前、合衆国と旧ソ連が互いに手を組み、それぞれが最強の特殊部隊を差し向けてGの抹殺を企んだ事があった。

 だが、それでもGを、それも手負いで丸腰のGを倒す事が出来なかった。結局、Gがタンザニアに秘匿されていた核ミサイル基地に現れたことで、国家機密漏洩を恐れたパパブッシュはGから手を引き、ゴルバチョフもまた矛を収めた。

 

 世界中の特殊部隊、世界中の諜報機関、世界中の秘密組織。

 世界最大の財閥、世界最高の人工知能、世界最新の兵器。

 世界一の達人、世界一の軍人、世界一の科学者。

 

 それら強大な存在ですら、Gの前に敗北した。

 Gに勝利できる者は、果たしてこの世界に存在するのだろうか。

 そう思わせる程の、Gの計り知れない能力。

 とても“舐めるなよ”と啖呵を切れる相手ではなかった。

 

「この()()をするようになってから、より一層不吉な名前に聞こえるねぇ……賛美歌13番も天使じゃなくて悪魔にラブソングを捧げてる気分になるよ」

 

 主は常に我らの傍に居まし、か。福音も随分と頼りなくなっちまったね。ま、名前からして主の御力が通用する相手とは思えないけど。

 そう思考しながら、紫煙を吐き出したエダ。

 短くなった煙草を咥えながら、Gの最も有名なコードネームを口にした。

 

 ゴルゴタの丘でイエス・キリストに荊の冠をかぶせて殺した男。

 神に背を向けた、13番目という不吉な数字を背負った男の名を。

 

 

「ゴルゴ13」

 

 

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